イギリスのブランズハッチサーキットが、同国のモータースポーツの歴史上最も偉大な人物に敬意を表して、場内の歩行者用メインストリートを「コリン・チャップマン・ウエイ」と命名した。ただし、この通りにチャップマンの名が与えられるのは二度目のことだ……。
ロータス・エンジニアリングの創始者であり、自身のF1チームを率いて何度も世界選手権を獲得した亡きコリン・チャップマンにちなんで、この通りは80年代半ばに「コリン・チャップマン・ウエイ」と名付けられた。だが、残念なことに、彼の名を刻んだプレートはその数年後に紛失していた。
エラン、エリート、セブンといったハイパフォーマンス・スポーツカーの生みの親であるチャップマンは、グランプリサーキットでも次々と革新的なアイデアを発案する人物として知られた。彼のチームはマリオ・アンドレッティ、ジム・クラークらをはじめとして数々の名ドライバーを輩出し、1960年から78年までの間にF1世界選手権を7回も獲得した。
今回のコリン・チャップマン・ウエイの復活は、コリンの息子のクライブが同サーキットの新しいオーナー、モータースポーツ・ビジョン社に要請して実現したもの。クライブ・チャップマンは次のように述べている。「この通りの再命名について、私はサーキットの前のオーナーと何度か話し合ってきた。この件にジョナサン・パーマーが同意してくれてたいへんうれしい」
「私はサーキットのゲートをくぐった人々が最初に目にするものが、このプレートであるということをたいへん誇りに思っていた。この通りがコリン・チャップマン・ウエイという名であることを、人々が再び知ってくれるのはうれしいことだ」
「それにこの道の名前に父の名を用いるのはとても適切だと思う。この通りは細くてまっすぐだが、私の父は細くまっすぐな道から外れないように生きることを信条としていたからね」
“再命名”にあたっては、併せて過去の有名なロータス製F1カーの数々が展示され、グラハム・ヒルが1968年のF1世界チャンピオンを獲得したロータス49Bを、その息子のデイモン・ヒルがドライブ。また、アイルトン・セナがF1初勝利を挙げたマシンのデモンストレーションランも行われた。