たしかに、2台そろって2ストップを採用したのは失敗かもしれないが、低温の路面はフェラーリにとって苦手ゆえ、振れ幅が大きく読みづらいもの。それに、1ストップ作戦でペースが落ちると、フェラーリの場合はタイヤの作動温度の下限を下回ってしまうリスクがあったことも事実──ライコネンは2ストップ作戦でも、その下限線を行き来して、最後までグリップ不足とバランスに悩んだ。
フェラーリが、もう少し重要に捉えるべきだったのは「前のマシンが生む乱気流に対しては、人並みに弱い」という、メルセデスの弱点だ。この一点だけで、スタートでトップに立つという千載一遇のチャンスを手に入れたベッテルがステイアウトに賭ける価値はあったはずだ。そうしてこそ、メルセデスよりストレート速度を伸ばしたセットアップも生きてくる。
それでも、スタートからゴールまで攻め続けたベッテルのレースは本人の心にもファンの目にも、楽しく清々しいものだった。序盤はターン4でもターン9でもウォールを擦ったし、シケインでは合計3回、エスケープゾーンを通過した。
「できることは、すべてやった」と、笑顔のベッテルが言う。せっかくのチャンスだったのにと、作戦に対する批判もあるが、マシン性能の差を実感しているドライバーにとっては、我慢のレースで失うよりも“負けて悔いなし”と言える感触が必要だったのかもしれない。ベッテルがステイアウトしても、ハミルトンがアンダーカットに出ればソフトのウォームアップに優れたメルセデスが有利だったし、そこに踏み切るウインドウはロングランに優れたメルセデスのほうが広かった。
ウイリアムズとバルテリ・ボッタスは待ち望んでいた表彰台を勝ちとった
XPB Images
結局のところ、速ければ、どんな作戦も成功する確率が上がるのだ。その鉄則を証明したのがバルテリ・ボッタス。ウイリアムズはストレート速度の速いマシンで、モントリオールはボッタスが得意とするコース──滑りやすい路面で正確なブレーキを踏めるドライバーの技量は、しばしば最速タイムを記録するピットクルーとの共同作業にも表れる。10周先のタイヤの状態を的確につかめるボッタスは、レースの大半、ロズベルグを真後ろに従えながら主導権を放さず、小さなミスも犯さなかった。ハミルトンと同じ1ストップ作戦のレースは、ロズベルグがスローパンクチャ―によって51周目にピットインしたあとは孤独な戦いになったものの、それまでの周回も、メルセデスが言うほど単純に「ニコは表彰台に上がれたはず」でもなかった。ボッタスは幅寄せをしたりラインを変えたりするのではなく、ふたつのペダルを絶妙に操ることによってフェアに“まっすぐに”ディフェンドする。ものすごく巧みだ。
ハミルトンとベッテルがリラックスした様子の表彰台、少しぎこちない感じのボッタスがチームのことを口にすると、これは本当に、メルセデスの勝利よりフェラーリの2位より純粋に、レーシングチームとして力いっぱい走った結果、チームとして渇望した表彰台なのだと、しみじみ伝わってきた。
モナコに続いて、ライバルに助けられるかたちでオーバーテイクすることなく優勝を飾りながら、メルセデスのチーム力を見せつけたハミルトン。フェラーリの伝統である「お家騒動」報道からスクーデリアを守ろうと、努めて明るいベッテル。シーズン初表彰台でウイリアムズに上昇気流をもたらしたボッタス。
その一方で、政治の靄(もや)に包まれたようなレッドブルは、マックス・フェルスタッペンが終盤4位を死守したにもかかわらず、それはドライバー個人の技量であるように映り、チームとしての存在感を欠いていた。予選最後のダニエル・リカルドの鬼気迫る走りも然り──ルノーのパワーユニットが進化しても、レッドブルは、ひとつのベクトルに向かう結束力を欠いている。ドライバーがどんなに頑張っても、ここはリカルドが2014年に初優勝を飾ったモントリオールだというキーワードを感じることができない、レッドブルのレースだった。
(今宮雅子/Text:Masako Imamiya)