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F1エンジンビルダー創立者ハート氏が死去
2014年1月7日
元レーシングドライバーであり、その後F1エンジンビルダーとして活躍したブライアン・ハート氏が病気のため死去した。77歳だった。
ハート氏はレーシングドライバーとしてのキャリアの後、エンジンビルダーに転身した。
1969年、ブライアン・ハートLtdを設立。さまざまなカテゴリーにおいて他のマニュファクチャラーのエンジンのチューニングおよびサービスに携わり、フォーミュラ2においてフォードエンジンを手がけた。
フォードがF2から撤退した後、ハートは自身のエンジンを開発、トールマンチームと提携し、1980年にはヨーロッパF2選手権でランキング1位と2位を獲得という、大成功を収めた。
これによってチームは1981年にF1に参戦、少ない予算で苦労するが、1983年、ハートの415Tターボエンジンを使用するトールマンは数回にわたり入賞を達成。1984年にはハートはRAMやスプリットにもエンジンを供給、トールマンのアイルトン・セナが自身およびハートにとって初となる表彰台を獲得した
1985年、トールマンはテオ・ファビによって初のポールポジションを獲得する。しかし大手メーカーが多額の資金で戦うなか、ハートは1986年でF1から撤退することとなった。
しかし1993年、ハートはV10 3.5リッターNAエンジンをジョーダンに供給する形でF1に復帰。1994年にはルーベンス・バリチェロが表彰台とポールポジションを獲得している。
1995年はフットワークと提携し、ジャンニ・モルビデッリによってF1で最後となる表彰台を獲得した。
1996年にはフットワーク、1997年にはミナルディにエンジンを供給したが、この年、ブライアン・ハートLtdはトム・ウォーキンショー・レーシングに買収され、F1の世界から「ハート」の名前が消えることとなった。
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※メキシコシティGP終了時点
| 1位 | ランド・ノリス | 357 |
| 2位 | オスカー・ピアストリ | 356 |
| 3位 | マックス・フェルスタッペン | 321 |
| 4位 | ジョージ・ラッセル | 258 |
| 5位 | シャルル・ルクレール | 210 |
| 6位 | ルイス・ハミルトン | 146 |
| 7位 | アンドレア・キミ・アントネッリ | 97 |
| 8位 | アレクサンダー・アルボン | 73 |
| 9位 | ニコ・ヒュルケンベルグ | 41 |
| 10位 | アイザック・ハジャー | 39 |
※メキシコシティGP終了時点
| 1位 | マクラーレン・フォーミュラ1チーム | 713 |
| 2位 | スクーデリア・フェラーリHP | 356 |
| 3位 | メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム | 355 |
| 4位 | オラクル・レッドブル・レーシング | 346 |
| 5位 | ウイリアムズ・レーシング | 111 |
| 6位 | ビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チーム | 72 |
| 7位 | アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム | 69 |
| 8位 | マネーグラム・ハースF1チーム | 62 |
| 9位 | ステークF1チーム・キック・ザウバー | 60 |
| 10位 | BWTアルピーヌF1チーム | 20 |
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