【訃報】元ロータスF1のドライバー、レイネ・ウィセルが亡くなる。享年80
2022年3月22日
1970年代初期にF1でレースをしていたレイネ・ウィセルが、80歳で亡くなった。
スウェーデン出身のウィセルは、同郷で人気のあったロニー・ピーターソンとともに下位カテゴリーから昇格を果たしていった。ウィセルはロータス創設者のコーリン・チャップマンから高く評価され、1970年にヨッヘン・リントがモンツァで悲劇的な死を遂げた後にチームに呼ばれた。
ウィセルはチーム・ロータスの72Cを託され、1970年の世界選手権の最後の2ラウンドに当時若手仲間だったエマーソン・フィッティパルディとともに参戦した。ウィセルは目覚ましい活躍を見せ、ワトキンズ・グレンでのF1デビュー戦で表彰台フィニッシュを飾った。
翌年ウィセルはロータスに留まり、1971年のオーストリアGPをベストリザルトとなる4位でフィニッシュした。1972年はBRMチームから6レースに参戦。その後ロータスに戻り、シーズン最後の2レースに参戦した。しかしウィセルのグランプリドライバーとしてのキャリアはその後勢いを失った。
1973年にはプライベーターのマーチから1回のみのスポット参戦をし、1974年にふたたびマーチから参戦した母国でのレースを最後にF1から去った。
同時代の多くのドライバーと同様に、ウィセルはスポーツカーやツーリングカーレースでも才能を発揮し、さまざまな成功を収めた。
 晩年もモータースポーツとのつながりを保ち、アロウ・マクラーレンSP所属のフェリックス・ローゼンクビストなど急成長中のスウェーデンの若手ドライバーたちに助言を与えていた。ローゼンクビストは、フェイスブックでウィセルに対する心のこもった追悼の意を表した。
この記事は f1i.com 提供の情報をもとに作成しています
(autosport web)
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