今から29年前、1977年のイギリスGPでF1にデビューしたルノーは、今回その同じシルバーストン・サーキットで200回目のF1出走を達成する。
ジャン−ピエール・ジャブイユが、“イエロー・ティーポット”のニックネームで知られたRS01ターボカーを21位で予選通過させたが、ターボの故障のために17周でリタイアを余儀なくされた。当時はターボエンジンの信頼性が低く、チームは嘲笑の的となっていたが、今、ルノーF1は信頼性とパフォーマンスを表す代名詞となり、ダブル世界チャンピオンとしてシルバーストンに向かおうとしている。
2006年は、ルノーにとって、F1コンストラクターとして14年目の参戦となる。ルノーは、1977年〜85年と2002年〜2006年に参戦しており、この間に30勝と47回のポールポジション、24回のファステストラップを達成、1度のコンストラクターズチャンピオンと、フェルナンド・アロンソのドライバーズタイトルを獲得している。
今回のシルバーストンがちょうどグランプリ“出走”200戦目となるわけだが、ルノーがグランプリに参加して200戦目にあたるのは、4週間前のバルセロナだった。1979年のアメリカGPウエスト(ロングビーチ)で予選通過できなかったことと、そしてご存じのとおり、去年のインディアナポリスでも出走できなかったことで、2戦のずれが生じている。
注目すべきことに、ルノーは“ワークスチーム”としては、シルバーストンでは苦戦してきており、ターボ時代には1勝しかしていない(1983年のアラン・プロストの優勝のみ)。そして、2002年の復帰以来、ベストリザルトは去年のアロンソの2位だった。ポールポジションは、ルネ・アルヌーが1981年に記録、アロンソが去年、チーム2度目のポールポジションを獲得している。しかし、エンジンマニュファクチャラーとしては、ルノーはシルバーストンでもっと輝かしい歴史を持っている。1991年から97年に、ウイリアムズとベネトンのパートナーだった時代に、7連勝を挙げ、イギリスの英雄であるナイジェル・マンセル、デイモン・ヒル、ジョニー・ハーバートや、プロスト、ジャック・ビルヌーブらによって、表彰台の一番上に登った。
ルノーは、2006年のシルバーストンには、タバコスポンサー禁止の場所で使用する、ユニークなカラーリングを初めて使用する。台湾のデザインスタジオDEMが、虎のモチーフをデザインした。虎は古代中国では守護の力を持つものと考えられており、戦場の皇帝たちを守った力が、アロンソとジャンカルロ・フィジケラにもたらされるようにと意図されている。去年のフランスGPでのフェニックスのロゴと同じチームが考えたもので、虎の目がフロントとリヤのウイングに描かれ、サイドポッドには、かがみ込んで跳躍しようとしている虎が描かれるという。