ピエール・デュパスキエは、28年間、ミシュランのモータースポーツ部門を率いてきた。ものすごい早さで変化し続けるモータースポーツ界にあって、気の遠くなるような歳月だ。だが、今シーズンいっぱいで引退することを決意しており、上海での中国GPがラストレースとなった。
デュパスキエは、外面的な優しさに冷酷さを隠して部下を率いてはいたが、何にもまして、茶目っ気のある笑顔とユーモアのセンスがあり、その素質のおかげで、世界中のパドック内とサービスエリアで、飛び抜けた人気者になっていた。本人とそのチームの熱心さは、今年、F1、MotoGP、WRC、ル・マン24時間レース、ダカールラリーの各タイトルに反映し、見事に報われた。彼ら全員に相応しい実績だ。だが1973年当時、ミシュランでモータースポーツ部門の立ち上げを思いついたデュパスキエこそ、その成果が相応しいと言えるだろう。
「F1で2度目のタイトル獲得に成功したフラビオ・ブリアトーレとルノー・チームの全員に、お祝い申し上げる」とデュパスキエ。
「彼らは、シーズンを通して必要な競争力のある素晴らしいマシンパッケージを作り上げた」
「この称賛は、ミシュランにとって信じられないような1年間に貢献してくれた我々のパートナー全部にも値するであろう。私は今シーズン末には引退するつもりだが、最後に並外れた好成績がもたらせた数々の心温まる記憶とともに、去っていくことができる。しかしながらミシュランは、その栄誉の上にあぐらをかくことはない。2006年にも同様の偉業を達成せんと、火曜日には重労働を再開するはずだ。彼らの、そして全てのパートナーの健闘を、心から祈っている」
デュパスキエが先見の明を発揮し始めたのは、初めて主導権を握ったシーズン1年目からであった。その年、ミシュランはアルパイン・ルノーでWRCのマニュファクチャラーズ・タイトルを獲得し、さらにマン島TTレースではジャック・フィンドレーが2輪での初優勝を遂げている。
今日のデュパスキエへとつながる長くて華々しい優勝記録の数々は、その2勝から始まった。28年間のモータースポーツ活動において見届けた世界選手権タイトルは、ほぼ180回にも上る。その内訳は、ラリーでのおよそ30回、F1での7回、2輪で55回、さらにスーパーバイクで11回、クロスカントリーラリーでの19回となっている。
デュパスキエは口癖のように、ミシュランの強さは“パートナーの言うことに耳を傾け、どんな状況にも適合させる”能力にある、と述べてきた。そのキャリアで獲得した1300勝、世界タイトル180回という数字を見れば、自身が素晴らしい聞き手だったのは明らかだ。パートナーの意見にじっくりと耳を傾けること、蓄積してきたデータを解析すること、全チームが間違いなく導き出された結論に理解を示していること。秀でて長きに渡るキャリアを通じて、彼はそれらの重要性を正しく理解していたのだ。また、いつも目標に掲げていたのは、たったひとつ、ミシュランのために、競争力の高いタイヤを刻一刻と開発することだった。
ミシュラン社主代表兼CEO、エドワール・ミシュランは次のように述べ、デュパスキエの伝説的な献身ぶりをいっそう際立たせた。
「ピエールのミシュランに捧げてきた尽力と、団結心、勤労意欲、誠実さ、パートナーへの敬意など、彼が示してきた価値観に対し、感謝の意を表明する」