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【あなたは何しに?】アラン・プロストも祝福。スイス人ジャーナリストが750戦目のF1取材を迎える
2019年12月17日
アブダビGPの木曜日の夜、ヤス・マリーナ・サーキットのパドックを歩いていたら、レッドブルのヘルムート・マルコ(モータースポーツアドバイザー)がTシャツを持って歩いていた。かすかに『BRAZIL』という文字がプリントされているのが見えたので、「レッドブル・ホンダの勝利を記念したTシャツか!?」と思って、尋ねてみたら、「違うよ、ロジャーのF1取材750戦記念Tシャツだよ」と見せてくれた。
ロジャーとは、スイスの新聞『Blick』紙のベテラン記者のロジャー・ブノワのことである。
1967年に『Blick』紙に入社したブノワは、2年後の1969年のイギリス・ブランズハッチで行われた『レース・オプ・チャンピオンズ』で初めてF1の取材を現場でスタートさせた。ただし、これはノンタイトル戦だったため、選手権としてのF1初取材は翌年の1970年のハラマで行われたスペインGPが記念すべき第1戦目のF1取材となった。
アブダビGPの金曜日の午後に、ルノーのホスピタリティハウスの前で、ルノーの非常勤取締役を務めるアラン・プロストと、そのブノワに出会った。ブノワが何をしにルノーのホスピタリティハウスに来たのだろうかと近寄ってみたら、「750戦記念Tシャツ」をちょうどプロストに渡すところだった。
「せっかくなので、ツー・ショットを撮りませんか?」と声をかけると、「いや、いいよ」と断られた。しかも、プロストではなく、ブノワにだ!! 逆にプロストが「いいじゃないか、一緒に撮ろう」とブノワを説得してくれ、ようやくツー・ショットが実現した。199戦でF1を引退したプロストにとって、750戦のブノワは「御大」なのである。
1949年1月13日生まれのブノワは、もうすぐ71歳。ブノワと同郷のスイス人のジャーナリストであるマティアス・ブルナーは、ブノワを次のように称える。
「750戦という数字だけでも偉大なのに、彼は70歳のいまも現役だということ。5年前の2014年に定年を迎えたが、会社は彼が仕事を続けることを認めたんだ。750戦は、彼がF1という世界だけでなく、所属する新聞社という会社に信頼されている証でもある。それは、だれにでも真似できることではない」(ブルナー)
アブダビGPでブノワは、マルコやプロスト以外にも、仲の良いドライバーやチーム代表に750戦記念Tシャツをプレゼントしていた。そして、筆者に別れ際に「今回は限られた数しか持ってこなかったから、おまえには来年渡すよ」と言ってくれたブノワ。2020年に再会することを楽しみにしたい。
(Masahiro Owari)
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| 12/5(金) | フリー走行1回目 | 結果 / レポート |
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| 予選 | 結果 / レポート | |
| 12/7(日) | 決勝 | 結果 / レポート |
| 1位 | ランド・ノリス | 423 |
| 2位 | マックス・フェルスタッペン | 421 |
| 3位 | オスカー・ピアストリ | 410 |
| 4位 | ジョージ・ラッセル | 319 |
| 5位 | シャルル・ルクレール | 242 |
| 6位 | ルイス・ハミルトン | 156 |
| 7位 | アンドレア・キミ・アントネッリ | 150 |
| 8位 | アレクサンダー・アルボン | 73 |
| 9位 | カルロス・サインツ | 64 |
| 10位 | フェルナンド・アロンソ | 56 |
| 1位 | マクラーレン・フォーミュラ1チーム | 833 |
| 2位 | メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム | 469 |
| 3位 | オラクル・レッドブル・レーシング | 451 |
| 4位 | スクーデリア・フェラーリHP | 398 |
| 5位 | アトラシアン・ウイリアムズ・レーシング | 137 |
| 6位 | ビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チーム | 92 |
| 7位 | アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム | 89 |
| 8位 | マネーグラム・ハースF1チーム | 79 |
| 9位 | ステークF1チーム・キック・ザウバー | 70 |
| 10位 | BWTアルピーヌF1チーム | 22 |
| 第20戦 | メキシコシティGP | 10/26 |
| 第21戦 | サンパウロGP | 11/9 |
| 第22戦 | ラスベガスGP | 11/22 |
| 第23戦 | カタールGP | 11/30 |
| 第24戦 | アブダビGP | 12/7 |


