ルノーは7月1日、1979年のF1初勝利から25周年を迎える。今年のフランスGPでは25周年を祝うイベントを行う予定だ。
ルノーにとって歴史的1日となった日のドライバーはジャン−ピエール・ジャブイーユ。ビリー−シャティヨンの本部で副マネージングディレクターを担当するベルナール・デュドは、初期のルノーは、複雑なターボテクノロジーに正面から取り組むべく、夜を徹しての作業がかなり続いたと言う。1977年のイギリスGPでRS01を初めて走らせた2年後、ルノーは苦難を乗り越えてF1初優勝を果たした。
ジャブイーユは次のように述べた。「ルノーはターボエンジンという新テクノロジーに興味があった。もしも、コスワースのようなV8エンジンを作るだけのことだったら、F1へは参加しなかっただろうね。みんな、新しいテクノロジーに取り組んでみたいと思っていた。とはいえ、当時はミシュランのラジアルタイヤの開発も行っていたので、短い時間の中、複雑で膨大な仕事をこなさなければならなかった。新エンジンは、開発だけすればいいという問題ではなかった。ドライバビリティの問題を乗り越えなければならなかった。ベンチの上でパワーが証明されても、実際にマシンに載せて使い物になるとは限らないからね」
1979年、RS01に比べて飛躍的に進化したマシン、RS10が完成した。このRS10は、前年にロータスが採用した“ウイングカー”を模して、サイドポンツーンをウイング形状にしたため、空力面がとりわけ進化した。モナコGPで導入したツインターボにより、エンジンはそれまでよりさらに1200rpmほど上まで回るようになり、ターボラグもかなり解消された。
「ディジョンについたとき、とても自信があった。前の月にGP本番のフル・シミュレーションを行い、レースディスタンスをノートラブルで完走していたからね」とジャブイーユ。「本番ではポールを獲得した。でも、決勝のスタートでは穏やかな気分だったよ。私はそんな感じだったけれど、周りは明らかにプレッシャーを感じていたね。みんなかなりストレスを感じていた!」
当日は3番グリッドのジル・ビルヌーブが、スタートからレースをリードするが、ジャブイーユは焦ることなく、着実にタイムを刻んだ。
「あの当時は、レース途中の給油やタイヤ交換はなく、スタートからフィニッシュまでノンストップだった。燃料は220リッター積み、タイヤにずいぶん気を使いながらゴールまで辿り着いたものさ」
ルノーは47周目にトップに立つと、そのままフィニッシュした。それにしてもフランス人であるジャブイーユは、地元フランスGPでフランスのメーカーであるルノーの初優勝とあって、最後の数周はかなり緊張したのではないだろうか?
「ああ、もしかするとマズイことになりかねなかったからね! 色々な問題を抱えていたので、あらゆる事を目と耳で確認しながら、マシンをいたわってドライブを続けていた。でも、スピードは落とさないように努めた。ジルとルネ(アルヌー)が近くまで追い上げていたからね」
「マシンを降りた時に初めて、とてつもないことをやったんだと分かった。本当に嬉しかったよ。その時までは、嬉しいけれど疲れたという感じだった。高速サーキットでウイングカーをドライブするのは楽じゃないからね」
79年のフランスGPと言えば、ビルヌーブとアルヌーの接戦を思い出す人が多くいるが、その日はルノーにとって記念すべきF1初勝利の日となった。以来、勝利を重ね、今年はヤルノ・トゥルーリがモナコGPで優勝した。
デュドは次のように語る。「初勝利の日はとても重要な1日となった。この日の勝利で、ルノーは勝負に対する炎を俄然燃やし始めた。そして、チームは徐々に規模を大きくすると同時に、パフォーマンス面でも進化していった。1983年はあと一歩のところでタイトルを逃してしまったが、恐らく準備不足だったんだ。でも、この時がきっかけとなって、F1から一旦退いた後、1989年に理想的な状況のもと、エンジンサプライヤーとして復活を遂げることができた」
初優勝の日はかなり昔となったが、デュドは、その日があったからこそ今日のルノーF1チームがあると語る。
「初優勝以来、私たちはF1にコミットし続けてきた。優勝を目指して日々努力しているが、失敗も目を逸らさず受け止めている。F1は、極めて単純に、人間が行うスポーツだ。ターボ時代であろうと現在のレースであろうと、重要なのは人間である。いまの巨大自動車メーカー時代であっても、私たちは相変わらず小さなチームとして、2週間置きにレーストラックで戦っている」
「だから、いつになっても退屈しないんだと思う」