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【F1コラム】キャデラックのドライバー選択は正解。過去の9チームのF1デビュー年から読み解く経験値の価値

2025年11月15日

 ベテランモータースポーツジャーナリスト、ピーター・ナイガード氏が、F1で起こるさまざまな出来事、サーキットで目にしたエピソード等について、幅広い知見を反映させて記す連載コラム。今回は、2026年にF1にデビューするキャデラックのドライバー選択が正解であると考える根拠について論じた。


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 キャデラックは、2026年にファクトリーチームとしてF1にデビューするにあたり、ドライバーにバルテリ・ボッタスとセルジオ・ペレスを起用した。多くの点で保守的な選択ではあるが、F1の歴史を見れば、それが正しい選択であることがわかる。


 以下は、比較的記憶に新しい新規F1参入チームと、そのデビューシーズンのドライバーの一覧である。


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■キャデラック

●デビュー:2026年
●デビュー時のドライバー:バルテリ・ボッタス(13年目)、セルジオ・ペレス(15年目)

バルテリ・ボッタス&セルジオ・ペレス
キャデラックF1チームへの加入が決まったバルテリ・ボッタス(写真左)とセルジオ・ペレス(写真右)

 キャデラックは2026年のデビューシーズンに、非常に経験豊富な2人のドライバーを選んだ。ボッタスはメルセデスなどで経験を積み、ペレスは2021年から2024年までレッドブルに所属していた。新世紀におけるトップチームで過ごした彼らの時間は、新生キャデラックチームに、インフラや組織運営に関する豊富なノウハウをもたらすだろう。

■ハース

●デビュー:2016年
●デビュー時のドライバー:ロマン・グロージャン(6年目)、エステバン・グティエレス(ルーキー)

ロマン・グロージャンとエステバン・グティエレス(ハース)
2016年F1バルセロナテスト ロマン・グロージャンとエステバン・グティエレス(ハース)

 ハースは2016年にロマン・グロージャンとルーキーのエステバン・グティエレスを起用してF1に参戦した。チームはシーズン序盤から驚くほどの競争力を発揮し、グロージャンが最初の4戦で22ポイントを獲得。しかし、経験豊富なグロージャンとグティエレスとの間には大きな差があり、グティエレスはシーズンを通して無得点に終わった。2017年には、より経験のあるケビン・マグヌッセンが加入し、グロージャンとともに強固で安定したラインアップを4年間築いた。

■ロータス・レーシング(後のケータハム)

●デビュー:2010年
●デビュー時のドライバー:ヤルノ・トゥルーリ(14年目)、ヘイキ・コバライネン(4年目)

ヤルノ・トゥルーリとヘイキ・コバライネン(ロータス)
2010年ロータスF1チーム発表会 ヤルノ・トゥルーリとヘイキ・コバライネン(ロータス)

 2010年には3つの新チームがF1に参入した。ロータス・レーシング(後にケータハムへ改称)はその中で最も本格的なチームであり、その姿勢はドライバー選択にも表れていた。マクラーレン、メルセデス、レッドブルを除けば、グランプリ優勝経験を持つドライバー2人を揃えたのはロータス・レーシングだけだった。


 トゥルーリとコバライネンの経験により、ロータス・レーシングは他のふたつの新チームよりもはるかに優れた成績を残した。ふたりは2011年もチームに残ったが、有望なスタートにもかかわらず、ロータス・レーシング/ケータハムは2014年シーズンを最後に破産した。

■ヴァージン・レーシング(後のマルシャおよびマノー)

●デビュー:2010年
●デビュー時のドライバー:ティモ・グロック(4年目)、ルーカス・ディ・グラッシ(ルーキー)

ティモ・グロックとルーカス・ディ・グラッシ(ヴァージン・レーシング)
2010年F1バーレーンGP ティモ・グロックとルーカス・ディ・グラッシ(ヴァージン・レーシング)

 後にマルシャ、マノーと名を変えたヴァージンは、ジョーダンやトヨタでの経験を持つティモ・グロックと、ルーキーのルーカス・ディ・グラッシのコンビでF1にデビューした。翌年にはディ・グラッシがルーキーのジェローム・ダンブロシオ(現フェラーリチーム副代表)に交代。マノーは2016年シーズンを最後にF1から姿を消した。

■ヒスパニア(後のHRT)

●デビュー:2010年
●デビュー時のドライバー:カルン・チャンドック(ルーキー)、ブルーノ・セナ(ルーキー)

カルン・チャンドックとブルーノ・セナ(ヒスパニア)
2010年F1バーレーンGP カルン・チャンドックとブルーノ・セナ(ヒスパニア)

 スペインのヒスパニアは、ルーキーのカルン・チャンドックとブルーノ・セナのふたりを起用してF1に参戦した。10戦後、チャンドックは山本左近に交代し、その後、クリスチャン・クリエンがドライブすることになった。チームもドライバーも経験不足だったため、ヒスパニアは2010年にデビューした3チームの中で最も低調な成績に終わった。ヒスパニア(後のHRT)はわずか3シーズンでF1から撤退した。

■ブラウン

●デビュー:2009年
●デビュー時のドライバー:ジェンソン・バトン(10年目)、ルーベンス・バリチェロ(17年目)

ジェンソン・バトンとルーベンス・バリチェロ(ブラウンGP)
2009年F1マレーシアGP ジェンソン・バトンとルーベンス・バリチェロ(ブラウンGP)

 ブラウンGPを2009年にデビューした新チームとみなしてよいかどうかは議論の余地がある。というのも、多くのスタッフとすべてのインフラは、2008年シーズン終了後にホンダがロス・ブラウンへ売却したチームから引き継がれたものだったからだ。


 いずれにしても、バトンとバリチェロを起用したことは、経験豊富なドライバーが新体制のチームにとっていかに重要であるかを示していた。バトンはブラウン唯一のシーズンでワールドチャンピオンとなり、チームは2011年にメルセデスに買収され、以後F1のトップチームの一角を占め続けている。

■スーパーアグリ

●デビュー:2006年
●デビュー時のドライバー:佐藤琢磨(4年目)、井出有治(ルーキー)

佐藤琢磨と井出有治(スーパーアグリ)
2006年F1バルセロナテスト 佐藤琢磨と井出有治(スーパーアグリ)

 スーパーアグリは、主にホンダが長年のドライバーである佐藤琢磨のためのチームを必要としたことから誕生した。2006年のデビュー時、佐藤のチームメイトはルーキーの井出有治だったが、彼は経験不足だったため、わずか数戦でFIAからライセンスを取り消された。


 フランス人ルーキーのフランク・モンタニーが代役として参戦した後、2007年にはより経験豊富なアンソニー・デイビッドソンが佐藤のチームメイトとなり、ドライバーラインアップは定着した。しかし、チームは2008年春に資金難で消滅した。

■トヨタ

●デビュー:2002年
●デビュー時のドライバー:ミカ・サロ(7年目)、アラン・マクニッシュ(ルーキー)

ミカ・サロとアラン・マクニッシュ(トヨタ)
2002年F1ベルギーGP ミカ・サロとアラン・マクニッシュ(トヨタ)

 トヨタの野心的なF1プロジェクトは、経験豊富なミカ・サロとルーキーのアラン・マクニッシュのコンビでスタートした。2002年オーストラリアGPのトヨタのデビュー戦で、サロはチームに初ポイントをもたらしたが、F1でのシーズンがこの1年限りとなったマクニッシュは、ポイントを獲得できずに去っていった。


 2003年には、トヨタは両ドライバーを外し、経験豊富なオリビエ・パニスと、インディカーで4シーズンの経験を持つF1ルーキー、クリスチアーノ・ダ・マッタを起用した。

■BAR

●デビュー:1999年
●デビュー時のドライバー:ジャック・ビルヌーブ(4年目)、リカルド・ゾンタ(ルーキー)

 BARチームは、1997年のワールドチャンピオン、ジャック・ビルヌーブのマネージャーであるクレイグ・ポロックによって設立された。デビューシーズンでは、ルーキーのリカルド・ゾンタがビルヌーブのチームメイトを務めたが、2001年にはより経験のあるオリビエ・パニスに交代した。2006年には、エンジンサプライヤーだったホンダがBARを買収し、数年後にチーム代表ロス・ブラウンへと売却した。

■スチュワート

●デビュー:1997年
●デビュー時のドライバー:ルーベンス・バリチェロ(5年目)、ヤン・マグヌッセン(ルーキー)

 3度のワールドチャンピオン、ジャッキー・スチュワートは、フォードの支援を受けて1997年に自らのF1チームを立ち上げた。彼は当初、F3時代からのドライバーであるルーキーのヤン・マグヌッセンを起用し、後に経験豊富なルーベンス・バリチェロをチームに迎えた。マグヌッセンは苦戦し、1998年には経験豊富なヨス・フェルスタッペンに交代させられた。スチュワートは1999年にチームをフォードへ売却し、その後数年間ジャガーとして活動した後、フォードはチームをレッドブルへ売却した。


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 ヤン・マグヌッセンは後にこう語っている。
「私のF1キャリアから得られる教訓があるとすれば、それは『ルーキーは新チームでF1キャリアを始めるべきではない』ということだ」


 チームにとってもそうであることを、歴史は裏付けているようだ。


 上記の10チームのうち、デビューシーズンにふたりのルーキーを起用したのはヒスパニアだけだった。ヒスパニアはわずか3年で破産し、デビュー当時のドライバーのいずれもF1で目立った成功を収めることはなかった。


 また、ルーキーをひとり起用したチームのほとんどは、そのドライバーを翌シーズンまたはシーズン途中で交代させている。


 そして、最も経験豊富なドライバーを擁したチームであるブラウンは、ワールドチャンピオンを獲得した。


 このことから、キャデラックがボッタスとペレスを選んだ判断は正しかったと歴史が示しているといえるだろう。


 キャデラックのチーム代表グレアム・ロードンはこう語る。


「ボッタスとチェコという非常に経験豊富なレーシングドライバーふたりを起用することで、我々は明確なメッセージを発している。彼らはF1で必要とされるすべてを経験しており、何が成功の鍵かを理解している。だが、より重要なのは、チームを築き上げるとはどういうことかを理解している点だ。彼らのリーダーシップ、フィードバック、レース経験、そしてもちろんスピードは、我々にとって計り知れない価値を持つことになるだろう」



(Text : Peter Nygaard)


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