【短期連載】マクラーレン・ホンダの栄光-MP4/4
2014年12月15日
Katsuyoshi Kobayash
ドライバーラインナップも発表され、いよいよマクラーレン・ホンダ復活へカウントダウン。F1史に燦然と輝くマクラーレン・ホンダの名車を、写真とともに振り返る短期連載。
マクラーレンMP4/4。アイルトン・セナとアラン・プロストのコンビにより1988年シーズンを席巻した、F1史に残る名車である。16戦中15勝。シーズン最多優勝記録こそ2014年にメルセデスAMGにより破られてしまったが、シーズン最高勝率の記録は、いまだこのMP4/4が持っている。
シャシーは鬼才ゴードン・マーレイとスティーブ・ニコルズの合作。マーレイがこれ以前に手がけたブラバムBT56と同様、徹底した低重心化が図られ、素性の良いマシンに仕上がった。その上、当時最強のホンダのV6ターボエンジンRA168Eを搭載。まさに非の打ち所のないマシンだった。
ホンダはV6ターボエンジンを87年までウイリアムズに供給。そのあまりの強さに、88年限りでターボエンジンの使用が禁止されてしまう。しかも、レース中の燃料使用制限も厳しくなり、まさに“ホンダつぶし”とも取れるレギュレーション変更が多くなされた。そんな状況下でも、ホンダのエンジンを搭載したマシンは強かった。むしろ、ウイリアムズ時代よりもその強さは増し、F1界を席巻したのだ。
Katsuyoshi Kobayash
Katsuyoshi Kobayash
そんな最強マシンを手にしたふたりの最強ドライバー、セナとプロスト。両者のタイトル争いが決着したのは、第15戦日本GPだった。ポールポジションを獲得するも、スタートでストールしてしまったセナは後方に下がってしまう。これで、プロスト有利かと思いきや、セナが怒濤の追い上げを開始。大逆転でトップチェッカー。この勝利で、セナは自身初のドライバーズタイトルを獲得。ホンダにとっても、嬉しい母国初優勝だった。
しかしこの裏で、翌年表面化する大きな問題が膨らんでいた。当初は良好な関係を築いていたセナとプロストだが、この後徐々に啀み合っていくこととなってしまうのだった。
ところで、MP4/4のシーズン全勝記録が阻まれたのは、第12戦イタリアGP。セナが残り2周というところまでトップを走行していたが、周回遅れのジャン-ルイ・シュレッサー(ウイリアムズ)と接触し、ストップしてしまう。プロストもすでにエンジントラブルでリタイアしていたため、優勝はゲルハルト・ベルガー(フェラーリ)の手に。シーズン全勝という大記録は、寸前のところで果たされることはなかった。
セナと接触したジャン-ルイ・シュレッサーは、1968年にF1フランスGPでホンダF1マシンをドライブし、事故死したジョー・シュレッサーの甥にあたる人物。F1では4戦にエントリーして決勝出走1回と目立った成績は収められなかったが、WSPC(世界スポーツプロトタイプカー選手権)で2度チャンピオンに輝くなど(1987年と1988年)大活躍。後年はダカールラリーで優勝するなど、ラリードライバーとして活躍した。
Katsuyoshi Kobayash
ドライバーラインナップも発表され、いよいよマクラーレン・ホンダ復活へカウントダウン。F1史に燦然と輝くマクラーレン・ホンダの名車を、写真とともに振り返る短期連載。
マクラーレンMP4/4。アイルトン・セナとアラン・プロストのコンビにより1988年シーズンを席巻した、F1史に残る名車である。16戦中15勝。シーズン最多優勝記録こそ2014年にメルセデスAMGにより破られてしまったが、シーズン最高勝率の記録は、いまだこのMP4/4が持っている。
シャシーは鬼才ゴードン・マーレイとスティーブ・ニコルズの合作。マーレイがこれ以前に手がけたブラバムBT56と同様、徹底した低重心化が図られ、素性の良いマシンに仕上がった。その上、当時最強のホンダのV6ターボエンジンRA168Eを搭載。まさに非の打ち所のないマシンだった。
ホンダはV6ターボエンジンを87年までウイリアムズに供給。そのあまりの強さに、88年限りでターボエンジンの使用が禁止されてしまう。しかも、レース中の燃料使用制限も厳しくなり、まさに“ホンダつぶし”とも取れるレギュレーション変更が多くなされた。そんな状況下でも、ホンダのエンジンを搭載したマシンは強かった。むしろ、ウイリアムズ時代よりもその強さは増し、F1界を席巻したのだ。
Katsuyoshi Kobayash
Katsuyoshi Kobayash
そんな最強マシンを手にしたふたりの最強ドライバー、セナとプロスト。両者のタイトル争いが決着したのは、第15戦日本GPだった。ポールポジションを獲得するも、スタートでストールしてしまったセナは後方に下がってしまう。これで、プロスト有利かと思いきや、セナが怒濤の追い上げを開始。大逆転でトップチェッカー。この勝利で、セナは自身初のドライバーズタイトルを獲得。ホンダにとっても、嬉しい母国初優勝だった。
しかしこの裏で、翌年表面化する大きな問題が膨らんでいた。当初は良好な関係を築いていたセナとプロストだが、この後徐々に啀み合っていくこととなってしまうのだった。
ところで、MP4/4のシーズン全勝記録が阻まれたのは、第12戦イタリアGP。セナが残り2周というところまでトップを走行していたが、周回遅れのジャン-ルイ・シュレッサー(ウイリアムズ)と接触し、ストップしてしまう。プロストもすでにエンジントラブルでリタイアしていたため、優勝はゲルハルト・ベルガー(フェラーリ)の手に。シーズン全勝という大記録は、寸前のところで果たされることはなかった。
セナと接触したジャン-ルイ・シュレッサーは、1968年にF1フランスGPでホンダF1マシンをドライブし、事故死したジョー・シュレッサーの甥にあたる人物。F1では4戦にエントリーして決勝出走1回と目立った成績は収められなかったが、WSPC(世界スポーツプロトタイプカー選手権)で2度チャンピオンに輝くなど(1987年と1988年)大活躍。後年はダカールラリーで優勝するなど、ラリードライバーとして活躍した。
Katsuyoshi Kobayash
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フリー走行2回目 | 結果 / レポート | |
9/21(土) | フリー走行3回目 | 結果 / レポート |
予選 | 結果 / レポート | |
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※シンガポールGP終了時点
1位 | マックス・フェルスタッペン | 331 |
2位 | ランド・ノリス | 279 |
3位 | シャルル・ルクレール | 245 |
4位 | オスカー・ピアストリ | 237 |
5位 | カルロス・サインツ | 190 |
6位 | ルイス・ハミルトン | 174 |
7位 | ジョージ・ラッセル | 155 |
8位 | セルジオ・ペレス | 144 |
9位 | フェルナンド・アロンソ | 62 |
10位 | ニコ・ヒュルケンベルグ | 24 |
※シンガポールGP終了時点
1位 | マクラーレン・フォーミュラ1チーム | 516 |
2位 | オラクル・レッドブル・レーシング | 475 |
3位 | スクーデリア・フェラーリ | 441 |
4位 | メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム | 329 |
5位 | アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム | 86 |
6位 | ビザ・キャッシュアップRB F1チーム | 34 |
7位 | マネーグラム・ハースF1チーム | 31 |
8位 | ウイリアムズ・レーシング | 16 |
9位 | BWTアルピーヌF1チーム | 13 |
10位 | ステークF1チーム・キック・ザウバー | 0 |
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