浜島がフェラーリで過ごしたのは、2012年から2014年までの3年間。この3年は非常に楽しかったと浜島は語る。
「だって、タイヤのことだけを考えればいいですから。会社員だと、マネージメントの仕事もしなければいけない。まぁ、これは嫌いじゃないですが、当時は人事査定もしなきゃいけなくて、それがとても辛かった。そこから解き放たれて仕事ができたというのは、良かったと思います」
ただ、やり残したこともあると感じているようだ。
「もっと、現実のタイヤを認識してもらいたかったですね。今はほとんどを計算に頼ってしまうんです。実際のデータと乖離していた時の対処をもっと機敏にやるとか、そういう部分を徹底させたかった」
浜島は2012年1月、フェラーリ入りが決まった際、「チャンピオンを獲得すること」を抱負として挙げていた。しかし、残念ながらそれを果たすことができなかった。
「2012年が非常に残念ですよね。あれはチャンピオンを獲れた年。それができていれば、もう少し色々と違ったんじゃないかと思う」
そのキーポイントとなるのが、同年のカナダGPだ。このレースでフェルナンド・アロンソは1ストップ作戦を敢行し、2ストップを選んだマクラーレンのルイス・ハミルトンに敗れるどころか、5位に終わってしまっている。終盤にタイヤが急激にタレ、ペースが極端に落ちてしまったのだ。この時、浜島は2ストップ戦略を主張したが、チームは1ストップを選び、敗れた。そしてアロンソは、この年のランキング2位に終わった。チャンピオンのベッテルとの差は、僅か3点である。浜島にとって一番印象に残っているレースも、このカナダGPだそうだ。
「あのレースは一番染み付いています。なんで言うことを聞いてくれないんだろうと思いました」
「タラレバだけど、あそこで1点でも2点でも多く獲っていれば、結果が違っていた可能性が高い。チャンピオンシップでは、こまめに得点することが必要ですから」
また当時の浜島は、フェラーリ入りすることについて「“夢が叶う”のひとつ」と表現していた。そして実際にその“夢”を現実に経験した感想を、次のように語ってくれた。
「F1を引っ張っているチームに入れるということは、とても貴重な経験でした。そして以前はタイヤを供給する側にいて、今度はタイヤを使う側に立てた。今までとは違う側面を見れたということで、“夢が叶った”と言えるのではないでしょうか。そして、フェラーリは人を非常に大切にする会社でしたし、レーシングチームのオペレーションも経験できた。凄く勉強できた3年間だったと思います」
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