あのリジェの名前が今年下旬、モータースポーツ界に戻ってくる。ギィ・リジェが、フランスのシングルシーターコンストラクター、オートモービル・マルティニの筆頭株主になることを明らかにした。
マニ―クールのサーキットを一望できるオフィスを構えるリジェは、今後もこれまでの活動を続けていくが、マネージングディレクターであるフィリップ・リジェは以前から事業拡大を望んできた。テクニカルマネージャーには、かつてザウバーとプロストに在籍したジル・アレゴーが就き、多くのシングルシータープロジェクト開発をコーディネートしていく。
また、元レイナードとBARのスポークスマン、リック・ゴーンが、コマーシャルヘッドの就任要請を受諾、マシン製造の世界にカムバックする。
かつてのライバル、チコ・マルティニと力を合わせることになったリジェは次のように語った。「各コンストラクターズチームは私たちの販売するシングルシーターに満足することだろう。オートモービル・マルティニの造る新しいマシンには私の名前がつくことになった。私たちはまた、世界中のドライビングスクールにマシンを売ろうと考えている。リックの名声は国際的に確立されている。私たちの戦略において、彼はとても重要な人物だ」
ゴーンは世界にある生産ラインの代表を務める。彼は元レイナードのゼネラルマネージャーで、BAR F1チームを創設した3人のうちの1人でもある。BARを離れてからは、イギリスでドライバーマネージメント会社ゴーマンを作り、これまでマルク・ジェネ、アンソニー・デビッドソン、マリオ・ハバーフェルド、ジャスティン・ウイルソンらをマネージメントしてきた。
ギィ・リジェは、1971年の会社設立時、2本のチェッカーフラッグを会社のロゴにした。時代が移り変わったいまも、その有名なロゴは健在だ。
リジェはフランスのレース史に欠かせない存在である。1975年、リジェ・スポーツのJS5がル・マン24時間で2位になると、翌年F1に参戦。1977年から96年の間に9回の優勝を果たし、1980年にはコンストラクターズ選手権で2位の成績を挙げた。1996年には、オリビエ・パニスがJS43を駆り、モナコで歴史的勝利を収めた。
その後に、リジェ・スポーツは元F1世界チャンピオンのアラン・プロストによって買収され、チームの名前もプロストチームとなったが、2002年にプロストチームは解散した。
リジェの新しいマシン、MK84は、チコ・マルティニが直接開発指導してきた。安価なデザインを新しいコンセプトとし、硬くて強いカーボンモノコック、6速セミオートマチックギアボックス、パドルシフトなどが搭載されている。基本パーツが安価なため、メンテナンス費用も最小限に抑えられる。
1台目のマシンは、9月25日〜10月10日まで開催されるパリ国際モーターショーのリジェのブースで展示される。