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名車列伝:ティレル020・ホンダ(1991)
2016年3月24日
■待望の“中嶋スペシャル”エンジン投入も無念の不発
中嶋悟が1990年シーズンに向けてティレル入りした時点で、移籍2年目となる91年にホンダV10が同チームへと供給されることは既定路線だった。89〜90年、全車3.5リッターNA時代に移行して最初の2シーズンはV10エンジンの供給先をマクラーレンだけに絞っていたホンダだが、91年にはマクラーレンのエンジンを予定どおりV12へとスイッチし、V10は中嶋の所属チームへ、という流れである。
ティレルにとっては待望久しい、実績と戦闘力に富むエンジンの獲得、それを載せるマシンが91年のティレル020だ。前年、ハイノーズをF1界に広める先駆けとなり、パワフルとは言いがたいV8のフォード・コスワースDFR搭載ながら、ジャン・アレジのモナコ2位などの快走で好素性車としても名を馳せたのがティレル019。
その発展型と位置づけられるマシンが020である。いいシャシーを発展させて、それにホンダ・エンジンを載せる、これで成績が上がらないはずはない、中嶋悲願の表彰台もある、そう思われた。しかし、現実はそうならなかった。91年のティレルはシーズン総得点12で、コンストラクターズ6位。前年が総得点16でランク5位だから、成績的に大きく後退したわけではないが、活躍印象度はかなり薄れた。中嶋表彰台も実現せず……。なぜ、ティレル・ホンダは“加速しなかった”のだろうか──?
■予期せぬ(?)重量バランス悪化
開幕戦のアメリカ・フェニックス市街地戦では、新加入のステファノ・モデナが4位、中嶋も5位とティレル020・ホンダは好スタートを切った。ただ、フェニックスでは前年もアレジ2位、中嶋6位という好成績が残っており(この時は019登場前で、89年型の018での参戦)、90〜91年にティレルが履いていたピレリが好相性な路面だったから、という見方もできなくはなかった。
そして実際、91年のティレルの入賞(6位以内)は第2戦以降、サバイバルレースを生き残ったモデナが2位に入った第5戦カナダと、モデナ6位の第15戦日本だけとなってしまう。
予想外にティレル020・ホンダのパフォーマンスが伸びなかった理由はいくつか考えられるが、最大要因は重量バランスの悪化だろう。ホンダV10(RA101E-SN)はパワフルで優秀なエンジンだ。軽さやコンパクト性という面でも、当時の3.5リッターV10としては優秀だった。
しかし、それでもV8に比べれば重くて大きい。前年にV8のDFRを載せて軽快に走った019シャシーの発展型である020にとっては、ホンダV10は重くて大きかったのである。F1界ではよくあることだが、1+1が3や4にもなることを期待されながら、実際には2にも達しなかったという典型例になってしまった。
ここで多くの人が疑問に思うのは、「当時のティレル技術陣がそれを察知していなかったのか?」という点だろう。91年のティレルにはテクニカルディレクターのハーベイ・ポスルズウエイトや空力専門家ジャン-クロード・ミジョーらが相次いで離脱していくという事情があり、誰がどこまで020の開発・熟成に実際に携わったかは判然としない面もある。しかし、少なくともジョージ・ライトンのような名のある人物は残っていたわけだし、それぞれの離脱時期の問題はともかく、ティレル技術陣なら気づけていたはず、と考えるのが自然だが……。
中嶋の後年の言葉を引くと、結論が見える。「あの頃のティレルには、エンジンがV8からV10に変わることに対して、シャシーのすべてを一新するだけの資金力はなかったんです」
91年のティレルには「BRAUN」というメインスポンサーが付くが、90年はメインなしだった。中嶋サポーターを中心とする日本系スポンサーがチーム財政を支えてくれてはいたが、それをもってしても、翌年型マシン(020)の開発にまで潤沢な資金を回せるわけではなかったのだ(後年、「90年のティレルにはロスマンズがメインとして付く予定だったが破談した」との旨がミジョーによって語られてもいる)。
慢性的な資金難がシャシーの全面新装を阻み、その影響で、せっかく得たハイパワーエンジンが重量バランス悪化原因となってしまった。技術陣は、分かっていても“対処”が精一杯……。 もちろん、他にも低迷の理由はあった。ひとつはタイヤだろう。当時主流派のグッドイヤーではなく、90年からピレリを履いていたティレルだが、91年は4強の一角であるベネトンがピレリ陣営に参画してきた。これにより、ホンダ・パワーを路面にしっかり伝えるため“太いタイヤ”が欲しいティレルと、フォードV8にパワー面で頼る気はあまりなく、細身で空気抵抗が少ないタイヤを求めたいベネトンとの間に駆け引きがあった、とも見られている。事実なら、これもマイナス要素だっただろう。
中嶋悟が1990年シーズンに向けてティレル入りした時点で、移籍2年目となる91年にホンダV10が同チームへと供給されることは既定路線だった。89〜90年、全車3.5リッターNA時代に移行して最初の2シーズンはV10エンジンの供給先をマクラーレンだけに絞っていたホンダだが、91年にはマクラーレンのエンジンを予定どおりV12へとスイッチし、V10は中嶋の所属チームへ、という流れである。
ティレルにとっては待望久しい、実績と戦闘力に富むエンジンの獲得、それを載せるマシンが91年のティレル020だ。前年、ハイノーズをF1界に広める先駆けとなり、パワフルとは言いがたいV8のフォード・コスワースDFR搭載ながら、ジャン・アレジのモナコ2位などの快走で好素性車としても名を馳せたのがティレル019。
その発展型と位置づけられるマシンが020である。いいシャシーを発展させて、それにホンダ・エンジンを載せる、これで成績が上がらないはずはない、中嶋悲願の表彰台もある、そう思われた。しかし、現実はそうならなかった。91年のティレルはシーズン総得点12で、コンストラクターズ6位。前年が総得点16でランク5位だから、成績的に大きく後退したわけではないが、活躍印象度はかなり薄れた。中嶋表彰台も実現せず……。なぜ、ティレル・ホンダは“加速しなかった”のだろうか──?
■予期せぬ(?)重量バランス悪化
開幕戦のアメリカ・フェニックス市街地戦では、新加入のステファノ・モデナが4位、中嶋も5位とティレル020・ホンダは好スタートを切った。ただ、フェニックスでは前年もアレジ2位、中嶋6位という好成績が残っており(この時は019登場前で、89年型の018での参戦)、90〜91年にティレルが履いていたピレリが好相性な路面だったから、という見方もできなくはなかった。
そして実際、91年のティレルの入賞(6位以内)は第2戦以降、サバイバルレースを生き残ったモデナが2位に入った第5戦カナダと、モデナ6位の第15戦日本だけとなってしまう。
予想外にティレル020・ホンダのパフォーマンスが伸びなかった理由はいくつか考えられるが、最大要因は重量バランスの悪化だろう。ホンダV10(RA101E-SN)はパワフルで優秀なエンジンだ。軽さやコンパクト性という面でも、当時の3.5リッターV10としては優秀だった。
しかし、それでもV8に比べれば重くて大きい。前年にV8のDFRを載せて軽快に走った019シャシーの発展型である020にとっては、ホンダV10は重くて大きかったのである。F1界ではよくあることだが、1+1が3や4にもなることを期待されながら、実際には2にも達しなかったという典型例になってしまった。
ここで多くの人が疑問に思うのは、「当時のティレル技術陣がそれを察知していなかったのか?」という点だろう。91年のティレルにはテクニカルディレクターのハーベイ・ポスルズウエイトや空力専門家ジャン-クロード・ミジョーらが相次いで離脱していくという事情があり、誰がどこまで020の開発・熟成に実際に携わったかは判然としない面もある。しかし、少なくともジョージ・ライトンのような名のある人物は残っていたわけだし、それぞれの離脱時期の問題はともかく、ティレル技術陣なら気づけていたはず、と考えるのが自然だが……。
中嶋の後年の言葉を引くと、結論が見える。「あの頃のティレルには、エンジンがV8からV10に変わることに対して、シャシーのすべてを一新するだけの資金力はなかったんです」
91年のティレルには「BRAUN」というメインスポンサーが付くが、90年はメインなしだった。中嶋サポーターを中心とする日本系スポンサーがチーム財政を支えてくれてはいたが、それをもってしても、翌年型マシン(020)の開発にまで潤沢な資金を回せるわけではなかったのだ(後年、「90年のティレルにはロスマンズがメインとして付く予定だったが破談した」との旨がミジョーによって語られてもいる)。
慢性的な資金難がシャシーの全面新装を阻み、その影響で、せっかく得たハイパワーエンジンが重量バランス悪化原因となってしまった。技術陣は、分かっていても“対処”が精一杯……。 もちろん、他にも低迷の理由はあった。ひとつはタイヤだろう。当時主流派のグッドイヤーではなく、90年からピレリを履いていたティレルだが、91年は4強の一角であるベネトンがピレリ陣営に参画してきた。これにより、ホンダ・パワーを路面にしっかり伝えるため“太いタイヤ”が欲しいティレルと、フォードV8にパワー面で頼る気はあまりなく、細身で空気抵抗が少ないタイヤを求めたいベネトンとの間に駆け引きがあった、とも見られている。事実なら、これもマイナス要素だっただろう。
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※ラスベガスGP終了時点
1位 | マックス・フェルスタッペン | 403 |
2位 | ランド・ノリス | 340 |
3位 | シャルル・ルクレール | 319 |
4位 | オスカー・ピアストリ | 268 |
5位 | カルロス・サインツ | 259 |
6位 | ジョージ・ラッセル | 217 |
7位 | ルイス・ハミルトン | 208 |
8位 | セルジオ・ペレス | 152 |
9位 | フェルナンド・アロンソ | 63 |
10位 | ニコ・ヒュルケンベルグ | 35 |
※ラスベガスGP終了時点
1位 | マクラーレン・フォーミュラ1チーム | 608 |
2位 | スクーデリア・フェラーリ | 584 |
3位 | オラクル・レッドブル・レーシング | 555 |
4位 | メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム | 425 |
5位 | アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム | 86 |
6位 | マネーグラム・ハースF1チーム | 50 |
7位 | BWTアルピーヌF1チーム | 49 |
8位 | ビザ・キャッシュアップRB F1チーム | 46 |
9位 | ウイリアムズ・レーシング | 17 |
10位 | ステークF1チーム・キック・ザウバー | 0 |
2024年F1カレンダー
第19戦 | アメリカGP | 10/20 |
第20戦 | メキシコシティGP | 10/27 |
第21戦 | サンパウロGP | 11/3 |
第22戦 | ラスベガスGP | 11/23 |
第23戦 | カタールGP | 12/1 |