6日、都内で記者会見したスーパーアグリF1チームの鈴木亜久里代表の会見内容は以下の通りだ。亜久里代表のコメントに続き、集まった記者からの質疑応答が行なわれた。
Q:今回の決断の後、福井(威夫ホンダ代表取締役社長)さんは何か言っていたか。
A:福井さんとお会いしたのはオーストラリアGPの時にお会いして、その時点ではマグマとの話がうまく進んでいるので、頑張ってくれ、という話をしました。ここに至る経緯については、最終的にスペインGPが終わった後に関してはお話してません。
Q:3戦くらいは欠場できるという事だったが、トルコ、モナコとスキップして、話をまとめてから、という選択肢は無かったか。
A:ないです。資金的に続いていくなら可能だったかもしれないけど、そのあたりがなかな難しくて、F1って1レース参加するだけで何億円とお金がかかる世界なんで、そこがきちっと回っていかなければ開発しても回らないですよね。僕も本当に悔しいんですけど、2006年に、2008年のエントリーをしたのを皆さんご存じだと思うんですけど、2006年の6月に2008年度のエントリーが締め切られて、その時22チームエントリーしたんですよ。なぜ22チームエントリーしたかというと、2008年からカスタマーカーが使えると言うことと、分配金などの条件がよくなるということでエントリーしたんですけど、昨年急にカスタマーの話が難しくなり、いまだにコンコルド条約が結ばれないとか、そういった状況が一気に重なってきて、パートナーを探すにしてもそのあたりの状況が一気に苦しくなったという状況ですね。
Q:マグマと独占交渉権を持って少なからぬ時間を費やしてきたと思うんですが、その断りがわずか1行や3行というファックスだったと聞いているが。
A:5行くらいあった(笑)。
Q:チームの命運を握っている相手がそういう断りをしてきた中で、亜久里代表は大きな損失を被っていると思うんですが、今後マグマに対し訴訟等は考えているか。
A:そうですね。その辺はどういう風にしていくかは今後考えるんですけど、その中でもいろいろな契約書の中で、何が実現できるか分からないんですけど、マグマを紹介してくれたニック・フライに感謝しますよ(笑)。
あ、でもね、マグマの話では言えることと言えないことがあるんだけど、彼らは非常にマジメな人物です。なんというか、海千山千で、ネガティブに思うかもしれないけど、彼らとの、マーティン・リーチとの交渉では非常にマジメな会社で、ステップをひとつひとつ踏んでいくし、いい加減にする会社じゃないと思うし、そういう人たちではないと思う。マグマ自体がお金持ちの会社だったら話は別だけど、彼らのその先にあるところがどうなのかは分からない。でも、マグマ自体は非常にマジメ。報道では2ヶ月も交渉していきなり、と思われちゃうかもしれないけど、決してそんな事はなくて、ビジネスとしては非常にマジメだった。その先に関しては僕は立ち入れないので、何もコメントできない。
Q:この2年半、多くのファンから支持されてきたと思うが、日本の企業と何かスポンサーに関する話をしたことはあったか。
A:日本の企業は今のF1に対して興味をもっていないということと、F1の予算自体がすごく大きくなってしまっていて、その辺が費用対効果じゃないけれど、僕がF1やってた頃の予算で、25億とか30億とかでF1がやっていける時代であれば、いくつかのスポンサーでまかなってこられたかもしれないけれど、これだけメーカーの争いになった中で、部品のコストや人材など、F1が今後、プライベーターとして成り立っていく世界は難しいんじゃないかな。
Q:今回、F1からの撤退を決めたが、将来、大スポンサーがついたら復帰するつもりはあるか。
A:なかなかね。今のF1はピラニアクラブだからね。そこにまた指を突っ込むのはなかなか……(笑)。というか、レースがしたいですよね。レースができる状況だったら戻ってもいいけど、この2年半お金探しばっかりで、サーキットに行ってもウチのチームは何回ピットインして、今日のレースは何周なのかも知らないような状況がけっこうあってね。それにちょっと疲れたかな。レースができる環境でレースに戻れるんだったら、戻りたい……かな? でも今はちょっと休みたいかな(笑)。でもそれだけ魅力があるレースだからね。今、トロロッソの共同オーナーのゲルハルトともよく話をするんだけど、やっぱり彼もレーシングドライバーをやっていて、昔から「いつかF1のオーナーになって戻ってやる」って言っていて。彼が現役の頃はあんまり喋らなかったんだけど、一緒にオーナーをやるようになってからよく喋るようになって。でも、やっぱり彼も「疲れた」って言ってますよ(笑)。
Q:フェラーリやマクラーレンなど、それに対抗できるチームを作るつもりがあったと聞いているが。
A:誰かが僕に1000億円くらいくれて、「やってもいいよ」と言われたら、3年くらいでできるかなぁ。現実は甘くなかったですね。