最新記事
- Netflixでフェルスタッペンの走りに感銘を受...
- プロ姿勢を貫いてフェラーリから離脱したサイ...
- F1王者も高く評価するボルトレート。シムレー...
- ブリアトーレに強く望まれてアルピーヌと契約...
- ベルギーGPのタイヤはC1/C3/C4の“ひとつ飛...
- 2025年F1第13戦ベルギーGP TV放送&タイムス...
- ホーナー解任に「驚かなかった」とマクラーレ...
- 「ただ参加するだけでは意味がない」耐久レー...
- インタビュー:メルセデスAMGモータースポー...
- F1復帰を目指す南アフリカ、数週間以内にハイ...
- アストンマーティン代表、ホンダとの協業が順...
- フェルスタッペンとメルセデス代表に接触報道...
ブリアトーレに強く望まれてアルピーヌと契約。新マネージングディレクターのスティーブ・ニールセンとはどういう人物か
2025年7月23日
F1界のベテラン、スティーブ・ニールセンは、約2カ月にわたり、アルピーヌのエグゼクティブアドバイザーを務めるフラビオ・ブリアトーレからオファーを持ちかけられ、最初は乗り気でなかったものの、ついにこれを受け入れた。アルピーヌは、7月4日、ニールセンが9月1日付でマネージングディレクターとして加入することを発表した。
今年5月、チーム代表を務めたオリバー・オークスが、弟でありFIA F2チームのハイテック・グランプリの取締役であるウイリアム・オークスが逮捕された後に辞任。ブリアトーレは、エンストンの運営、グランプリウイークエンド中のサーキットにおける運営を任せるべき人物は、自身の下でスポーティングディレクターとして働いていた経験を持つニールセンであると強く確信した。
しかしながら、ニールセンは、自分の生活が大きく変化することを拒んだ。というのも、彼はここ数年、南フランスのカンヌに家族とともに定住しており、妻子と離れて暮らすことも、彼らをイギリスへ移住させることも望んでいなかったからだ。
ブリアトーレは、チームとニールセンの双方にとって都合の良い形を模索するために、提案内容を繰り返し変更した。そして最終的に成功を収めたわけだ。

ニールセンは、F1パドック内で最も尊敬され、かつ経験豊富な人物のひとりだ。F1キャリアは1986年にチーム・ロータスで始まり、そこで昇進を重ねた後、1990年代初頭にティレルへ移籍し、チームマネージャーに就任した。
1998年末までケン・ティレル率いるチームに在籍したが、チームのエントリー権はブリティッシュ・アメリカン・タバコに売却され、同社は自身のF1チームを立ち上げた。ニールセンはその後、2000年から本格的にF1に参戦しようとしていたホンダにスポーティングディレクターとして雇われた。
しかしそのプロジェクトは1999年夏に頓挫し、ニールセンは自らの責任として、当時彼が統括していた現場運営に関わっていた60人以上のスタッフに新たな職を見つけることに奔走した。スタッフの大多数はトム・ウォーキンショー率いるアロウズに転職することとなった。
このようにスタッフを守る姿勢にウォーキンショーは深く感銘を受け、最終的に自身のチームのスポーティングディレクターとしてニールセンを雇用した。その後、ニールセンはルノーに移籍し、2005年および2006年にフェルナンド・アロンソがタイトルを獲得した際のチームの中核メンバーとなった。しかし2009年夏、“クラッシュゲート”事件の発覚を受け、チーム経営陣に裏切られたと感じたことから、彼は辞職を決意した。
すでにパドック内で高い評価を得ていたニールセンは、すぐにケータハムで仕事を見つけ、そこでかつてのティレル時代の同僚であるマイク・ガスコインと再会した。その後2013年初頭にスクーデリア・トロロッソで上級職に就き、2シーズンにわたり同チームに在籍した。その後には、ウイリアムズに雇用され、2014年から2017年までの復活期において、歴史あるイギリスチームを支えた。

その後、ニールセンは、ロス・ブラウンによりフォーミュラワン・グループのスポーティングディレクターとして登用された。この職務において、ニールセンは新型コロナウイルスがもたらす困難に対するF1独自の対応を主導した。政府、保健・地方当局、サーキット所有者、各チーム、FIAのロジスティクス部門と連携し、シーズンを完遂させるための効率的なシステムを構築したのだ。
この時の彼の働きは非常に高く評価され、東京オリンピックをはじめ、FIFA、UEFA、その他のスポーツ連盟がそのモデルを参考にして大会を開催した。
FIAから幾度となくアプローチを受けた結果、ニールセンは最終的に2023年初頭に同連盟のスポーティングディレクターとして加入した。しかし、その運営方法に満足できず、同年末には退職した。
その後、彼はF1のフリーランス・コンサルタントとして在宅勤務をしながら、ロジスティクス、商業契約、サーキット関連業務などを支援していたが、ついにブリアトーレの提案を受け入れ、ウイリアムズを去ってから8年以上の時を経て、再びF1チームの一員として現場への復帰を果たすこととなった。

(Text : GrandPrix.com)
関連ニュース
7/4(金) | フリー走行1回目 | 結果 / レポート |
フリー走行2回目 | 結果 / レポート | |
7/5(土) | フリー走行3回目 | 結果 / レポート |
予選 | 結果 / レポート | |
7/6(日) | 決勝 | 結果 / レポート |


1位 | オスカー・ピアストリ | 234 |
2位 | ランド・ノリス | 226 |
3位 | マックス・フェルスタッペン | 165 |
4位 | ジョージ・ラッセル | 147 |
5位 | シャルル・ルクレール | 119 |
6位 | ルイス・ハミルトン | 103 |
7位 | アンドレア・キミ・アントネッリ | 63 |
8位 | アレクサンダー・アルボン | 46 |
9位 | ニコ・ヒュルケンベルグ | 37 |
10位 | エステバン・オコン | 23 |

1位 | マクラーレン・フォーミュラ1チーム | 460 |
2位 | スクーデリア・フェラーリHP | 222 |
3位 | メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム | 210 |
4位 | オラクル・レッドブル・レーシング | 172 |
5位 | ウイリアムズ・レーシング | 59 |
6位 | ステークF1チーム・キック・ザウバー | 41 |
7位 | ビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チーム | 36 |
8位 | アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム | 36 |
9位 | マネーグラム・ハースF1チーム | 29 |
10位 | BWTアルピーヌF1チーム | 19 |

