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フェラーリを2度甦らせたゲルハルト・ベルガー。彼が見ていた1994年と『412T1』、そして跳ね馬の未来と現実

2024年3月18日

 ゲルハルト・ベルガーというドライバーは不思議な男だ。チャンピオンの器か? と問われれば自信を持って「YES」とは言い難い。とはいえ、彼は速いし、しっかりレースでも勝てるドライバーだ。現に“四天王”と呼ばれたチャンピオンたち(ネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、アイルトン・セナ)が支配していた時代のF1において、彼らに次ぐ勝ち星をあげた優良物件。アクの強い4人の猛者たちにも負けず自分のカラーを出して存在感を示したベルガーは、れっきとしたセナプロ時代の名バイプレイヤー。そんな彼の最大の魅力は見せ場を作れるドライバーだということだろう。


 1987年の日本GP、37戦も勝利から遠ざかっていたフェラーリを勝たせたり、翌1988年には、エンツォ御大が亡くなった直後の地元イタリアGPで勝ってしまったりと、主役たちの御株を奪うような見せ場を作る男、それがベルガーだった。


 陽気な性格も彼の魅力のひとつといえた。誰とでも分け隔てなく付き合える性格で、彼の周りにはつねに笑いが絶えない空気が漂っていた。ただ、1994年だけは違った。


 親友セナと同郷の後輩ローランド・ラッツェンバーガーを相次いで事故で失い、さらに同郷のカール・ベンドリンガーまで生死の境を彷徨う大事故に遭うなどして、ベルガー自身現役を続けるべきかどうか悩むほど、精神的にも追い詰められていた。それでもベルガーは走り続ける決断をした。自分にできることとして、フェラーリをふたたび復活させるために。そして、あのホッケンハイムのレースを迎える。


“フェラーリを2度甦らせた男”、人はベルガーを指してそう呼ぶ。チャンピオンにはなれなかったが、彼には人々の心を惹きつける不思議な力と魅力があった。そういう意味では間違いなく「持っている」男だった。


 毎号1台のF1マシンを特集し、そのマシンを織り成す様々なエピソードを紹介する『GP Car Story』最新刊のVol.47では、ベルガーが駆りフェラーリに約4年ぶりの勝利をもたらした412T1を特集。このページでは、現在発売中の最新刊『GP Car Story Vol.47 フェラーリ412T1』に掲載されるゲルハルト・ベルガーのインタビューを特別に公開。フェラーリを復活させるため、マクラーレンからの移籍の決断、ホンダへの技術協力の打診、そして、仲間に降りかかったアクシデントといかに向かい合ったのか、あれから30年、胸の内を赤裸々に応えている。


* * * * * * * * *


──あなたはフェラーリV12、ホンダV10とV12、そしてルノーV10など、主流のF1エンジンをすべて経験した数少ないドライバーのひとりです。最初に、簡単な比較から始めていただけますか。


ゲルハルト・ベルガー「ホンダのV12は、さすがにパワーがあった。でも、V10はよりコンパクトだからパッケージ的にすっきりしている。フェラーリV12はパワーはすごいが、かなりピーキーで、しかも回転域が狭かったね。ルノーV10は、ラップタイムの観点で優れていた。トルクがあったことと燃費の良さが要因さ」

跳ね馬を2度甦られた男──ゲルハルト・ベルガー。彼が見ていた1994年シーズンと愛機『412T1』、そしてフェラーリの未来と現実
1994年F1第4戦モナコGP 3位表彰台を獲得したゲルハルト・ベルガー(フェラーリ)


──あなたは1987年から89年にかけてフェラーリに在籍し、その後マクラーレン・ホンダを経て、1993年にふたたびフェラーリに舞い戻りました。その理由を教えてください。


ベルガー「フェラーリに戻ったのには、いくつか理由があった。まず最初にフェラーリは、やはりフェラーリだということ。これほど感情をかき立てるチームは、他にないからね。ふたつめはギャラがすごく良かったことさ。そして3つめは、私の経験があれば、スランプに陥ったフェラーリを救い出せると思った。レーサーメンタリティに欠けるというのが私の見立てで、スタッフの中にはフェラーリの神通力で勝てると信じてるような人もいたからね」


ベルガー「イギリスや日本のエンジニアたちがどれだけすごい仕事をしているのか、少し考えれば分かりそうなものなのに、あえて無視しているようなところがあった。だから、フェラーリ・エンジンは非力なんだよ、ということをチームに戻って真っ先に指摘したのさ。イタリアではさしずめ不敬罪に当たる発言だが、事実には真摯に向き合わねばならないと思ったんだ」


──ホンダの技術支援をフェラーリに導入した、という話は本当ですか。


ベルガー「ホンダの川本信彦(当時)社長と話す機会があって、彼が言うには少なくとも向こう4年はF1復帰はあり得ない、とのことだった。そこで私が、ならばホンダの技術でフェラーリを助けるのもありなんじゃないのか、と聞いたんだ。当時のフェラーリの社長、ルカ(・ディ・モンテゼモロ)は、私のアイデアは頭がおかしいと思ったらしいよ。でも、コンサルタントをやっていたニキ(・ラウダ)ははるかに実用的な考え方をする人で、諸手を挙げて賛成してくれた」


ベルガー「実は、東京まで出向いて直接ホンダと交渉に当たったのもニキなんだ。たしか1992年のクリスマス前後のことだったと記憶しているけど、ホンダの支援が受けられることになって、フェラーリ・エンジンが一気に80馬力くらいパワーアップしたから、私にしてみれば、『ほらね!』という感じさ。改良型のティーポ043エンジンは412T1に搭載され、サンマリノGP以降のシーズンを戦ったんだ」

跳ね馬を2度甦られた男──ゲルハルト・ベルガー。彼が見ていた1994年シーズンと愛機『412T1』、そしてフェラーリの未来と現実
412T1Bを駆り、F1第9戦ドイツGPで優勝したゲルハルト・ベルガー(フェラーリ)

■大きかったトッドの存在

──当時、フェラーリ製V12エンジンは、“伝説”とも謳われていました。あなたはどう評価していましたか。


ベルガー「あの時代を振り返ると、温かい気持ちになる。何と言ってもV12は、特別なエンジンだ。そのV12エンジンを1基、私は長いことモナコの自分のオフィスに飾っていたんだ。記憶が定かではないのだが、V12時代ももう終わりという頃合いに、確かアデレード(オーストラリア)で私が走らせたんじゃなかったかな。あの偉大なエンジンを思い出すたびに、つい顔がほころんでしまうんだよね」


ベルガー「エンジンサウンドがまるで天上の音楽を聴くようだった。残念なことに、開発が進み、パワフルになっていくにつれて、重量が増すと同時に信頼性が失われていった。燃費が悪く、どこよりも重いタンクで戦うしかなかったんだ。バランス的にも良くないと分かっていながらも、馬力を優先して妥協することもしばしばあった。その結果、ストレートでは速かったけど、おかげでコーナーでは苦しかったよ」


──そして、V12が歴史的使命を終える日がついに訪れました。


ベルガー「その兆候は早くから見えていた。F1が効率を追求する戦いに変わっていったと、言い換えることもできる。例えばベネトン・フォードのパッケージだと、20?は少ない燃料でレースを始められる。V8エンジンは軽くて短いから、マシン全体をスッキリまとめることもできるんだ。同じことが冷却系やその他の補機類にも当てはまり、すべてが軽量コンパクトにまとめられた」


──ちょうどその頃、ジャン・トッドがフェラーリに加わりました。彼について印象に残っていることはありますか。


ベルガー「新任のスポーティングディレクターという肩書だったけど、最初は少し心配していたんだ。トッドと(ジャン・)アレジはどちらもフランス人だから、ある種の連帯が生まれるんじゃないかと思ったのさ。しかし、トッドの頭にあるのはチームを良くすることだけだと、すぐに得心できた。フェラーリの復活は私がチームに加わった時ではなく、実はトッドの加入をきっかけに始まったんた」

跳ね馬を2度甦られた男──ゲルハルト・ベルガー。彼が見ていた1994年シーズンと愛機『412T1』、そしてフェラーリの未来と現実
伝説とも謳われたフェラーリのV型12気筒エンジン

■別次元の体験

──フェラーリとともに戦った1994年シーズンをあなたはどう総括しますか。


ベルガー「あの年はベネトンやウイリアムズに大きく後れを取っていた。ある意味で分かりやすいシーズンだったと思う。イギリス系のチームは、風洞に大きく依存する設計手法を取り入れていた。その一方でフェラーリは、ジョン(・バーナード)の才能におんぶに抱っこの状況だった。彼がデザインしたマシンはそれなりに優秀だったが、残念ながら空力的にウイリアムズやベネトンの敵ではなかった。ジョンはイギリスを拠点に仕事をしていたせいで、マラネロの事情に疎かったという点も見逃せない」


ベルガー「それでは、緊急時にどうしていたのかというと、オーストリア人のグスタフ(・ブルナー)に任せるのがフェラーリのいつものやり方だった。彼は優秀なエンジニアだったよ。手持ちのリソースを駆使して改良する手際は、実に見事だった。特に空力周りのパーツで良い仕事をしていた記憶がある。エアロダイナミクスがグスタフの最大の強味だったので、メカニカル部分で右に出る者がないと言われたジョンを補佐するには、まさに適役だったわけだ」


ベルガー「フランスGP以降に投入された412T1Bは、サイドポンツーンから細く丸みを増したノーズセクション、さらにウイングとフロア部分が最大の変更点で、実質的にはニューカーみたいなものだった。それでどうにかトップチームとも戦えるようになり、ちょうどそのタイミングでホンダからオサム(後藤治)がフェラーリに移ってきたんだ。先ほど言った支援の一環ということになる。V12はパワーアップしたけれども、信頼性が充分じゃなかったからね。でも、ドイツGPで勝てたことは、最高にうれしかった。フェラーリに乗って勝つ気分は、他のマシンとは比べものにならないんだよ」


──そのドイツGPは、チームにとってシーズン唯一の優勝でしたよね。


ベルガー「ホッケンハイムは、私のお気に入りのサーキットなんだ。理由はよく分からないけど、なぜかいつもいい結果を残せていた。あのレースは、グスタフがいい仕事をしてくれたおかげで、412T1Bの細かいセッティングがピッタリとハマったんだ。マシンが良くなったのは、オサムの手腕でパワーを上乗せできたこともあったと思う。確か1万6000回転で、830馬力くらいは出ていた。でも、もっと重要なのは、信頼性を確保できたことさ。考えてみたら、ドイツGPの週末は最初から、なぜか勝てそうな予感があったんだ。それまでフェラーリは、58戦も勝利から遠ざかっていた。私自身は、ほぼ1年半も勝てずにいたんだ」


ベルガー「あの週末はどういうわけかウイリアムズが不調で、それにも助けられた。デイモン(・ヒル)とデビッド(・クルサード)のセッティングが、どちらも完璧じゃなかったんだ。それで私がポールポジションを獲ることができて、スタートから先頭をキープし、まるで背後霊のように私を追随していたミハエル(・シューマッハー)が最後にエンジンブローで消えてくれた。残りの周回では、今度は私のエンジンが止まってしまうのではないか……と気が気ではなかったが、何とかフィニッシュまで持ち堪えることができた。“シューマッハー旋風”がドイツ全土を覆い尽くそうとしていた一大ムーブメントの最中にありながら、多くのファンが私の優勝を心の底から祝福してくれたんだ。それで私は、フェラーリで勝つのは別次元の体験だということを再認識したよ」

跳ね馬を2度甦られた男──ゲルハルト・ベルガー。彼が見ていた1994年シーズンと愛機『412T1』、そしてフェラーリの未来と現実
ゲルハルト・ベルガー(フェラーリ)にとって1994年シーズン唯一の勝利となったF1ドイツGP

■アレジとの衝撃的な出会い

──チームメイトであるジャン・アレジと一緒に仕事するのはどうでしたか。


ベルガー「今でも良い友達だよ。最初の出会いを思い出すと、つい笑いが込み上げてくる。ポール・リカールで片輪を草の上に落としながら、私を追い抜いていくドライバーがいた。1989年フランスGPの予選でのことさ。ピットに戻って、『ティレルに乗ってるあのクレイジーなドライバーは誰だ?』とスタッフに尋ねたくらいだよ。同時に、『あそこまで挙動をコントロールできるんだから大したヤツだ』と素直に認めてもいた。それがジャン(・アレジ)だった」


──ドライビングスタイルは、真逆じゃなかったのでしょうか。


ベルガー「コーナー入口で、ブレーキングする時の違いが大きかったんだろうね。ジャンは大きくモーションをつけてコーナーに入っていくタイプなので、たまにその出口でとっ散らかったりする時もある。私はジャンよりも上のギヤを使うことが多かった。コーナーをスムーズに回りたい私には、その方が合っていたんだ。でも、それは高回転を好むエンジン向きではないね」


──これは私見ですが、アレジほどの才能の持ち主がF1でたった1勝しかしていないというのは、タチの悪いジョークに思えて仕方がないのですが……。


ベルガー「フェラーリは政治的な駆け引きが幅を利かせる組織だから、その影響でドライバー同士が対立構図の中に取り込まれてしまう局面がたまにあった。でも、そうこうするうちに、ふたりで勝手にうまくやる方法を編み出していたよ。私が少し年長で、簡単には物事に動じなかったことも役立ったと思う」


ベルガー「振り返ってみると、当時のジャンは感情的になりすぎていた気もするね。才能で言うなら、もっと勝てていたはずさ。その一方で、もっと冷静かつ分析的に取り組んでいたら……とも考えるんだ。でも、それだと“ジャン・アレジ”ではなくなってしまう」


──大のイタズラ好きで有名なあなたが、アレジに仕掛けた極めつけをひとつ教えてください。


ベルガー「とにかく引っかかりやすい男ではあったよ。冬時間から夏時間に切り替わった頃合いに、真夜中の2時に彼の部屋へ電話したことがあった。『何事だ?』と聞くので、『時計を合わせるのを忘れちゃいけないと思って』と伝えたら、ジャンの怒るまいことか。それくらい簡単に、コロッと騙されちゃうヤツだね(笑) 彼に仕掛けたイタズラを全部挙げたら、本が一冊書けてしまう。あんなに性格のいい男はめったにいない。いまだに友人でいてくれるんだから、私は幸せ者だよ」

跳ね馬を2度甦られた男──ゲルハルト・ベルガー。彼が見ていた1994年シーズンと愛機『412T1』、そしてフェラーリの未来と現実
ゲルハルト・ベルガー(中央)とチームメイトのジャン・アレジ(右)

■後悔は微塵もない

──94年は悲惨な事故がいくつも起きて、その中でもローランド・ラッツェンバーガーとアイルトン・セナを相次いで失ったサンマリノGPは、魔の週末という言い方が決して誇張に聞こえません。


ベルガー「イモラの後はしばらくの間、私も自分の将来についてあれこれ考えてしまった。レーシングドライバーは恐怖についてあまり語りたがらないものだが、それにしても恐ろしい日々だった。自分の身に起きた事故のことを思い出さずにはいられなかったんだ。その一方で、いまだにレースをこよなく愛している自分に気づかされる。これを辞めてしまったら、その先どうやって生きていったらいいんだろう……と悩むわけだね。私は、とにかく性急な決断だけは避けようと自分に言い聞かせていた」


ベルガー「アイルトンとローランドの死、そしてカール(・ベンドリンガー)の大事故がすぐ後のモナコGPで起きて、情熱が失われたわけではないが、心にぽっかりと穴が開いてしまった感じがした。何も考えられなくて、一種の麻痺状態に陥っていたと言えるかもしれない」


──1995年限りでフェラーリを去ることになりました。まだこのチームで走り続けたいという思いはあったのですか。


ベルガー「95年になるとマシンはさらに良くなっていたが、フェラーリはV12コンセプトに固執しすぎたのだと思う。もっと早くにV10にシフトすべきだったということさ。あとは、マシンのボトム部分の仕様など、新しいレギュレーションが次々と導入されたことも大きかったね。いずれにせよ、マシンの操作性がどう変化するかなどは、大して話題にもならなかった。空力やアクティブサスペンション、そしてエンジンをどうするかで誰もが汲々としていたんだ」


ベルガー「私としては、96年もフェラーリで続けたいと思っていた。だからこそ、トッドがアラン(・プロスト)にF1復帰を呼びかけていると聞いて賛成したんだ。ところが、しばらくしてミハエルの招聘にも動いているらしいと聞き、コロリと気が変わった。フェラーリで彼と張り合うよりも、ベネトンでナンバー1ドライバーを務める方が断然いい。それが私の下した結論だった」


ベルガー「フェラーリがトップチームに返り咲くのを手助けする。その考えが気に入って舞い戻ったわけだが、結果を急ぎすぎたということが今ならよく分かるんだ。つまり、フェラーリは確かに復活を果たしたものの、私にとっては遅きに失したということ。私が思っていた以上に遅れていたという表現でもいいかな。開発を進めるにつれて、信頼性が失われていったのも予想外だったね。でも、後悔は微塵もないよ。6年もフェラーリに在籍したのは、こんなチームは他にないから。それで充分だろう。フェラーリで走り続けるという選択肢もあったのかもしれないが、もし未練なら、どこかで断ち切らなければいけないんだ」

跳ね馬を2度甦られた男──ゲルハルト・ベルガー。彼が見ていた1994年シーズンと愛機『412T1』、そしてフェラーリの未来と現実
故アイルトン・セナ(左)とゲルハルト・ベルガー(右)

跳ね馬を2度甦られた男──ゲルハルト・ベルガー。彼が見ていた1994年シーズンと愛機『412T1』、そしてフェラーリの未来と現実
「イモラの後はしばらくの間、自分の将来についてあれこれ考えてしまった」と語ったゲルハルト・ベルガー


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『GP Car Story Vol.47 フェラーリ412T1』では、今回お届けしたベルガーのインタビュー以外にも読みどころ満載。412T1の生みの親であるジョン・バーナードのインタビューは、10ページの大ボリュームでお届け。自身がデザインしたオリジナル版から大改造を受けた412T1への複雑な思いを、包み隠さず吐露している。


 その他、エアロ担当のニコロ・ペトルッキによる412T1とT1Bの空力論、ベルガー担当エンジニアであるルイジ・マッジョーラによる現場で繰り広げられたセッティング作業の苦しみなど、これまであまり出てこなかったエピソードも!


 また1994年よりフェラーリに加入した後藤治さんも、帰国のタイミングでお時間を頂戴し、独占インタビューを敢行。エンジンに関する話はもちろんのこと、エンジン技術者の視点で見た車両開発に関しての本音など、こちらも絶対必読の内容に。アレジのインタビューはもちろんのこと、GP Car Story初登場となるニコラ・ラリーニも、代打出場した2戦の複雑な思いを語っている。


 まさに1994年は、フェラーリが上昇軍団へと生まれ変わる過渡期の最初のステップともいえ、やがて来る黄金時代という未来をイメージしながら読んでいただけると、点と点が線で結ばれる瞬間も感じ取ってもらえるはずだ。


『GP Car Story Vol.47 フェラーリ412T1』は3月15日から発売中。全国の書店やAmazonほか、インターネット通販サイトにて購入可能。内容の詳細は三栄オンラインサイト
https://shop.san-ei-corp.co.jp/magazine/detail.php?pid=13185)まで。

跳ね馬を2度甦られた男──ゲルハルト・ベルガー。彼が見ていた1994年シーズンと愛機『412T1』、そしてフェラーリの未来と現実
『GP Car Story Vol.47 フェラーリ412T1』は2024年3月15日発売
商品詳細・購入はこちらから



(GP Car Story)




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