自らの苦労を明るく表現することを厭わない。天性の感覚を備えたドライバーだ。雨のスパ・フランコルシャン、プーオンの入り口で思いきり良くステアする様子を見た時、あるいはモンツァの第1シケインでブレーキを失った時のコントロール能力を目にした時には、心から驚いた。本人は「すべて本能で反応していること」と言う。「あぁ、駄目かもしれない! という状態から、マシンを取り戻す瞬間の感覚が大好きなんだ。本当に駄目になっちゃうこともあるけど」と笑う。
ロシア生まれでも、ドライバーとして育ったのはイタリア。レースするためにひとりイタリアの家庭に身を寄せた息子を、父は堅実に、けっしてでしゃばることなく支えた。日本料理が大好きで、初めての日本GPを前にして「鈴鹿には高速コーナーと寿司があるから、日本はいいところに違いない」と表現するセンスは抜群。トロロッソ、レッドブル、トロロッソと浮き沈みの激しいキャリアを積みながら、辛い時にも「何より危ないのは僕のシートかもしれない」と口にする、愛すべき素直さもクビアトの魅力だ。
14番手からスタートしたドイツGPでは、ポイントに手が届きそうで届かないポジションをずっと走行していた。
「1回目のドライへの交換(25周目)はタイミングを間違った。でも2回目にスリックに履き替えた時(45周目)は完璧なタイミングだと思ったし、他のドライバーがピットインしないのを見て“僕らのものだ”と感じた」
「この数年間、時には本当にタフな時間を過ごしたし、僕にとってF1はもうお終いかもしれないとも感じた。たぶん、表彰台なんてもう2度と経験できないだろう……とも。でも、諦めずに必死で頑張れば可能だということを、人生は教えてくれた。今日は、苦しかったこの3年間が、僕の肩で砕け去ったように感じる」
彼がチームに戻った時、トロロッソが示した歓迎は本物だった。誰もが、クビアトを弟や息子にように感じ、苦悩を共有し、心からの愛情を持って声援を送っていたから。
ベッテルのフェラーリ移籍によって、突然レッドブルへの昇格が決まったクビアト。その後の苦しい状況は、ダニエル・リカルドの移籍によってトロロッソでの経験を十分に積まないまま、レッドブルに昇格したピエール・ガスリーにも似ている。フェルスタッペンが活躍するとガスリーへの批判が集まるが、5年目のF1を戦う同世代の先輩が口にした「経験」が、トップチームほど重い意味を持つことを忘れてはならない。クビアトの笑顔から、ファンはガスリーの困難と努力を感じ取ってほしいと思う。
罠に満ちたレースを無事に走り抜いて、表彰台を待つ控え室ではフェルスタッペンもベッテルもクビアトも上機嫌──。それくらい、難しいレースだった。罠に足を取られたライバルを見て優越感を得ようなどと、誰も思わない。サバイバルレースを勝ち抜いた達成感のなかで、リタイアしたドライバーたちもまた、ほとんど理不尽なコンディションのなかで戦った仲間なのだと、表彰台の3人は感じていたに違いない。
屈託のない無邪気なシャンパンファイトが、ホッケンハイムの空を明るくした。
XPB Images
(Masako Imamiya)