2005年のF1最終戦、中国GPが行われ、ルノーのフェルナンド・アロンソが優勝。2位にはマクラレーンのキミ・ライコネンが入ったが、コンストラクターズタイトルはルノーのものとなった。3位にはラルフ・シューマッハーが入りトヨタは表彰台を獲得した。BARの佐藤琢磨はリタイア、ジェンソン・バトンは8位。トヨタのもう1台ヤルノ・トゥルーリは15位でレースを終えている。
スターティンググリッドへと向かう走行中にミハエル・シューマッハーとクリスチャン・アルバースが接触し、スペアカーに変更、ピットスタートと思わぬ展開で幕を開けた今年最後のF1決勝戦。フォーメーションラップ中にナレイン・カーティケヤンがピットへと行き。これで3台がピットからのスタートとなった。
シグナルが消え、全車一斉にスタートを切ったが、佐藤琢磨がコースアウト側から5台を抜いて12番手まで浮上するジャンプアップを果したが、これは結局フライングという裁定が下され、ドライブスルーペナルティーが科されることとなった。ポールからスタートしたフェルナンド・アロンソはトップの座を守ると、ハイペースでの走行を続ける。
2番手にはチームメイトのジャンカルロ・フィジケラがつけ、アロンソは安心して後続とのバトルをフィジケラに任せさらにペースアップ、8周でフィジケラとの差を9.2秒にまで広げる。フィジケラのすぐ後の3番手にキミ・ライコネン、続けてファン-パブロ・モントーヤとルノー1-2、マクラレーン3-4とコンストラクターズタイトルを争う2チームがバトルを繰り広げているが、序盤戦の主導権はルノー陣営が握った。
ペナルティーを科された琢磨は最後尾から“格下”のドライバーたちを次々とパス、8周目にアルバース、10周目にカーティケヤン、11周目にはロバート・ドーンボスを抜き、スタートポジションの17番手にまで回復。6秒前にいるM.シューマッハーを追いつめる。
トヨタ勢はスタートから15周が過ぎ、ラルフ・シューマッハーが8番手、ヤルノ・トゥルーリが10番手と予選順位からわずかだが、ポジションアップを果した。レースがおよそ1/3となる18周目にピットストップを行うチームが出てきて、アルバース、デイビッド・クルサード、トゥルーリ、ドーンボス、ティアゴ・モンテイロがピットイン。翌周にはモントーヤ、ジェンソン・バトンもピットインするが、モントーヤはフロント右タイヤを交換。コース上の落下物(後に排水溝のカバーと判明)を踏みタイヤにダメージを受けた模様。
このモントーヤの作業と同時にセーフティーカーが導入され、この間にM.シューマッハー以外の全ドライバーがピットに入る。モントーヤはタイヤ交換の作業に続き、今度は給油のためにピットに入り、大きくポジションを落としてしまった。これでさらにルノーは有利な展開でレースは進むこととなった。
長く続くセーフティーカー走行の間にM.シューマッハーがなんとスピンしてコースアウト、グラベルにマシンがストップしてリタイア第1号として今年最後のレースを終えた。
25周目にレースが再開され、その時点での順位はアロンソ、フィジケラ、ライコネン、バリチェロのトップ4、モントーヤは再度ピットイン。マシンはガレージへと入れられてしまった。これで、ルノーの1台が脱落しない限り、マクラーレンのコンストラクターズタイトル獲得の目はなくなった。
レースが半分となる28周が終わったところでの順位はアロンソ、4.2秒離れフィジケラ、1.6秒差でライコネン、3.9秒後方にバリチェロ、0.8秒差でR.シューマッハー、0.6秒離れてウエーバーのトップ6。以下、ジェンソン・バトン、デイビッド・クルサード、フェリペ・マッサ、クリスチャン・クリエンが10番手までのオーダー。
しかし、30周目にカーティケヤンがコースアウトクラッシュ。コース上にクラッシュしたパーツを広範囲にわたってまき散らした上、わずかだが出火。再びセーフティーカーが導入される。ここでR.シューマッハー、マッサ、クリエン、佐藤琢磨を除いてピットインを行ったため琢磨の順位は8番手へと浮上。フィジケラはピットイン時に後続を大きく抑えるほどのスローダウン走行を行ったことで、審議の対象となり、のちにドライブスルーペナルティーが科されることになる。
35周目にセーフティーカーが戻り、レースが再開。しかしここで琢磨がスローダウン。このレース4人目のリタイアとなる。