元F1ドライバーのジャン・アレジは、ミハエル・シューマッハーが昨シーズン限りでF1を引退したのは正しい決断だったと述べた。非常にコンペティティブなパフォーマンスがまだ十分可能であることを示していたにもかかわらずだ。
1989年から2001年にかけてF1をドライブしていたアレジは、フェラーリ、ベネトン、ティレル、ザウバーなど、数々のチームを経験したが、イタリアのラ・ガゼッタ・デロ・スポルト紙によれば、ドイツのアウト・モーター・ウント・シュポルト誌に対して、次のように語った。シューマッハーはシーズン最終戦のブラジルGPで輝きを見せたが、もはや改めて証明すべきものは残っていなかった。彼は7回のチャンピオンと共に、91回の優勝と68回のポールポジションを獲得した、F1史上最高の記録を誇るドライバーであるので、実際驚くほどのことはなかった、ということだ。
「彼(ミハエル・シューマッハー)は(引退に)最適の時を選んだよ」とアレジは語った。「最後のレースの後、彼が永遠に続けて行けそうだと言った人たちもいたけれどね。でも、彼は歳を取りすぎてきた、と言う人たちが多くなっていたことも思いだす必要がある」
シューマッハーの後任となるキミ・ライコネンについては、フェラーリでの生活を楽しめるだろうと、アレジは考えている。「フェラーリはF1で最高の場所だ。ライコネンには、天国が待っているよ」とアレジは付け加えた。
「あるとき、僕がイタリアのフリーウェイでストップしたとき、(フェラーリと契約したばかりだったので)誰も僕に気づかないだろうと思っていた。なのに結局、1時間もサインし続ける羽目になった。フェラーリのドライバーだから、というだけの理由でね。フェラーリにいれば愛されるんだよ」
「ティフォシは、スクーデリアにいることがどれほど特別かを気づかせてくれる。フェラーリドライバーであるということは、ドクターであるようなもので、世界中で本当に敬われるんだ」
しかし、アレジが1991年にフェラーリに加わる決断をしたことは、代償も伴っており、1995年のカナダGPで唯一のF1優勝を経験したものの、ウイリアムズへ行かなかったことで、もっと優勝したりタイトルを獲ったりするチャンスを失ってしまった。
「もし(フェラーリでなく)ウイリアムズへ行っていたら、たぶんワールドチャンピオンになれただろう」とアレジは続けた。「しかし、死ぬことにもなったかもしれない。セナはウイリアムズでドライブしたがっていたが、(1994年に同チームに加入してから)死んでしまった。(もしウイリアムズに行ったら)僕の運命がどうなっていたかわからないよ」
アレジは2001年末にF1から引退し、その後、昨年末までDTMに参戦していた。今年はもっとゆっくりする見込みだが、いくつかのスポーツカーイベントに参加するという憶測もあり、プジョーからル・マン24時間に出場するとも言われている。