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佐藤琢磨が明かすF1の秘話。2009年にトロロッソがブルデーを起用した本当の理由

2019年8月27日

 先日のインディカー・シリーズ第15戦ゲートウェイで、一時は2周ものラップダウンを喫しながら最後は0.0399秒差でトップチェッカーをくぐり、自身初となるシーズン2勝目を見事達成した佐藤琢磨。


 現在発売中の雑誌『レーシングオンNo.502』は佐藤琢磨の大特集号であり、その10年間におよぶインディカーでのシーズンはもちろん、F1時代や英国F3時代までも完全網羅して、その輝かしいキャリアを1冊にまとめている。

佐藤琢磨を特集したレーシングオンNo.502号
佐藤琢磨を特集したレーシングオンNo.502号


 ここではインディカーでの自身通算5勝目を記念して、その巻頭に収録されている1万字ロングインタビューから一部を抜粋してお届けする。
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 ここで封印されていたF1時代のエピソードをふたつ、ご紹介しよう。どちらもF1でシートを失った琢磨に手を差し伸べようとしたチーム代表の物語である。ひとり目はフランク・ウイリアムズ。


 実は、ウイリアムズとは2006年シーズンに向けて契約寸前の状態までいきながら、意外な理由で破談に終わった。では、どうして琢磨とウイリアムズは急接近したのか? そのきっかけを琢磨に語ってもらおう。


「F1に参戦した2002年から、僕は会えば必ずフランク・ウイリアムズさんには挨拶していました。僕がF1を熱心に見ていた年代、ウイリアムズは圧倒的なエンジニアリング集団としてF1チームのトップに君臨していたし、アイルトン・セナが所属した最後のチームでもあった。だから好きだったんですよ」


「それでホテルのロビーとかでウイリアムズさんを見たら、決まって挨拶していたんですね。すると、ウイリアムズさんも僕がイギリスF3上がりであることを知っていて『(わざわざ挨拶に来てくれて)ありがとう。いつも君の走りを見ているよ』と言ってくれた」


「それで2005年いっぱいでBARからのレース出場ができなくなりそうになったとき(でもまだスーパーアグリの話が出る前)、当時ウイリアムズさんの右腕だったジム・ライツさんが僕と(マネージャーだった)アンドリュー・ギルバート=スコットのところに契約書を持ってやってきたんです」


「その後、ウイリアムズさんに会ったとき、僕のウイリアムズ入りについて『とてもハッピーだ』と言ってくれました。『You seems to be liking our team very much. We would like to see you driving our car(君は僕たちのチームのことをとても好きなようだ。私たちも、君が私たちのクルマに乗るところを見たいと思っている)』。この言葉をウイリアムズさんの口から直接聞けて、本当に嬉しかった」


 しかしこの当時、1年限りでコスワースエンジンを使うウイリアムズにエンジン供給の話がまとまっていたのはトヨタだった。そしてトヨタは琢磨がウイリアムズに移籍すれば「ホンダさんから琢磨を奪うことになる」と心配し、この提案をていねいに辞退したという。


 この配慮も実に奥ゆかしいが、結果的に我々は琢磨がスーパーアグリの誕生とともにF1で活躍する姿を見続けられたことに、ただ感謝すべきなのかもしれない。


 もうひとつのドラマは、そのスーパーアグリがF1から撤退した直後に起きた。2009年シーズンを間近に控え、琢磨は3度にわたってトロロッソのテストに参加。一部には“2009年のトロロッソからの参戦は確実”と報道されながら、結果的に実現しなかった一件だ。


 このときは“メインスポンサーのレッドブルが琢磨より若いドライバーを欲したから”との説明がなされ、琢磨ではなくセバスチャン・ブルデーが継続起用されたが、この理由は真実を正しく伝えていないという。

バルセロナでトロロッソのマシンを走らせる佐藤琢磨
バルセロナでトロロッソのマシンを走らせる佐藤琢磨


「忘れもしない、2009年の僕の誕生日(1月28日)のことですよ。(トロロッソのチーム代表である)フランツ・トストから電話がかかってきて、『Congratulation! Welcome in. You are my driver(おめでとう。歓迎するよ。君は僕のドライバーだ)』と言われたんです」


「しかし、その5時間後、トストからもう1度電話がかかってきた。『すまない、琢磨。オーストリアから電話がかかってきてね……』と言い出したんです。その直後、僕はそれまで握っていた携帯電話を壁に向かって投げつけていました」


 琢磨ではなくブルデーが起用された本当の理由。それは実に意外なものだった。


 この年、トロロッソは新人セバスチャン・ブエミとブルデーのふたりでシーズンを戦うのだが、レッドブルにとって本当に大切なのはジュニアドライバーのブエミであって、ブルデーは一種の“当て馬”。


 そのブルデーの代わりに琢磨を起用する案が一時浮上したのだが、テストをしてみたところ、琢磨はブルデーはおろか、肝心のブエミより速かった。これではブエミの立場、ひいてはレッドブル育成プログラムにかかわる面々の立場がなくなる。そこで琢磨を諦めてブルデーを起用したのが本当の理由だったようなのだ。


 こうしたエピソードからうかがわれるのは、琢磨のレース人生が様々な要素に翻弄され、何度も不幸のどん底に突き落とされたという事実である。


 しかし、その一方で、本格的にレースデビューしてわずか5年目にF1ドライバーとして起用されて、2004年にはF1アメリカGPで3位表彰台に上がったり、2017年には奇跡ともいえるインディ500制覇を成し遂げた。いったい、佐藤琢磨というドライバーの人生は幸運だったのか、それとも不幸だったのか? 本人に訊ねてみた。


「いまだに走っているんだから、結果的には運がいいドライバーなんでしょうね。しかも、いまだ到達していない目標に向かって突っ走っている。でもね、いいことがあれば、それに見合うだけの苦労も降りかかってくる」


「それは、自分が犯した失敗もそうだけれど、自分の力ではどうにもならない理不尽なこともあったし、怒りや悲しみはたくさん味わった。けれども、サスペンションに使われるスプリングだって、縮むからこそ次に伸びる。人間の筋肉だって同じですよね。その振り幅が、僕の場合はおそらく大きかったんでしょうね」
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 今回お届けした佐藤琢磨本人への1万字インタビューの他、アメリカンレジェンドであるマリオ・アンドレッティ、マイケル・アンドレッティ、A.J.フォイト、ボビー・レイホールの4人などへのインタビューも掲載。さらに、F1アメリカGPで表彰台に上がったときのマシンであるBAR Honda 006のマシンギャラリーもお届け。佐藤琢磨満載でお送りする『レーシングオンNo.502』は全国書店やインターネット通販サイトで発売中。


商品紹介はこちらから



(Tatsuya Otani)


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