F速

  • 会員登録
  • ログイン

1989年ル・マン24時間勝者、F1でも優勝飾ったヨッヘン・マスが死去。享年78

2025年5月5日

 ドイツ出身の元F1ドライバーで、1989年のル・マン24時間レースを制したヨッヘン・マスが5月4日に亡くなった。78歳だった。

 バイエルン州出身のマスは船舶関係の仕事を経て、アルファロメオのディーラーに見習いとして就職。そのディーラーが走らせるアルファロメオのステアリングを握ったことが彼のレースキャリアのスタートだった。


 ジュニア・フォーミュラを経て、1973年にサーティースからF1デビューを飾ると、その後はマクラーレン、ATS、アロウズ、マーチといったチームと契約し、1982年までに105レースに出走した。1975年にはマクラーレン・M23のステアリングを握り、第4戦スペインGPでキャリア唯一となるF1での勝利を飾っている。


 F1では計7回の表彰台を獲得も、1982年の第11戦フランスGPで大クラッシュを喫し、同グランプリを最後にF1を離れた。以降マスはヨーロッパのスポーツカーレースに参戦し、1989年のル・マン24時間レースではマニュエル・ロイター、スタンレー・ディケンズとともに『ザウバー・メルセデスC9』の63号車をドライブし優勝を飾った。


 そのほかにも、世界スポーツプロトタイプカー選手権(WSPC)、世界耐久選手権(WEC)、スポーツカー世界選手権(SWC)で計32回の優勝を飾るなど、F1を離れたマスはスポーツカーレースの世界で成功を築いた。


 1990年にドライバーを引退すると、ドイツのF1テレビ番組のコメンテーターを務めたほか、メルセデスの若手ドライバー育成にも関与し、メルセデス育成時代のミハエル・シューマッハーやハインツ-ハラルド・フレンツェンの指導に携わった。メルセデスとの関係は深く、晩年も同社のブランドアンバサダーを務めていた。


 公式Instagramにて家族が発表した内容によると、マスは2025年2月に脳卒中を患い、その後の合併症により5月4日に亡くなった。


 マスの訃報に際し、F1会長兼CEOのステファノ・ドメニカリは「友人であるヨッヘン・マスが亡くなったというニュースを聞き、深い悲しみを感じている」とコメント。


「彼は我々のスポーツの中心で素晴らしい人生を送り、人生を受け入れ、F1を愛した素晴らしい人だった。彼を知り、敬愛するすべての人たちが、彼のことを懐かしく思い出すだろう。私たちの思いと祈りは、この非常に悲しい時に彼の家族と友人とともにある」

1982年はマーチに移籍するも、フランスGPを最後にF1を離れた/マーチ821のステアリングを握るヨッヘン・マス
1982〜1984年にポルシェ956のステアリングを握ったヨッヘン・マス
1989年のル・マン24時間レースを制した『ザウバー・メルセデスC9』の63号車。ヨッヘン・マス、マニュエル・ロイター、スタンレー・ディケンズがステアリングを握った。
2020年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードでのヨッヘン・マス


(Text:autosport web)


レース

5/3(土) フリー走行 結果 / レポート
スプリント予選 結果 / レポート
5/4(日) スプリント 結果 / レポート
予選 結果 / レポート
5/5(月) 決勝 結果 / レポート


ドライバーズランキング

※マイアミGP終了時点
1位オスカー・ピアストリ131
2位ランド・ノリス115
3位マックス・フェルスタッペン99
4位ジョージ・ラッセル93
5位シャルル・ルクレール53
6位アンドレア・キミ・アントネッリ48
7位ルイス・ハミルトン41
8位アレクサンダー・アルボン30
9位エステバン・オコン14
10位ランス・ストロール14

チームランキング

※マイアミGP終了時点
1位マクラーレン・フォーミュラ1チーム246
2位メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム141
3位オラクル・レッドブル・レーシング105
4位スクーデリア・フェラーリHP94
5位ウイリアムズ・レーシング37
6位マネーグラム・ハースF1チーム20
7位アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム14
8位ビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チーム8
9位BWTアルピーヌF1チーム7
10位ステークF1チーム・キック・ザウバー6

レースカレンダー

2025年F1カレンダー
第6戦マイアミGP 5/4
第7戦エミリア・ロマーニャGP 5/18
第8戦モナコGP 5/25
第9戦スペインGP 6/1
第10戦カナダGP 6/15
  • 最新刊
  • F速

    F速 2025年5月号 Vol.3 日本GP号