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【F1ドライバーの履歴書】ルクレールの跳ね馬に至る歩み。病床の父についた嘘は事実に

2026年4月20日

 世界最高峰の4輪レースであるF1でレギュラードライバーの座を掴んだ人物は、下位カテゴリーからライバルを圧倒してきた名手ばかり。そこで、F1に到達するまでに彼らがどれほど活躍し、いかにして周囲のライバルとの違いを見せつけてきたのかを改めて確認するべく、2026年F1に参戦する22名がF1ドライバーになる前、ステップアップカテゴリーで残してきた結果やエピソードを『F1ドライバーの履歴書』と題した不定期連載でお届けする。


 第11回目に登場するのは、2018年にF1デビューを飾った現在28歳のシャルル・ルクレールだ。

 1997年10月16日、モナコ・モンテカルロの地に誕生したルクレール。母は美容室を経営し、父エルヴェはフランスF3などを戦った元レーシングドライバーだった。そして、父方の継祖父はフランスの大手自動車部品メーカー『メカプラスト(現:ノヴァレス)』の創業者のシャルル・マンニで、ルクレールの父もレーシングドライバー引退後は同社に務めていた。


 父が元レーシングドライバーだったこともあり、3歳でレーシングカートを初ドライブ。その際に「パパ、大きくなったらこれがやりたい」と、話したという。また、ルクレールが初めてカートをドライブしたサーキットは、フランス・ブリニョールにあるジャン・ヴィアル・サーキット。当時の経営者はフィリップ・ビアンキという人物で、彼にはジュールという息子がいた。ルクレールよりも8歳年上のジュール・ビアンキは、良き友人であり、良き兄貴分だった。


 ルクレールは8歳を迎える2005年よりレーシングカートキャリアを開始。初年度からフランス国内選手権のクラスチャンピオンに輝くなど、類稀なる才能を発揮した。2010年にはWSKヨーロッパ選手権、CIK-FIAワールドカップにステップアップし、同年には地元で開催されたCIK-FIAモナコ・カートカップにも出場(同年からKF3クラス)。シリーズ戦では苦戦した2010年だったが、CIK-FIAモナコ・カートカップの決勝での走りがルクレールの未来を変えた。


 モンテカルロでの決勝は雨となった。F1モナコGPでも使用される海辺の公道をバリアで囲ってレイアウトされた特設カートコースはエスケープゾーンもなく、カートといえど1ミスでレースが終わる状況だった。そんななか、7番手スタートのルクレールは攻めの走りを見せ続け、地元で優勝を持ち帰った。このレースの3位はピエール・ガスリー、4位はアレクサンダー・アルボンと、その後F1を戦う面々がおり、6位にはアントワーヌ・ユべールもいた。


 このCIK-FIAモナコ・カートカップ終了から数日後、13歳のルクレールはスーツとネクタイを着用してスイス・ジュネーブにあるニコラス・トッド率いるオール・ロード・マネジメント社を訪れた。同社はビアンキのマネジメントを担当しており、ルクレールを「将来有望な才能」としてトッドに紹介したのもビアンキだった。スーツ姿の13歳の少年を見たトッドは「そんな格好で来たドライバーは初めてだ」と話し、2011年からオール・ロード・マネジメントがルクレールのマネジメントを担うことになった。


 ルクレールは2014年にフォーミュラ・ルノー2.0アルプス選手権で4輪デビューを飾ると2勝で選手権2位という成績を残した。デビューイヤーではまずまずの結果だが、アルプス選手権チャンピオンのニック・デ・フリース(四輪3年目)は9勝で、ポイント差は101点に及んだ。また、ハイレベルな猛者が各地から集うユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0の6レースにもスポット参戦し、2位3回という結果を残した。


 2015年にはFIA F3ヨーロピアン選手権にステップアップ。前年マックス・フェルスタッペンが在籍し、速さを見せたファン・アメルスフォールト・レーシング(VAR)のシートを得た。ルーキー最上位の選手権4位となるも、フェリックス・ローゼンクビスト、アントニオ・ジョビナッツィ、ジェイク・デニスには届かず悔しいF3シーズンに。ただ、11月にギア・サーキットで開催された第62回マカオF3GPでは予選3番手、予選レース2番手となり、決勝はローゼンクビストに続く2位となった。

 このF3での成績も後押しとなり、ルクレールは19歳を迎える2016年よりフェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)に加入。同年5月にはフィオラノ・サーキットでフェラーリの2014年型マシン『F14 T』に乗り込み、フリー走行専用スーパーライセンス取得の条件を満たす距離を走った。そして同年の計5戦のFP1にハースから出走するのだった。


 なお、同年の主戦場となったGP3では、前年のチャンピオンチームであるARTグランプリから挑み、優勝2回、表彰台8回という成績でチャンピオンに輝いている。チームメイトはアルボン(選手権2位)、デ・フリース(選手権6位)、福住仁嶺(選手権7位)だった。

 2017年はプレマ・レーシングからFIA F2に参戦しつつ、フェラーリとザウバーのテストドライバーを務め、翌年はいよいよF1昇格かという状況だった。順風満帆に見えたルクレールだったが、心中穏やかではなかった。父エルヴェが癌で余命わずかだったのだ。ルクレールは父に吉報を届けるべく、FIA F2では序盤から選手権をリードした。それでも、父の存命中にF1のレギュラー契約を結ぶには、どうしても至らなかった。だから、ルクレールは病床に伏せる父に嘘を付くことにした。


「来年からF1ドライバーだよ」


 その言葉は、発言した時点では確かに嘘だった。ただ、それを聞いた父エルヴェは感涙の涙を流したという。2017年6月20日、54歳という若さでエルヴェ・ルクレールはこの世を去った。なお、6月24〜25日に開催されたFIA F2第4戦バクーにおいて、ルクレールはポールポジションを獲得し、フィーチャーレースで優勝を飾った。リバースグリッドスタートのスプリントレースこそ10番手から2位に終わるも、両レースでファステストを記録したのだった。


 ルクレールは2017年のFIA F2において7勝を飾り、選手権2位のアルテム・マルケロフに72点差という大差をつけてチャンピオンに輝いた。そして12月3日、アルファロメオ・ザウバーF1チームからルクレールが2018年よりレギュラードライバーを務めることが発表された。数カ月前、父に伝えた言葉は嘘ではなくなったのだ。

 さらに2019年、F1参戦2年目でルクレールはスクーデリア・フェラーリのシートを得た。友人であり、兄貴分のビアンキが存命であれば到達したであろうフェラーリのシートを得た彼は、2020年に以下のように話した。


「彼はF1シートに値する力を持っていた。僕以上にフェラーリのシートにふさわしかったと思う。でも残念なことに、彼はそういう道筋をたどることがかなわなかった。今の僕より彼の方が力を発揮したはずだ。僕はそう思っている。彼には素晴らしい才能があったんだ」


 FDA加入やフェラーリとの関係構築は、当然トッド率いるオール・ロード・マネジメントのハードワークが成せたものである。ただ、それだけではないことも忘れてはいけない。父エルヴェや兄貴分ビアンキといった身近な人々がルクレールの才能を評価し、サポートした結果でもある。これまでもサポートの報いる活躍を見せているルクレールだが、F1ワールドチャンピオンという肩書きを得るまでは、F1を離れることを考えることはないだろう。



(Text:autosport web)


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8位ピエール・ガスリー15
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4位TGRハースF1チーム18
5位BWTアルピーヌF1チーム16
6位オラクル・レッドブル・レーシング16
7位ビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チーム14
8位アウディ・レボリュートF1チーム2
9位アトラシアン・ウイリアムズF1チーム2
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