最新記事
- スプリントの有無で「チケットの売れ行きは変...
- 不本意な解雇から身を守り、報酬の増額も果た...
- 【F1コラム】歴史あるGPが消滅、誤った方向に...
- フェルスタッペン「教わった知識は言葉にでき...
- F1マシン4台やパワーユニットを展示。ホンダ...
- F1アメリカGPで再びヒートハザード宣言。オー...
- 2025年F1第19戦アメリカGP TV放送&タイムス...
- アルピーヌがアメリカからの3戦でスペシャル...
- 王者フェルスタッペンの戦い:マシンの進化だ...
- 鈴鹿サーキットがF1ラスベガスGPのパブリック...
- 元F1ドライバーのニコラス・ラティフィが近況...
- ウイリアムズ、アメリカGPで2002年型FW24をモ...
フェルスタッペン「教わった知識は言葉にできないほど貴重」“110%”の情熱で支援を続けた父との思い出/F1第19戦木曜会見
2025年10月17日
2025年F1第19戦アメリカGPのFIA会見では、前戦シンガポールGPの決勝レース終盤、ルイス・ハミルトン(フェラーリ)がブレーキトラブルを抱えながら走行を続けたことについて質問が出た。
Q:フェルナンド、ハミルトンのすぐ後ろを走っていたあなたは、「信じられない!」と無線で叫んでいましたね。ブレーキがほぼ効かない状態で3周走ったドライバーに対して、5秒ペナルティは十分だったのでしょうか? FIAはもっと厳しい姿勢を取るべきだと思いますか?
フェルナンド・アロンソ:「いや、僕はあのペナルティで満足だったよ。ポジションを取り戻せたから、1秒で十分だった。あと4秒は余分だったね」
オリバー・ベアマン:「僕は逆にもう数秒もらえれば抜けたかも」
フランコ・コラピント:「僕は数秒どころじゃ足りなかったね(笑)」

では当のハミルトンは、この件をどう見ているのだろう。
Q:あのトラブルで、ペナルティは避けられないと覚悟していましたか?
ハミルトン:「かなりヒヤヒヤしていたよ。これまでタイヤ3本で完走したことはあったけど、3つのブレーキでの完走は初めてだったからね。もう2度と経験したくない。止まることはできたけど、ペダルが床まで抜ける感じで、とうてい曲がれなかった。だからエスケープロードに行くしかなかったんだ。FIAの(5秒)ペナルティは妥当だと思う」
Q:シンガポールGP後、SNSでビクター・メルドリューの「信じられ〜ん!」という動画を上げていましたね。アロンソとあれについて話しましたか?
ハミルトン:「『信じられ〜ん!』(笑)いや、フェルナンドとはまだ会ってない。あれは単なるジョークだよ。あの番組を20年以上ぶりに思い出して、面白かったから投稿しただけだ。人生、少しくらい楽しみがないとね」
ビクター・メルドリューというのは1990年代の英BBCの人気ドラマ『One Foot In The Grave』の主人公で、“Unbe-lieeeve-able!(信じられ〜ん!)”が決まり文句だった。少年時代のハミルトンはおそらくこの番組のファンで、アロンソがシンガポールで発した「信じられない!」を、からかいたかったのだろう。

当のアロンソは、レース中の無線のやり取りが流されることに対しては、非常に批判的だった。
Q:今はSNSの時代で、無線でのコメントが瞬時に世界中に流れます。そういう状況をどう感じていますか?
アロンソ:「多くが不要だし、編集のされ方もよくないね。誤った切り取り方で、99.9%誤解されてる。僕らとチームの会話は、基本的にプライベートなものだ。中継で無線が主役になってしまうときは、むしろレース内容が退屈だったという証拠でもある。本当に改善すべき点だと思う」
第2部に出席したハミルトン、マックス・フェルスタッペン(レッドブル)、ガブリエル・ボルトレート(キック・ザウバー)の3人は、いずれも幼い頃から父親のサポートを受けてきたドライバーだ。
Q:F1にたどり着くまでのなかで、お父さんとの一番の思い出は?
ボルトレート:「僕の場合はFIA F3とFIA F2のタイトルだ。父は仕事が忙しくて、全部のレースに来られたわけじゃないけど、タイトル争いのときは必ず来てくれて、最初に抱き合ったのも父だった。本当に特別な瞬間だった」
フェルスタッペン:「ヨスの一番凄いところは、彼自身がドライバーだったことだ。もう少し運があれば、F1でももっといいキャリアを築けたと思う。でも何より凄いのは、彼の知識だよ。レースのこと、セッティングのこと、メカニズムのこと。それらを小さい頃から叩き込まれたのは、言葉にできないほど貴重だった。僕が今の僕でいられるのは、そのおかげだ。速く走ることだけじゃなく、マシンそのものを理解する力もくれた。父がどれだけ時間と情熱を僕に注いでくれたか。110%という言葉がぴったりだ。あんなに息子のために全力を尽くす人を他には知らない」
ハミルトン:「僕の一番の思い出は、5歳のときに父と一緒にF1を見ていたこと。それから彼が僕のレース費用捻出のためにいくつか副業をして、なかでも不動産仲介で『売家』の看板をあちこちに立てていたのを、一緒に手伝ったことだね。そして夜になると、仕事を終えた父が僕のカートを整備してくれた。その頃は、レーススタート前に父と握手するのがルーティンだった。握手をして、父がピットにいてくれる。それだけで安心できた。F1で初優勝したとき、表彰台の下で父の姿を見た瞬間、すべての努力と犠牲、家族の血と汗と涙が報われた気がした。あれが僕にとってのハイライトだったよ」
彼らの他にも、たとえば角田裕毅(レッドブル)、ピエール・ガスリー(アルピーヌ)、シャルル・ルクレール(フェラーリ)、カルロス・サインツ(ウイリアムズ)などなど、父の献身なしにはF1に来れなかったであろうドライバーは数多い。彼らも同じように、父との忘れられない思い出を胸に秘めているのだろう。

(Text : Kunio Shibata)
関連ニュース

1位 | オスカー・ピアストリ | 336 |
2位 | ランド・ノリス | 314 |
3位 | マックス・フェルスタッペン | 273 |
4位 | ジョージ・ラッセル | 237 |
5位 | シャルル・ルクレール | 173 |
6位 | ルイス・ハミルトン | 125 |
7位 | アンドレア・キミ・アントネッリ | 88 |
8位 | アレクサンダー・アルボン | 70 |
9位 | アイザック・ハジャー | 39 |
10位 | ニコ・ヒュルケンベルグ | 37 |

1位 | マクラーレン・フォーミュラ1チーム | 650 |
2位 | メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム | 325 |
3位 | スクーデリア・フェラーリHP | 298 |
4位 | オラクル・レッドブル・レーシング | 290 |
5位 | ウイリアムズ・レーシング | 102 |
6位 | ビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チーム | 72 |
7位 | アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム | 68 |
8位 | ステークF1チーム・キック・ザウバー | 55 |
9位 | マネーグラム・ハースF1チーム | 46 |
10位 | BWTアルピーヌF1チーム | 20 |

第19戦 | アメリカGP | 10/19 |
第20戦 | メキシコシティGP | 10/26 |
第21戦 | サンパウロGP | 11/9 |
第22戦 | ラスベガスGP | 11/22 |
第23戦 | カタールGP | 11/30 |

