F速

  • 会員登録
  • ログイン

【F1ベルギーGPの焦点】夢に見た初優勝の実現と、その勝利を亡き親友に捧げたレース

2019年9月4日

 Racing for Anthoine──マシンに貼られたステッカーは、日曜日のレースに臨んだドライバーたちの気持ちを素直に表していた。

 前日のF2レースで起こった事故は、その激しさだけで人々の心を引き裂くものだった。そして長い沈黙の後に届いた報せに、パドックは深い哀しみに包まれた。今シーズン、ルノーの育成ドライバーとして迎えられF2にデビューしたアントワーヌ・ユベールは、ドライバーとしてみんなの“仲間”であっただけでなく、紳士的な態度と明るい笑顔で多くの人に愛された青年だった。シャルル・ルクレール、ピエール・ガスリー、エステバン・オコンにとっては、ともに育ってきた幼なじみであり、親友──。

XPB Images

「シャルルとアントワーヌと僕は2005年に一緒にカートレースを始めた」と、ガスリーは振り返った。同い年のユベールとガスリーは、FFSA(フランス・モータースポーツ連盟)が主宰する育成プログラムに才能を認められ、カート時代からそのサポートを受けてきた。“エキップ・ドゥ・フランス”は将来が期待される数人のエリートを英才教育で育てるシステム。ガスリーもユベールも幼い頃に故郷を離れ、アカデミーの本拠地であるルマンで合宿生活を送りながら育った。

「アントワーヌとは13歳から18歳まで同じアパートに住んで、同じ学校に行き、同じ教室でFFSAのプライベートレッスンを受けるクラスメートだった。あまりにもずっと前から彼のことを知っていて、一緒に育ったから……。サーキットだけじゃなくて、それ以上にサーキット外でも思い出が多すぎて」

 スパ・フランコルシャンのレース現場、ユベールの死を父からの電話で知ったガスリーはその場で打ちのめされ、動揺を隠すことができなかったという。そんなガスリーにルクレールが声をかけ、ふたりはフェラーリのドライバースペースに閉じこもった。

 ルクレールの場合、子供時代のレースを支えてきたのは父・エルヴェであり、ルクレール家と「本物の、ひとつの家族だった」ビアンキ家だった。3歳半で初めてのカートを経験したのはジュール・ビアンキの父が営む南仏ブリニョルのカートコースであり、資金の目途が立たずカートを諦めようとした時に救いの手を差し伸べ、ニコラス・トッドのマネージメントを紹介してくれたのもジュールだった。“ジュリオ”はシャルルにとって兄弟であり、後見人でもあった。

「05年、アントワーヌと僕ら──エステバン(オコン)とピエールと僕は、みんなで一緒にカートレースを始めた。初めてのレースはマニクールで、アントワーヌが優勝したんだ。素晴らしい思い出だよ」と、ルクレールが振り返る。



レース

9/5(金) フリー走行1回目 結果 / レポート
フリー走行2回目 結果 / レポート
9/6(土) フリー走行3回目 結果 / レポート
予選 結果 / レポート
9/7(日) 決勝 結果 / レポート


ドライバーズランキング

※イタリアGP終了時点
1位オスカー・ピアストリ324
2位ランド・ノリス293
3位マックス・フェルスタッペン230
4位ジョージ・ラッセル194
5位シャルル・ルクレール163
6位ルイス・ハミルトン117
7位アレクサンダー・アルボン70
8位アンドレア・キミ・アントネッリ66
9位アイザック・ハジャー38
10位ニコ・ヒュルケンベルグ37

チームランキング

※イタリアGP終了時点
1位マクラーレン・フォーミュラ1チーム617
2位スクーデリア・フェラーリHP280
3位メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム260
4位オラクル・レッドブル・レーシング239
5位ウイリアムズ・レーシング86
6位アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム62
7位ビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チーム61
8位ステークF1チーム・キック・ザウバー55
9位マネーグラム・ハースF1チーム44
10位BWTアルピーヌF1チーム20

レースカレンダー

2025年F1カレンダー
第16戦イタリアGP 9/7
第17戦アゼルバイジャンGP 9/21
第18戦シンガポールGP 10/5
第19戦アメリカGP 10/19
第20戦メキシコシティGP 10/26
  • 最新刊
  • F速

    F速 2025年10月号 Vol.4 後半戦展望号