ザウバー・チームでの元同僚、キミ・ライコネンが今ではミハエル・シューマッハーに最も近いライバルとなってしまったが、ニック・ハイドフェルドは、ライコネンではなく自分こそがマクラーレンのセカンドシートに着くべきだったと今でも思っている。
ドイツ人のハイドフェルドは、ライコネンがカートを卒業する以前からメルセデスのジュニアドライバーだった。だが、ライコネンは早々にマクラーレンの目にとまり、2001年のミカ・ハッキネンの引退に伴ってデイビッド・クルサードの僚友に大抜擢されてしまった。ハイドフェルドとしては、マクラーレンがライコネンを選んだ理由を理解はできても、ライコネンのデビューシーズンには彼を上回る成績を挙げた自分がチャンスを得られなかったことが未だ納得いかないという。
「随分早い時期からマクラーレンはキミと話を始めていたから、契約に至った時もさして驚きはしなかった」とロイター通信の取材に答える25歳のハイドフェルド。「だけど、なぜ僕を通り越して彼を選んだのか、いまだに理解できない」
「キミは今いい仕事をしている。ザウバーにいた時と同じようにね。しかし、僕らは同じ年に同じチームにいて、予選でもレースでも彼よりも僕の方が速かったんだ。自分でもなかなかいい走りをしていたと思うよ。そりゃあ彼は初年度で僕は2年目だったが、僕は十分な働きをしていたはずだ」
1999年国際F3000チャンピオンのハイドフェルド。彼は慢性的に低迷するプロスト・チームにてジャン・アレジの僚友としてF1デビューを果たし、デビューシーズンは苦労を強いられた。だがザウバーに移ってからは、ルーキーのライコネンにフェリペ・マッサ、そしてベテランのハインツ−ハラルド・フレンツェンと三度チームメイトが代わる中、近年は光る走りを見せてきた。
「(クルサード以外で)パドックの誰よりも彼との戦い方を僕は知っていると思うよ。なにせ同じ車に乗っていたんだから」と説明する彼。
クルサードは、2003年はぱっとしない成績ながら、マクラーレンでもう1シーズン乗るような様相だが、ハイドフェルドはいつの日かライコネンと組むという望みを捨ててはいない。
「僕はまだマクラーレン・メルセデスとの契約下にあって、契約の状況を話すわけにはいかないんだが、マクラーレンこそ最高のチームだと思っている」
「僕の考えでは、僕だってすぐに行けないことはなかったんだが、僕はそれを選ばなかった」
ハイドフェルドとザウバーとの契約は今季限りで、両者とも2004年のオプション契約を考えている。しかしマクラーレンもザウバーもこの数週間はジャンカルロ・フィジケラと接触を図っているという噂が出ており、そうなるとハイドフェルドにとっては両チームでのライバル出現ということになる。
「もちろん来年に関してはまだ何も言えないが、ザウバーでは3年目で契約も切れるので、いくつかのチームと話は始めている」と明言を避けながら語る彼。「どこかトップチームに入りたいが、そのためにはいい仕事をし続けないとね。僕はまだとても若いから、きっとチャンスをつかめるよ。きっとチャンスはくる」