ビアンキの容体に関して、非公式な(しかし信憑性の高い)情報はいくつかあるが、日曜夜の時点で大半のプレスが公式発表以上の報道を控えているのは、誰もがビアンキの尊厳を最優先しているからだ。
報道という意味でもっとも辛い立場に置かれたのは事故現場にいて救出作業を目にしたエイドリアン・スーティルで、F1ドライバーとして“公"の立場上、最小限の対応は行わなくてはならなかった――彼が事故の“物理的な"説明以外「ディテールには触れたくない」と説明したからこそ、ビアンキの尊厳を最優先するレース現場の倫理が保たれた。
スーティルがターン7でコースアウトしたのは16時47分。首位ハミルトンから1周遅れの41周目を走行しているときだった。ビアンキがスーティルの前、17位で同じポイントを通過した直後のことだ。そして42周目、ビアンキは1周前のスーティルとほぼ同じ地点でアクアプレーニングに見舞われコースアウトしたと説明されている。スーティルの場合はタイヤバリアが衝撃を吸収したのに対して、ビアンキのマシンはザウバーの撤去作業を行っていた重機の後部に衝突してしまった。
事故を回避できなかったのかと考えると、様々な意見が生まれる。スーティルがコースアウトした時点でセーフティカーが入るべきだった。重機がコースサイドまで出動すべきではなかった。ウェットコンディションでレースを行うべきではなかった。雨天で日照が乏しくなるならスタート時間を早めるべきだった。あるいは暗くなった時点でレースを終了すべきだった……。
しかし事故が重大になった理由には様々な要素が加担していて“犯人"を名指しすることはできない。事故現場ではイエローフラッグ2本が振られていた。スーティルのコースアウトの後、他のドライバー全員がこの地点を“無事に"通過して、最後にターン7に入ってきたのがスーティルの目の前を走行していたビアンキだった。雨足は強弱を繰り返していたものの、スーティルやビアンキを含めて過半数のドライバーがフルウェットではなくインターミディエイトを装着していた。完全な“フルウェット"のレンジでもなければ、F1マシンが走れない水の量でもなかったのに、スーティルやビアンキという優れた技量のドライバーでさえ、マシンはアクアプレーニングでコントロール不能に陥った。舗装も路面の傾斜も、鈴鹿は排水に優れたサーキットであるにもかかわらず。
何人かのドライバーが指摘しているとおり、日没前の鈴鹿で西の雲が厚くなれば思いがけないほどサーキットが暗くなったことだけは事実だ――晴天なら、路面が黄金色に輝く美しい時間帯でもある。
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