マレーシアでBARホンダチームでのレースデビューを悲惨な形で終えたアンソニー・デイビッドソン。彼はその才能をより多くの人々に見てもらうために、再びF1でチャンスが与えられることを願っているという。
佐藤琢磨が体調を崩したため、急遽その代役としてマレーシアGPに出場することになったデイビッドソンは、2004年には同チームのサードドライバーとして関係者の印象に残るパフォーマンスを見せたこともあり、セパンでの実戦で彼の才能を証明したいと望んでいた。だが、残念ながら決勝では3周目にエンジントラブルに見舞われてリタイア。チームメイトのジェンソン・バトンが同じ理由で車を止めた直後のことだった。
15番手のグリッドからスタートしたデイビッドソンは、ギヤボックスの不調のために出遅れ、いきなりポジションを3つ落としてしまった。すぐにジョーダンのナレイン・カーティケヤンとティアゴ・モンテイロを抜き返したものの、3周目に入ったところでトラブルは起きた。
「僕の前にはミハエル(シューマッハー)、ジャック(ビルヌーブ)、ルーベンス(バリチェロ)という集団がいたんだけど、突然彼らがみんな派手にスライドし始めたんだ。ミハエルも思いきりホイールをロックさせたりして、そのグループ全体が大苦戦しているのが見えた」とデイビッドソン。
「そうしたら今度は僕の車が彼らよりもっとひどくスライドし始め、グループから少し離されてしまった。1コーナーではかなり危ない場面もあって、なんとかそこをクリアできたところでジョック(クレア、BARのエンジニア)から無線で『ジェンソンが撒いたオイルに気をつけろ』と言われた。僕は『なるほど、それでみんなが滑っていたんだな』と思ったよ。だけど、僕だけが周りのみんなよりも激しくスライドしている理由が分からなくて、そのうちにジャックにもだいぶ差をつけられてしまった」
「(スピンしていた)ジェンソンの前に出た後も、僕の車はまだスライドしていて、高速シケインのターン4と5でまたしてもコースから飛び出しそうになった。その時点でも、まだ僕には何が起きているのか分からなかったんだけど、ちょうどターン5を立ち上がったところで、ドカンとエンジンが逝ってしまった。たった2周を終えただけでレースから脱落さ!」
「(だけど)素晴らしい経験だったよ。もう長くこのチームにいるのに、ずっとテストだけしかしていなかったから、BARでレースに出られたらいったいどんな気分だろうって、いつも考えていたんだ。またいつかチャンスが巡ってくるといいんだけどね!」