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【F1ドライバーの履歴書】3年で3冠。ストロールが下位カテゴリーで残した非凡な成績

2026年4月15日

 世界最高峰の4輪レースであるF1でレギュラードライバーの座を掴んだ人物は、下位カテゴリーからライバルを圧倒してきた名手ばかり。そこで、F1に到達するまでに彼らがどれほど活躍し、いかにして周囲のライバルとの違いを見せつけてきたのかを改めて確認するべく、2026年F1に参戦する22名がF1ドライバーになる前、ステップアップカテゴリーで残してきた結果やエピソードを『F1ドライバーの履歴書』と題した不定期連載でお届けする。


 第9回目に登場するのは、2017年にF1デビューを飾った現在27歳のランス・ストロールだ。


 1998年10月29日、カナダのモントリオールにて誕生したランス・ストロール。彼の生まれたストロール家(本名:ストルロヴィッチ家)はとっても裕福だった。ユダヤ系カナダ人の祖父レオ・ストルロヴィチは衣料品の輸入業を手がけており、フランス・パリからピエール・カルダン、ニューヨークからラルフ・ローレンを仕入れ、カナダで販売していた。レオの息子ローレンスもファッション業界に入り、若き日には同じユダヤ系のラルフ・ローレンが手がけたブランドをヨーロッパ市場に展開する大仕事を成功させた。

 その後の1989年、ローレンスは香港の実業家サイラス・チョウとタッグを組む。同年、インドのムルジャニ・グループの経営難により同グループ傘下だったトミー・ヒルフィガー・コーポレーションが窮地に陥っていた。チョウとローレンスはスポーツウェア・ホールディングスという会社を香港に設立し、トミー・ヒルフィガー・コーポレーションの株式の70パーセントを手にした。チョウは会長として、ローレンスは幹部役員としてトミー・ヒルフィガーの商品ラインアップから販売まで幅広く関与することになった。


 ストロールはファッション流通の2代目であり、サイラス・チョウは香港の繊維産業を発展させ『羊毛王』として香港経済を支えたチョウ・クアン・ピウの息子だった。その後、トミー・ヒルフィガーはさらなる発展と成功を遂げ、世界有数のブランドとしての地位を確立した。その成長を支えたのは、ふたりのファッション業界2代目だった。そして2003年にローレンスとチョウはマイケル・コースの株式の過半数を獲得。同ブランドも成長を遂げ、2011年にマイケル・コースがニューヨーク証券取引所に上場を果たすと、ローレンスはビリオネアとなった。

 さて、そんなローレンスは大のクルマ好きであり、フェラーリのクラシックカーをはじめとした多数のスーパーカーのみならず、2度のF1開催実績もあるモントランブラン・サーキットを所有していた。彼の息子が4歳でレーシングカートを始めるのは自然なことだった。ランス・ストロールは2008年に本格的にレーシングカートキャリアを開始させると、カナダ国内選手権やワールドファイナルズなどで活躍し、ケベックのモータースポーツ連盟から2008年にはルーキー・オブ・ザ・イヤーに、翌2009年にはドライバー・オブ・ザ・イヤーにノミネートされている。


 そして、2010年6月に11歳でフェラーリの若手ドライバー育成プログラム『フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)』に加入した。2009年に設立されたFDAには当時、ジュール・ビアンキ、ミルコ・ボルトロッティ、ダニエル・ザンピエーリ、ラファエル・マルチェッロがおり、ストロールはFDA最年少の新メンバーとして、当時オートスポーツwebも取り上げたのだった。


 フェラーリのスーパーカーを購入し続けるお得意様でもあるローレンスの息子は、フェラーリにとっても魅力的な存在だったのかもしれない。ストロールはその後2013年までレーシングカートに専念し、2013年CIK-FIA世界選手権のKF部門では選手権6位の成績を残した。2014年1月にはFDAが主催する非選手権のフロリダ・ウィンターシリーズで四輪レースデビュー。他のFDAメンバーやマックス・フェルスタッペン、ニコラス・ラティフィらと実戦を含む密度の濃いトレーニングを積んだ。ストロールは負傷により最終2レースを欠場するも、12レース中2度の表彰台を手にしたのだった。


 2014年、ストロールの主戦場は6月に開幕したイタリアF4だった。プレマ・パワーチームからエントリーし6大会18レース中、ポールポジション5回、優勝7回、ファステストラップ11回を獲得。負傷により最終戦イモラの3レースを欠場するも、選手権2位に94点差をつける圧倒ぶりでシリーズタイトルを獲得したのだった。そして2015年1月から2月の冬季に開催されたトヨタレーシングシリーズにM2コンペティションから参戦。ストロールは4勝を飾り、ここでもチャンピオンに輝いた。

 2015年の主戦場はプレマ・パワーチームから参戦したFIA F3ヨーロピアン選手権だった。ただ、この年はチームメイトのフェリックス・ローゼンクビストが圧倒的なリードを築いてタイトルを獲得。ストロールはシーズン後半まで表彰台に上がることは叶わなかったが、終盤戦に6度の表彰台を獲得。最終戦ホッケンハイムのレース1では初優勝を飾り、学びの1シーズンとなった。


 同年のストロールは選手権5位。選手権2位はアントニオ・ジョヴィナッツィ、選手権3位はジェイク・デニス、選手権4位はシャルル・ルクレール、そして選手権5位はジョージ・ラッセル、選手権6位はアレクサンダー・アルボンであり、F3初年度からのちのF1ドライバーたちと戦いを繰り広げていた。


 なお、この2015年シーズン終了後にストロールはウイリアムズの開発ドライバーに就任。FDAを離れると同時に、FDA責任者だったルカ・バルディセッリを自らのサポートチームに引き抜いている。また、この2015年と2016年は父ローレンスがプレマ・パワーチームの株式を保有し、オーナーの立場にあった。2014年にはローレンスによるザウバーF1買収の噂もあったが、この時点では息子を乗せるチームを掌握することに専念したようだ。

 FIA F3ヨーロピアン選手権参戦2年目を迎えたストロールは、プレマ・パワーチームのカーナンバー1をつけた。チームメイトはニック・キャシディ、ラルフ・アーロン、マクシミリアン・ギュンターと、名手揃い。開幕3戦は、ギュンターやベン・バーニコート(ハイテック)らの後塵を拝する展開に。ただ、第4戦レッドブルリンクからの7戦21レースにおいて、ストロールは13勝を飾り、易々とチャンピオンに輝いた。選手権2位のギュンターとのポイント差は187点に及んだ。


 F3参戦と並行して、2016年シーズン中にはウイリアムズF1のテストチームとともに世界各地を旧型F1マシンで走り込み、経験を積んだ。そして2016年11月、翌年からウイリアムズF1のレギュラードライバーを務めることが発表された。チームメイトはバルテリ・ボッタスを予定していたが、ニコ・ロズベルグの突然の引退によりボッタスがメルセデスに移籍。2016年をもって引退を表明していたフェリペ・マッサが引退を撤回してチームメイトを務めたのだった。

 ストロールがFDAやプレマ・パワーチームに加入し、F1参戦に至るまで多方面から絶大なサポートを得られた要因は大富豪の父にあることは間違いない。F1参戦以前から“ペイドライバー”と揶揄されることも少なくなかったが、イタリアF4、トヨタレーシングシリーズ、FIA F3ヨーロピアン選手権でチャンピオンに輝いてきたドライバーであり、天候や運もあったにせよ、F1ではポールポジション1回、表彰台を2回獲得している。


 これまでF1には多数の天才、実力者、名手、期待の星が参戦してきたが、一度もポールポジション獲得や表彰台登壇を果たせずに去ったドライバーが少なくないことは事実であり、ストロールがF1のレギュラーシートを得るまでにフォーミュラで掴んだ3タイトルは、非凡な成績であったことは覚えておきたい。



(Text:autosport web)


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