フェラーリのスポーツ部門ジェネラルディレクター、ジャン・トッドが、フローレンス大学より機械工学の名誉学位を授与された。
“モータースポーツ部門における先進技術の開発に尽力し、大学の産業研究共同研究に貢献した”として上記の学位を16日、授かったトッド。授与式は、フィレンツェにある同大学の創設80周年を祝う式典の中で行われ、校長のオーグスト・マルティネリの手によって授与された。同校長によれば、フェラーリとフローレンス大学エンジニアリング学部のつながりは非常に重要なものであり、多くの卒業生がマラネロ本社に職を得たという。
「フェラーリ・マセラッティ・グループの中でこのような栄誉を授かるのは私が3人目だ」とスピーチしたジャン・トッド。「モンテゼモロ社長がモデナ大学から、ロス・ブラウンがアンコナ大学からそれぞれ学位を戴いている」
「モーターレースは私にとって常に最愛のもの。子供の頃からずっとモーターレースに関わりたいと夢見ていた。まずはラリー、それからF1に移り、1993年にフェラーリの一員になった。フェラーリは私にとってずっと雲の上の存在だったし、周囲もきっと長く続かないだろうと見ていた人たちがほとんどだった。畑違いなところからきた者には一層厳しい職務だと思われたためだ。私自身も、この職に長くいたいと口にしたこともなかったが、それに反して、11年経った今もこうしてここにいる」
「何のスポーツにしても、チームや選手の成功は結果として明白に表れるが、マネージャーの仕事は負けたときだけでなく、勝ったときにも能力が試される。まず負けたときには、挽回するための学習法を学ぶことが重要だ。そして勝ったときには、また勝とうという意欲を生み出さなければならない」と、自身を振り返るトッド。「フェラーリでは、成功を達成するために皆とても頑張っている」
「1997年から99年までの3年間は最後の最後でドライバーズ選手権を逃したが、99年にはやっとコンストラクターズ選手権を手にし、ドライバーズは2000年に獲得、その後2001、02、03年と成功が続いた。ここでとどまりたくはない。スポーツの常として勝ち続けることは不可能だし、我々も敗北に備えてはいる。しかし、“フェラーリの時代”といわれる時の継続のためにできる限りの努力をしていく。1997年以来F1の頂点に立っている我々は、可能な限り長い間、このポジションにとどまるつもりだ」
「私は1993年にフェラーリに入ったとき、膨大な数の目的をもった事業の計画を開始した。最先端の設備を揃えること、すべてのポジションに最善の人事を配すこと、目標達成のために必要な資金源を見つけること、そして最高レベルのパートナーを選択することなど、マラネロという一つ屋根の下にF1に関わる全てを結集するための一大事業だ。それから、どんなマネージャーでもチームのスピリット、周囲の貢献なくしては成功を生み出すことはできない。みんなのエネルギーを漏斗で集めるように同じ方向に収集していくことがまさに私の仕事なのだと思っている。船を向かい風に向かって走らせても、どこに行くことも引き返すこともできないのだから」