発言が明確で表情にインパクトがあるからと言って、アロンソを“俺様”のように捉えるのは間違い。チームラジオで流れる彼の言葉を“気が短い”という前提で捉える評判にも、とても違和感がある。誰よりも自然な忍耐力を備えた人間だ。
「僕自身、ドライビングの能力はF1に来てからも、そんなに変わっていないと思う。ミナルディで走っていたときには同じように頑張っても18位で、誰も気にしていなかったけれど……」
このアロンソの言葉は正直で、F1ドライバーといえど、生まれつきの才能に左右される部分は経験で発達するものではない。ただし、トップチームのマシンに乗ってトップドライバーたちを相手に戦うようになると明確に映し出されたのは、彼が、他の誰よりも、自らのマシンの位置とまわりの状況を正確に把握しているという点だ。たぐいまれなドライビング能力、暴れるマシンをコントロールする器用さ。そして、異次元の空間認識能力──自らのマシンのノーズや四輪の位置、ライバルのマシンとの距離関係を正確に把握する能力がF1のなかでも桁外れに高い。“アロンソは完璧なドライバーだけれど、予選は特異なほど秀でているわけではない”という評もあるが、彼が必ず予選より順位を上げてくるのは、スタート直後、あるいはレース中の重要なシーンで、ライバル以上に正確に緻密に、位置関係を把握しているからだ。プラス、ライバルの心理を読んで駆け引きする勝負師の能力に長けている。
日本のF1ファンなら、2005年の鈴鹿、20周目の130Rでミハエル・シューマッハーのフェラーリをアウトからかわしたシーンを鮮明に覚えているはず──往年の名ドライバー、高橋晴邦さんは「テレビで見ていて、思わず『えー!』って叫んで、立ち上がったよ。だって、あそこはブレーキするところじゃないから」とおっしゃった。鈴鹿のファンも直後の1〜2コーナーでは全員が立ち上がって拍手を送った。
「それは良かった。みんなに楽しんでもらえて」と、アロンソは笑った。鈴鹿F1の歴史上、初めてのシーンだったと伝えると「まだ20周目だったから、僕自身はオーバーテイクに浸っていたわけじゃない。それよりも最後はトップでゴールすることを目指して、あとのことに集中していたから。でもレースが終わってから見ると、あれはたしかにベストオーバーテイクのひとつだったね」と言った。
当時のアロンソにとって、インテルラゴスで初めてのタイトルを獲得し、チャンピオンとして臨む最初のレースだった。でも、たとえタイトルがまだ決まっていなくとも、同じように挑んだかと訊ねると──「イエス」──確信は、あったと言う。のちにルノーが提供してくれたデータでは、130Rでアクセル全開(V10エンジン時代には容易なことではなかった)、左足が一瞬かすかにブレーキペダルを触っている様子がわかる。度胸を示すデータでもあった。