アレックス・ブルツは、今季末限りでレース活動から引退することを発表し、ウイリアムズでの将来に関する憶測に終止符を打った。
ブルツは今年ウイリアムズでひさびさにレースに復帰した。カナダでの3位とニュルブルクリンクでの4位は、それ以外の不本意なパフォーマンス、特に予選での不振によってほろ苦いものとなった。
今回の中国GPを前に、ブルツの将来がフランク・ウイリアムズによって疑問視されたことで、ブルツが今年限りでの引退を発表するべき時だと決断したのだろうとパドックではウワサされている。
10年間のF1生活を終えるブルツは、1997年にベネトンでゲルハルト・ベルガーの代役としてデビュー。シルバーストンで3位フィニッシュを達成することで、この短い期間に世間の注目を集めた。
1998年にレースシートを得たブルツは、ベネトンのレギュラードライバーとして3年間を過ごした。しかしその年、最初の9戦で7回のトップ5を記録するという好調なスタートを切ったにもかかわらず、ベネトンではふたたび表彰台に乗ることはできなかった。
2000年末でベネトンを解雇されたブルツは、2001年からオリビエ・パニスに代わるマクラーレンのテストドライバーに採用された。ブルツはこの役目を5年間にわたってこなした。
2005年に1度だけ、負傷したファン−パブロ・モントーヤの代役としてレースに出場した際に、キャリア2度目の表彰台を獲得したが、ブルツはこの年の末にウイリアムズのテストドライバーへと移籍した。チームの「第3ドライバー」として成功を収めた彼は、2007年に第1ドライバーに昇進し、ニコ・ロズベルグの若さに対して、経験をもたらすことになった。
ところが、カナダやニュルブルクリンクのような予想外のレースではその経験が助けになったものの、ブルツは同僚のロズベルグの素晴らしい速さに匹敵するのが難しく、その将来を疑問視されてしまった。そして、この疑問に33歳のブルツは応えたのだった。
今や注目は、誰が彼の後任を務めるのか、ということに移っている。テストドライバーで、トヨタの支援を受ける中嶋一貴がまず候補に挙げられたが、エイドリアン・スーティル、ネルソン・ピケJr、ビタントニオ・リウッツィらも、やはりかなり有力視されている。