表彰台に登場したマックス・フェルスタッペンは、両手の人差し指で左胸の“H”を示し、誇らしげに胸を張った。レッドブルのホームグラウンドで実現した、ホンダ・パワーユニットの初勝利。プレゼンターのひとり、ゲルハルト・ベルガ―は2位のシャルル・ルクレールにトロフィーを授与し、フェルスタッペン、バルテリ・ボッタスと握手を交わした後、田辺豊治テクニカルディレクター(TD)のもとへと進んで大きなハグで“お気に入りのエンジニア”を包んだ──。ホンダ第2期F1時代からのファンにとって、感動がひと回り大きく膨らむシーンだった。
田辺TDがベルガーのエンジン・エンジニアを務めたのは第2期後半のこと。F1界一のプレイボーイとして名を馳せ、いたずらっ子として恐れられたベルガーが、実直な日本の技術者に全幅の信頼を寄せた。何に関しても完璧を要求するアイルトン・セナがもたらす張りつめた空気が、時には誰の肩にも重くのしかかった時代。スマートにチーム内の空気を和らげたのがセナの親友ベルガーで、そのベルガーを力強く支え、バランスを保ったのが、ドライバーと同年代の田辺エンジニアだった。
「タナベはどこだぁ!?」
ホンダが第3期活動を開始した当時、BMWのディレクターを務めていたベルガーは真っ先にたずねてきた。もちろん、アメリカで活躍していることは知っていたけれど。「F1に戻ってくるのにタナベがいないなんて、ホンダはどうかしてるよ!」──これが、言いたかったのだ。ベルガーにとって、ホンダ=タナベ。
ベルガーだけではない。アメリカに行けばジミー・バッサーをはじめ、多くのドライバーが「タナベと一緒に勝った」と言う。入れ替わりの激しい日本の自動車メーカーにおいて、田辺豊治は組織の人ではなく本物のレース屋さん。ドライバーからもチームオーナーからも100%信頼された。なぜなら、技術者としておごりがいっさいなく、潔いほど正直だから。同時に、現実を見極めながら「勝ちたい」情熱を決して絶やさない人間だから。
「レースだから、もちろん勝ちたい。2020年を目標に、なんて考えてないです。やれることは、今すぐやります。入れられるものがあれば、どんどん入れていきます。でも、この先には今までなかった困難も待ち受けているだろうし、メルセデスもフェラーリも休んでいるわけじゃないですから。難しいことは分かっています」──こう話したのは、昨年の日本GPが終わった後。
「3位表彰台に安堵したのと同時に、トップとの差をまざまざと見せつけられた」と言ったのはレッドブルと戦った今年の開幕戦の後。
ハイブリッド時代の初勝利は、劇的なレースで実現した。