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FIAを率いて11年。フェラーリ全盛期から変わらぬ統率力を発揮し続ける会長/F1レース関係者紹介(8)

2020年6月5日

 F1には、シリーズを運営するオーガナイザーを始め、チーム代表、エンジニア、メカニック、デザイナー、そしてドライバーと、膨大な数のスタッフが携わっている。この企画では、そのなかからドライバー以外の役職に就くスタッフを取り上げていく。


 第8回目となる今回取り上げるのは、FIAの会長を務めるジャン・トッド。かつてWRC世界ラリー選手権やF1でチームを率いて成功を収めたトッドの強みとは、一体何なのだろうか。経歴を振り返りつつ、ご紹介する。


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 2009年7月に、前会長のマックス・モズレーの引退表明に伴って行われたFIA(国際自動車連盟)会長選挙で、対立候補のアリ・バタネンを大差で破り、10月23日に第9代FIA会長に選出されたのがジャン・トッドだ。


 初代FIA会長のジュアン・ド・ロアン-シャボー(1946年?1958年)もフランス人で、2代目のアドラン・ド・リドケルク・ボーフォール(1958年?1963年)もフランス人だった。さらに7代目のジャン-マリー・バレストル(1985年?1993年)もフランス出身で、トッドはFIA史上4人目のフランス人会長となる。

F1レース関係者紹介
山下晋モビリティランド社長(当時)と握手を交わすトッド(2018年イギリスGP)


 そもそもFIAは、その頭文字からもわかるように、「F〓d〓ration Internationale de l’Automobile」とフランス語で表記された世界各国の自動車団体により構成される非営利の国際機関で、本部はフランスのパリにあることからも、伝統的にフランスの影響力が強い。


 F1発祥の地は第1回大会が開催されたイギリスだが、フランスはそもそも、自動車が発明されてまもない1895年に世界最初の自動車レースを行った国。6月11日にフランスのパリをスタートしてボルドーで折り返し、再びパリに戻る往復コースで行われたのが、世界初となる本格的な自動車レースだった。


「グランプリ」という言葉もフランス語で、最初に「グランプリ」という名でレースが開催されたのは、1901年にフランスのポーで行われた公道での自動車レースだったように、自動車とグランプリレースはフランスが起源とされてきた。

F1レース関係者紹介
2019年F1第8戦フランスGPのスターティンググリッドでファンの声援に応えるジャン・トッド

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パートナーのミシェール・ヨーとともに グリッドを視察するジャン・トッド


 トッドは、そのフランスでまずラリーで成功を収めた。1984年と85年にフランスのプジョーを率いて、世界ラリー選手権(WRC)を連覇。その手腕を評価したのが、F1のフェラーリだった。


 フェラーリの社長だったルカ・ディ・モンテゼモーロに引き抜かれたトッドは、1993年のフランスGPからF1に合流。3年後の1996年にベネトンからミハエル・シューマッハーを移籍させると、翌1997年には同じくベネトンからロス・ブラウン(当時テクニカルディレクター)とロリー・バーン(当時チーフデザイナー)も招聘し、ドリームチームを形成する。


 この大改革が功を奏し、2年後の1999年にコンストラクターズ選手権を達成すると、2000年にはシューマッハとともにドライバーズ選手権も制覇。これはフェラーリにとって1979年以来、21年ぶりの快挙だった。


 その後、フェラーリの全盛期は2004年まで続き、コンストラクターズ選手権6連覇は、現在のメルセデス(2014年〜2019年)とともにF1史上最多記録となっている。


 しかし、シューマッハが2006年限りで引退し(その後2010年に復帰)、ロス・ブラウンがフェラーリから離脱すると、トッドの求心力は急激に低下。2008年の3月にフェラーリを後にした。すると、フェラーリもまた長い低迷期に入り、現在までタイトルから見放され続けている。フェラーリが最後にタイトルを獲得したのは、2007年のキミ・ライコネンだが、これはトッドがチーム代表を務めた最後のシーズンだった。


 トッドがフェラーリで重要な役割を果たしていたことについて、フェラーリの全盛期にタイヤサプライヤーとしてともに仕事をしていたブリヂストンのスタッフだった浜島裕英さんは、トッドの長所は他人の意見を聞く耳を持っていることと、それを聞いた上で実行に移す統率力だと言う。


「いまでも忘れられないのは、2003年のフランスGPのこと。土曜日の夜、トッドさんから『今夜レストランに集合』という連絡がありました。おいしいフランス料理が食べられると思って、レストランに入ったら、テーブルが会議室みたいに並べられていて、その中央にいたトッドさんから『ハミー(浜島さんの愛称)はそこに座って』と言われました」


「しばらくするとドライバー2人が入って来て、そのあとロス(・ブラウン)やエンジニアたちがぞろぞろと来た。そして、トッドさんは『今シーズンはここまで成績が悪いので、今日は反省会をする』と言うんです。トッドさんがすごいのは、集まった全員に好きなことを言わせたこと。そして、みんなが自由に発言した後で、『これで何が悪いかがだいたいわかった。じゃ、それを解決できるよう、あとはみんなで力をあわせるように』と会議を締めました」


 フェラーリ時代から聞く耳を持っているトッドは、FIA会長になったいまも生きており、年に1回程度ではあるが、メディアを自室に招いて会見を開いている。


 2017年のアブダビGPでは、こんなことがあった。筆者が質問しようと手をあげると「私は日本語は話せないけど、いいかな」と言って周囲を和ませた後、筆者の質問を快く聞いてくれた。筆者の質問は、その年大不振に陥っていたホンダに関するもので、トッドの答えは次の通りだった。


「我々はメルセデス、フェラーリ、ルノー同様にホンダにも、できるだけ長くF1にいてもらいたい。彼らは素晴らしいカンパニーだ。F1の世界で長い歴史があり、多くの成功を収めている」


「残念ながら、現在のホンダは非常に厳しい状況にあり、そこを抜け出すのは簡単ではないだろう。それでも、この世界は何か起きるかわからない。それにはこの世界にいることが大切だ。そのために、われわれができることがあれば、これからもサポートしていきたい」

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年に1回程度、自室にメディアを招いて会見を開いている

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2018年のイタリアGPでのトッドの会見。隣はチャーリー・ホワイティング


 聞く耳を持っているトッドが、フェラーリ時代に優れた統率力を生かせたのは、その下にいたスタッフにシューマッハー、ブラウンといった優秀なスタッフがいたからだろう。


 トッドがFIA会長に就任して、今年で11年目のシーズンを迎えている。会長就任当時は持ち前の統率力を生かすことができなかったかもしれないトッドの周りには、徐々にかつてのドリームチームを形成したスタッフが戻りつつある。トッド時代にチームマネージャーを務めていたステファノ・ドメニカリは、FIAのシングルシーター委員会の委員長に就任。ブラウンはFIAではないが、F1のモータースポーツ担当マネージング・ディレクターとして、トッドと密にコミュケーションを図っている。


 F1は7月から、無観客でレースを再開することを決定した。トッドの優れた統率力を期待したい。

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パドックでホーナーと立ち話するトッド。右は息子でルクレールのマネージャーでもあるニコラ・トッド



(Masahiro Owari)




レース

4/19(金) フリー走行 12:30〜13:30
スプリント予選 16:30〜17:14
4/20(土) スプリント 12:00〜13:00
予選 16:00〜
4/21(日) 決勝 16:00〜


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8位フェルナンド・アロンソ24
9位ルイス・ハミルトン10
10位ランス・ストロール9

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2位スクーデリア・フェラーリ120
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4位メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム34
5位アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム33
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9位ステークF1チーム・キック・ザウバー0
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