オーストラリア国歌が流れるなかで、ダニエル・リカルドの笑顔が崩れた。波乱の中国GPを制した勝者は、涙を見せまいと目頭を押さえた。初優勝を飾った時にも、これまでの5回の勝利でも大きな笑みを保っていたドライバーが、上海では溢れる思いを抑え切れなかった。
「僕はたくさんのエモーションに包まれていた。インラップでは笑みばかり溢れて、多くの言葉は浮かばなかった。表彰台ではほとんど泣きそうになった。記者会見ではこのレースのこと、そして先週のことを考えていた。このスポーツがどんなに自分を落胆させるものか、でも同時に、どれほど最高の気分をもたらしてくれるのか、ということも」
1週間前のバーレーンGP、パワーユニットのトラブルによってわずか1周でリタイアしたリカルドは、「2時間分のアドレナリンを自分のなかに貯めたままで、僕はどうしたらいいんだろう?」と言ってサーキットを後にした。上海でもFP3を走り始めてすぐにターボチャージャーが壊れ、予選には間に合わないとほとんど諦めていた。
「自分にはどうしようもないことがあまりにたくさん起こって、打ちのめされ、フラストレーションを感じていた。時には“どうしてこんなスポーツを選んだんだろう?”と自問することさえあるんだ」
レッドブル+ルノー製パワーユニットは、これまでも何度も理不尽なペナルティをドライバーに負わせてきた。昨シーズン終盤以来、クリーンな週末を戦えたことはほとんどなかった──。バーレーンGPのリタイアは、表面張力でなんとか保っていた感情に“最後の一滴”を落としてしまったのだろうか。
ピエール・ガスリ―の予選6位に祝福を送りながら、リカルドは「僕もトロロッソで初めてバーレーンGPを戦った時に予選6位だった」と振り返った。スタート直後に16番手までポジションを落とした2012年の経験は手厳しい教訓となり、その後何カ月もの熟考へとリカルドを導いたが、それが“攻撃と冷静”を兼ね備えた今日の彼の礎となった。
ガスリーの活躍を見て、リカルドはきっと、あれから6年もの時間が流れたことを感じていただろう。信頼性の高かった当時のF1では1レースごとに学び、進歩を重ねることが可能だったのに、今日のF1はしばしば、走る機会さえ奪ってしまう。ドライバーというアスリートを“戦えない孤独”に追いやりながら。
XPB Images
リカルドの心に躍動感を呼び戻したのは、FP3の後、記録的な速さでパワーユニット交換を成し遂げたメカニックたちだ。「No.3」のレッドブルがコースインしたのは、Q1終了まで3分を切った時のことだった。