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1996年のF1王者デイモン・ヒルに聞くウイリアムズFW18。「少しも複雑じゃないところが最大の美徳」

2019年10月10日

 1996年、ウイリアムズは3年ぶりにダブルタイトルを奪還した。それもチーム史上年間最多の12勝をマークする圧勝だった。にもかかわらず、この年のFW18は歴史のなかであまり高い評価を得ていない。というにも、この年は、デイモン・ヒル、ジャック・ビルヌーブによる史上初の二世ドライバー同士の頂上決戦に注目が集まり、ドライバーが主役のシーズンになってしまったことも無関係とは言えない。


 毎号1台のF1マシンにフィーチャーし、マシンが織りなすさまざまなエピソードとストーリーを紹介する『GP Car Story』。現在発売中の最新刊Vol.29では、この過小評価される名車FW18を特集。ホンダ・ターボ時代やアクティブサスペンション時代のような目に見える“強さの象徴”こそないFW18だが、目立たぬところで現代F1に通じるアイデアが多く盛り込まれていたことを知ると、なぜFW18があそこまで強かったのか理解できるはず。


 そのFW18を駆り、悲願の親子二代チャンピオンに輝いたデイモン・ヒルのインタビューを全文公開!


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■文句なしのクルマ

──FW17は1995年タイトルを手にして当然のクルマでしたか?
「手にして当然ではなく、取り逃がしたと言うべきだろう。可能性は十分あったが、諸般の事情により果たせなかった。私の考えでは、理由はひとつ。ウイリアムズは、タイトルを獲るためには手段を選ばない、というようなチームではなかったということだ」


「ベネトンは実質的にミハエル・シューマッハーのワンマンチームだから、彼を徹底的にマークすれば当然勝機は増す。でもウイリアムズは、そういう戦い方を潔しとしない頑固さというか、良く言えば矜恃みたいなものを持っていたんだ」


「だからこそ私は、ミハエルと本気で勝負しながら、同時にチームメイトのデビッド・クルサードをも相手にしなければならなかった。みすみす敵にポイントをプレゼントするようなもの、と思うこともままあったよ。しかし、ウイリアムズの名誉のために、ドライバーに勝利への意欲とそのチャンスがあればチームは邪魔をしたりはしなかった、ということは言っておこう。それくらいレーシングスピリットを大切にしていたんだよ」

ウイリアムズFW18を駆り1996年のF1ワールドチャンピンとなったデイモン・ヒル
ウイリアムズFW18を駆り1996年のF1ワールドチャンピンとなったデイモン・ヒル


──95年のFW17から96年のFW18への技術的移行について、どんなことが印象に残っていますか?
「95年のクルマは、取り立てて不満のないレベル。一方96年型は、文句のつけようがないクルマに仕不がっていた。アタマの先から尻尾まで、すべてエイドリアン・ニューウェイが仕不げた最初のクルマだ。つまり、それくらい自由にやっていいという権限を与えられていた」


「最初に彼から言われたのは、私の身体にピッタリ合うクルマにしてやる、ということ。それまで窮屈じゃないクルマに出会ったことなんてなかったからうれしかったね。F1ドライバーは小さくてかわいい足をしたやつらばかりだけど、私のはウチワ並みに幅広で、ペダル操作でいつも苦労していたんだ。そのうえ私は不背もかなりあったので、いつも身体を折り曲げるようにしてやっとコクピットに収まっていた」


「FW18のシートに初めて腰を下ろした時、どこもかしこもピッタリで感動モノだったよ」


──新規に義務づけられたヘッドレストにもチームは巧妙に対応しましたね。ウイリアムズと見比べるとフェラーリはまるでアームチェアのようでした。
「エイドリアンがルールの迂回路を見つけたんだ。規則を真に受けたフェラーリは、本当に不格好だったね。FW18は、今でも充分通用する美しさだと思うよ。シンプルで扱いやすく、運転していて心から楽しいと思えるクルマだった」


「重量配分が理想的で、しかも空力バランスに優れているから、唐突な挙動というのがほとんどないのさ。少しきっかけを与えてやるだけで、意のままに操れる。ドライビングフィールを言葉にするとしたら、まさにうっとりという感じかな」

■ブラジルはキャリアベスト

──アラン・プロスト、アイルトン・セナ、ナイジェル・マンセル、クルサードと一緒に仕事をしてきたあなたは、ジャック・ビルヌーブをどう評価しますか?
「何ひとつ自らに恥じるところのないドライバー、とでも言っておこう。物事に対処する彼なりのやり方があって、それがかなり独特なんだけれども、彼はそれを決して隠したりしないで正々堂々とやる。面と向かって、『オレはこうするからね』と予め断ったうえでやられたら、不思議と腹は立たないものだ」


「一緒に仕事をするのは楽しかったよ。いつも自信満々で、その分強引なところもあったが、真正直な人間だと認めないわけにはいかない。彼とのバトルで不愉快な思いをしたことだって一度もないしね。真っ向勝負が彼の信条だから、決して汚い手を使ったりはしないんだ。ジャックのそういう部分は對敬に値するし、私は好きだったよ」


──オーストラリアで、あれほどの独走状態になると予想していましたか?
「ジャックとの一騎討ちは予想していた。実を言うと、あまり遅れずについてきてくれるといいな、と思っていたんだ。ところが彼にポールポジションを持っていかれてしまった。そのとき思ったのは、長いシーズンになりそうだということさ」


「自分がポールならもっと良かったが、ジャックが獲ったのもうれしかったよ。移籍早々やれることを証明したわけだし、チームの中で十分に役割を果たしてもらえると分かったからね」


「彼のファッションセンスはかなり大雑把だけど、ドライビングも似たところがあるんだ。縁石に乗るのはしょっちゅうだし、ヤバいなあと思って見ていると案の定スピンだからね。私は結構余裕で、彼の走りを後方から観察していたんだ。すると、コースアウトした拍子にどこかぶつけたらしく、オイルを飛ばしながら走っているのが分かった」


「私が無線で報告するまでもなく、ピットからあまり近づいちゃいけないと指示があったよ。ジャックのエンジンはいつブローしてもおかしくない、って言うんだ、おかしいだろ? 私は正直、ワンツー・フィニッシュならどっちが前でも構わないと思っていた。ジャックの走りもかなりアラが目立っていたし、直接対決になったら勝てると見極めがついていたからね」

同じ2世ドライバーのチームメイト、ジャック・ビルヌーブ(#6)とは激しいタイトル争いを展開しながらも険悪にはならず良好な関係を保っていた
同じ2世ドライバーのチームメイト、ジャック・ビルヌーブ(#6)とは激しいタイトル争いを展開しながらも険悪にはならず良好な関係を保っていた


──続く2レースも制して、開幕3連勝を記録しました。
「あまり褒めてくれる人はいないのだが、ブラジルは私のキャリアベストだと思ったりもするよ」


「グリッドに並んだ時は土砂降りの雨だったのが、突然雲間が切れて太陽が顔を出してね。遮るものもないクリアトラックが前方に広がり、水浸しの路面が陽光にまぶしくきらめいて、まるで夢のような光景だった。クルマはフルウエットなのに驚くほど従順で、まったくの独り旅で優勝を勝ち獲ったんだ」

■エイドリアンがいれば……

──シーズン半ばに、翌97年はハインツ‐ハラルド・フレンツェンがウイリアムズをドライブすると知らされましたが、そのあたりの経緯をお聞かせください。
「ドイツでそのことを知った。しかも直接じゃなく、メディアを通じてだ。確か英国オートスポーツ誌が、“ヒル解雇”とかの見出しを掲げていたんだ。私はワールドチャンピオンに手が届こうかという局面で、チームのために頑張っているドライバーにひどい仕打ちをするもんだなと思ったよ」


──フランク・ウイリアムズやパトリック・ヘッドからはどういう説明を受けたのですか?
「逃げ回っている感じだったね。すれ違ってもロクに視線を合わせないんだ。ハンガリーに向かう直前にフランクから電話が掛かってきて、チームのために決断を下さなければならないとか何とか、モゴモゴ言っていたよ。でもフランクには礼を言わなければね。人生最大のチャンスを彼から与えてもらったのだから。奪ったのも彼だけどね」


──そのことがあって、人生観が変わったりしましたか?
「ひどく腹が立ったし混乱した。私のロジックでは、自分に決定権はないにしても、レースに勝てばそれは私が任務を果たした証なのだから、チームはその働きに報いて翌年も契約を続行すべきだ、ということになる」


「ギャラで揉めたのだろうと盛んに噂されたが、金銭問題について私は何も知らない。ビジネスでやっているつもりは自分にはないので、すべて弁護士に任せていたんだ。自分のギャラがいくらかさえ知らなかったからね。ただ弁護士とフランクの関係が思わしくなかったのは想像がつく」


「その時すでにフレンツェンと契約を済ませていたことは、いずれ歴史が証明してくれるだろうね。ドライバーが3人いたら、誰かがあぶれるのは仕方がないし、彼らはジャックを残したかった。私は、95年にシートを失っていてもおかしくなかったくらいなんだ。96年の私の成績は彼らにとっても予想外の出来事で、それでウイリアムズは行き詰まってしまったのさ」


──レースキャリアをどうやって続けていこうと考えましたか?
「どこでも構わないから、エイドリアンがいるチームで仕事をしたい、というのが私の基本にあった。アロウズとの契約にサインしたのもそれが理由さ。その当時、1年契約で構わないと言ってくれたのはアロウズだけだったから」


「当然、その翌年にはマクラーレン入りを希望していたわけだが、残念ながら見送るしかなかった。ロンのオファーが腹に据えかねたからさ。実際にはとてもオファーとは言えないような条件だったんだけどね」

■お告げがあった?

──エストリルでタイトルを確定させるはずでした。しかし、ビルヌーブに優勝をさらわれ、次の鈴鹿に持ち越しになってしまいました。
「大勢の人がわざわざポルトガルまで足を運んでくれたんだ。ミック・ジャガーとかジェリー・ホール、そのほかにもたくさん。バーニー(エクレストン)も、ここで決めようと言ってくれたし。でも決めることができなかった」


「あのレースは、ジャックがとにかくすごかった。彼が加入してすぐの頃に、エストリルの最終コーナーはアウトサイドから抜けるか、と聞かれたことがあるんだ。『オマエ、どうかしてる、F1だぞ』って皆でバカにしたりしてね」


「私は特等席で見ていたから、誓ってもいい。ジャックはやったんだ、それを。しかも相手はミハエルだよ。開いた口が塞がらなかったね」


──鈴鹿の週末はどうでした?
「3週間のインターバルがあったので自宅に戻り、自主トレに専念した。その頃は少し気が変になっていて、完全なオーバートレーニング状態だ。早めに香港に向けて発ったのは、時差ボケを和らげたいという意味もあった。ジョージーも一緒に来てくれて、彼女は父親が軍属で、子供の頃に香港で暮らしていたこともあるんだ」


「ふたりで丘の不に登ったら、岩肌にたくさん落書きが描かれている場所があって、その中のひとつに“Damon”と記されているのを見つけた。はるばる香港まで来て、自分の名前を発見したわけだ。偶然にしてはできすぎで、何かのお告げのような気がしたものさ。日本では眠れない夜が続いた」


「ジャックのホイールが外れるということがあって、それで私も任務を完遂することができたんだ」


──ビルヌーブがリタイアした後、集中力を保つのが大変だったんじゃないですか? タイトルはもう手に入ったわけだし。
「もうピットに戻っていいか、と無線で軽口を叩いたら、ダメだ最後まで続けろと言われてね」


「むろんそれは冗談で、シーズン最後のレースを優勝で締め括るほど痛快なことはない。ジャックがおめでとうと言いにきてくれて、ふたりで夕食を共にした。本当にいいやつなんだ。それから皆で鈴鹿のログキャビンに繰り出すと、ミハエルがいて、彼からも祝福を受けた」


「たまたまイギリス人が多かったので調子に乗って、ドイツ人はああだこうだとからかってしまったんだけど、ちょっとやりすぎたかもしれない」


──今こうして振り返ってみて、FW18は自分がドライブした中でベストカーだと思いますか?
「“ベスト”と評されるようなクルマはどれもファンタスティックで、なおかつエキサイティングだ。しかし、FW18はそんな中でも珠玉の一台と言っていいと思う」


「少しも複雑じゃないところがこのクルマの最大の美徳さ。ドリンクボタンがあって、無線があって、ニュートラルボタン、シフトアップ、シフトダウン……。素晴らしい時間を過ごさせてもらったよ」

デイモン・ヒルは92年イギリスGPでF1デビュー。93年ウイリアムズに移籍し、96年に8勝を挙げチャンピオン。99年日本GPで引退
デイモン・ヒルは92年イギリスGPでF1デビュー。93年ウイリアムズに移籍し、96年に8勝を挙げチャンピオン。99年日本GPで引退


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 お届けしたデイモン・ヒルの他、チームメイトのジャック・ビルヌーブ、重鎮パトリック・ヘッドらに加え、今回の目玉はデザイナーのエイドリアン・ニューウェイ独占インタビュー。これまでなかなかメディアに対して自らのクルマについて語ってこなかった彼のインタビューは一読の価値あり。


 その他、両ドライバーを担当した若きレースエンジニアたち、ジョック・クレアやティム・プレストン、ルノーV10サイドからはベルナール・デュド、ドゥニ・シュブリエらの貴重な声も収録。恒例のバリエーション、ディテールファイルといったマシンの魅力をお伝えする企画も満載!


 これまで明かされてこなかったFW18の真実が見えてくる『GP Car Story Vol.29 Williams FW18』は、全国書店やインターネット通販サイトで10月9日より好評発売中。



10月9日発売の『GP Car Story Vol.29 Williams FW18』
10月9日発売の『GP Car Story Vol.29 Williams FW18』


(Text/Adam Cooper




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