ジャガー・レーシングのチーフエンジニア、マルコム・オースラーがモータースポーツの世界から身を引くことになった。
モータースポーツの世界で20年にわたり成功を収めてきたオースラーだが、レースの世界を離れ、家族とともに母国オーストラリアに戻ることに決めた。
「レーシングカーを手がけ、素晴らしい20年間を過ごすことができたが、永久にやれる仕事ではない」とオースラー。「技術的な仕事もみんなのことも大好きだが、南の太陽やビーチの魅力にはかなわなかった」
シドニー大学でメカニカル・エンジニアリングの学位を受け、85年イギリスでFF1600やFF2000のメカニックを務めると共に、FF2000では短い期間ではあったがレースにも出場した。86年にはレイナードに加入、フォーミュラ・フォードのマシンのデザインにかかわり、88年にはエイドリアン・レイナードと共にF3000シャシー製作に携わり、彼のマシンはインターナショナルタイトルを 5回獲得した。
94年にはデザインチームを率いてチャンプカーを製作、95Iシャシーはインディ500を含む優勝8回を獲得した。98年までの5年間に、オースラーとレイナードのデザインチームによるCARTマシンは、4回のタイトルと50勝を獲得した。
さらにオースラーは、BARでテクニカル・ディレクターを務め、最初の3台のマシンを手がけた。その後、ジャガーにR4のデザインコンサルタント役として加入、2003年にはチーフエンジニアの役職に就いた。
「これまでのキャリアを通じて共に働いたすべての人々に対し、深い感謝の念を抱いている」とオースラー。
「特に、ジャガー・レーシングのみんなには心からお礼を言いたい。今回の決断は私にとって簡単なものではなかった。ジャガーでチームの競争力アップのために働いてきた時間は、ずっと楽しいものだった。去年の一番の目標はコンペティティブなマシンを作ることだったが、ジャガーR5にはその結果が表れていると信じている。今シーズンを通して広範囲にわたり開発プログラムを続けていくことで、努力の結果がさらに開花していくはずだ」
2003年のR4のコンセプトを手がけ、今年型R5の開発で重要な役割を果たしてきたオースラーは、6月中旬でジャガー・レーシングを離れることになる。
「我々のプログラムに貴重な貢献をしてくれたマルコムが離脱するのは悲しい」とジャガー・レーシングのマネージング・ディレクター、デイビッド・ピッチフォースは語る。「今後の彼の活躍に幸運を祈りたい。彼は20年以上もの間、モータースポーツにおいて多大なる貢献を果たしてきた。彼のデザインはフォーミュラ・フォード、F3000、インディカー、F1で成功を収めてきた」