今宮雅子氏による2016開幕戦オーストラリアGPの焦点。挑戦者フェラーリの戦いぶり、母国でレッドブルの強みを活かすために攻めたリカルド、フェルスタッペンの成功と失敗、そして初出場で初入賞を果たしたハースとグロージャンの歓喜──メルボルンの主役たちを描く。
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セバスチャン・ベッテルのフェラーリが2台のメルセデスの間を抜けてトップに立った瞬間、世界中のテレビの前で、どれだけの歓声が上がっただろう? フェルナンド・アロンソが大破したマシンから自力で脱出してきたときには、みんなの心が深い安堵に包まれた。ダニエル・リカルドがターン1でオーバーテイクに成功すると、メインスタンドで起こった歓喜がサーキット全体に広がる。笑顔で表彰台に上がった3人と、祝福の色彩があふれるホームストレート……。
大切なことが、たくさん詰まったオーストラリアGPだった。壮大な“スポーツ”が本領を発揮すると、それを人為的に操作しようという意図が、どれだけ卑小であるかが明確になった。紆余曲折の道を歩んできた技術規則のなかでも、このスポーツを可能にしている最重要項目=ドライバーの命を守るための構造と技術は、着実に歩を進めてきた。
スタート時の最大のできごとは、ポールポジションのルイス・ハミルトンがホイールスピンを起こして出遅れたこと。「それ以上にターン1でアウトに追いやられて、さらに2〜3台に抜かれたことが大きかった」とニコ・ロズベルグの動きを指摘したが、逆の立場では何度もチームメイトをグリーンに追いやってきたのだから、ニコが悪いとは言えない。
おかげでフェラーリの2台はワンツーのポジションを確保。「あの時点では(期待外れだった)昨日の予選を忘れることができた」と、ベッテルが振り返った。
17周目のターン3、エステバン・グティエレスとフェルナンド・アロンソの大事故によってもたらされた赤旗は「トップを走ってレースをコントロールする」優位性をベッテルから奪った。でも、たとえ自分には不利に働いたレース中断でも、ベッテルにとって何より大切だったのはアロンソとグティエレスが無事であったこと──自分たちも同じリスクを背負って挑戦しているのだから、ドライバーは全員が同じ気持ちだったはずだ。
「デブリもたくさん落ちていたし、赤旗は正しい判断だった」
大切なのは、残り39周のレースに集中することだった。
もしもフェラーリが、メルセデスと同じようにミディアムタイヤ1セットで走り切る選択をしていたら、ベッテルは首位を守れたかもしれない。ただし、硬いコンパウンドほどメルセデスに有利に働くという経験を、フェラーリは痛いほど重ねてきた。ミディアムの走行データは昨年のものがあったとしても、それで「うまくいった」というデータがないのだ。メルセデスにとって堅実な選択であっても、フェラーリにとってミディアムはリスクを含んだタイヤだった。