スクーデリア・トロ・ロッソのレースドライバーとなることが正式に発表されたスコット・スピードは、F1のシートを手に入れて興奮していると同時に少しほっとしたと述べた。ここへ至るまでに、彼は数々の障害を克服しなければならなかったからだ。
レッドブルのプレスリリースが彼に2006年のレースシートを保証していないようにも読めたことから、一時は土壇場での落選も懸念されたものの、結局スピードはビタントニオ・リウッツィと共にスクーデリア・トロ・ロッソのフルタイムレースドライバーとして正式に発表された。これによって、彼は1993年にマクラーレンをドライブしたマイケル・アンドレッティ以来、久々のアメリカ人F1ドライバーとなる。また、彼が今年のUSGPに出走すると、1989年にフェニックスで3位に入ったエディ・チーバー以来、17年ぶりにアメリカ人ドライバーがホームGPに参加することにもなる。
「ひと言で言えば‘ファンタスティック’だね」とスピード。「ワクワクするような気分であることは間違いない」
「F1をアメリカの人々にとって身近なものにするというのは、エキサイティングな仕事だよ。母国アメリカで、それもインディで、大勢の人々に応援されながらグリッドにつくことができるなんて、信じられないような気分だろうね。今から本当に楽しみにしているよ」
スピードは、F1にアメリカ人を送り込むことを目的として2002年に発足したレッドブル・ドライバーサーチプログラムの出世頭だ。このスキームに選ばれて以来、ヨーロッパで修行を重ねてきた彼は、GP2のチャンピオンを獲得したニコ・ロズベルグと共にF1へステップアップし、2006年のF1グリッドに並ぶことになる。だが、頂点へ至る道程は決して平坦ではなかった。F3に初挑戦した年には、病気のため撤退を余儀なくされ、翌シーズンはFルノー・ユーロカップに舞い戻った。しかし、彼はそこで改めてチャンピオンを獲得し、2005年にはiスポーツ・インターナショナルからGP2へ参戦することができた。
「相当なハードワークが必要だったし、病気をはじめとして、僕たちには克服しなければならない障害もたくさんあった。ここで僕があえて‘僕たち’と言うのは、いつも僕をサポートしてくれる素晴らしい人々のグループに恵まれていたからだ」
「アメリカ人がF1まで上がって来るのは決して楽ではない。母国を離れてヨーロッパに住み、こっちの人々に認めてもらわなければならないからね。でも、僕の仕事はまだ始まったばかりだ。これでワールドチャンピオンになるという僕の最終目標に一歩近づいたのは確かだけど」
彼にとってF1はまったく未知の世界ではない。すでに何度かレッドブル・レーシングのテストにも参加し、今年のカナダGPとUSGPでは金曜のテストドライバーも務めている。来年早々にスクーデリア・トロ・ロッソがウインターテストを開始すると同時に、彼も‘勉強’を再開することになる。