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『エイドリアン・ニューウェイ HOW TO BUILD A CAR』連動企画02/レイトンハウス、会心の一撃

2020年4月24日

 数多くのチャンピオンマシンを生み出したレーシングカーデザイナー、エイドリアン・ニューウェイの著書が4月28日(火)に発売となる。日本語版の発売を記念した連動企画として本書『ON THE GRID』CHAPTER 25より、1988年に常勝マクラーレン・ホンダを追い抜いた唯一のNAエンジン車として特別な1台となったレイトンハウス・マーチ881の戦いについて、一部を抜粋して、紹介する。
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 1988年シーズンの初戦はブラジルだった。現地で3日間のテストをした後、レースまでは一週間の空きがあり、ありあまる時間を使って私たちは『フレームアウト』という新しい遊びに熱中した。ブラジルでは、自動車に『アルクール』と呼ばれる燃料が使われていた。これは甜菜(砂糖大根ともいう)を蒸留して作った燃料で、アルコール飲料の原料にもなり、本来かなりの甘みがある。そのため、人々が給油所のポンプから直に飲もうとしないように、燃料として売られるものには不快な味のする化学薬品が混ぜられていた。


 ブラジルに着いてまもなく、レンタカーのフォルクスワーゲン・ビートルのアクセルを全開にしたまま、いったんイグニッションをオフにしてアルコールがエキゾーストに溜まるのを待ち、再びイグニッションをオンにすると一気に燃え、排気管から火炎放射器のように火を吐くことを学んだ。


 これをリオからサーキットへ向かう途中にある長い下り坂でやると、暗いトンネル内が明々と照らし出された。これは、なかなかの見ものだった。誰が一番長い炎を出せるかを競って、この道を何度となく往復し、錆びて朽ちかけたサイレンサーを路上に落としたことも一度や二度ではなかった。


 それはさておき、ブラジルの暑さは、私たちのクルマを悲惨な状態に陥れた。冷却システムの能力が足りず、高い気温に対処できなかったのだ。結果として、予選は真ん中あたりの順位で通過したものの、レースはリタイアに終わった。チームの経験不足は明らかだった。


 ただ、そんな落胆ばかりの週末にも、ひとつだけ嬉しいことがあった。ウイリアムズのエンジニア、ジェームズ・ロビンソンが私を訪ねてきて自己紹介し、話したいことがあると切り出した。彼は私たちがギヤボックスの問題を抱えているのを知り、デイヴィッド・ブラウン・ギアーズという会社に連絡してみてはどうかと教えてくれたのだ。


 提案は純粋な親切心によるもので、私たちは良い友人になった。しかも、彼が住んでいるのは、私の家がある地区の隣村であることもわかった。そして、彼のアドバイスは実に適切だった。イギリスに戻ってデイヴィッド・ブラウンに相談すると、彼らはすぐに私たちのギヤボックスの問題を解決してくれた。


 メキシコのレースを迎える頃には、デイヴィッド・ブラウンのハイポイド・ギアのおかげで、ギヤボックスのトラブルは解消されていた。これにより私たちは、パフォーマンスを引き出す作業に集中できるようになった。ドライバーたちはコーナーでの旋回中にアンダーステアを訴えていたので、まずフロントのダウンフォースを強化するために従来よりも大きいフロントウイングをデザインし、同時にフロントサスペンションを改造して、ジオメトリーによるライジングレート効果を高めた。


 そうすると、より軟らかめのスプリングを使っても高速域では実質的なばねレートが高くなり、その分だけフロントの車高を低く設定できるので、車全体の空力を改善することができたのだ。ゆっくりとではあるが確実に、私たちは信頼性の問題を解消していき、クルマのセットアップについて学んでいった。


 次のレースはカナダだった。予選では特別なことは何もなく、私たちの前には自然吸気エンジンのクルマも何台かいた。しかし、レースでは好パフォーマンスを発揮できて、マウリシオ(グージェルミン)はリタイアに終わったものの、イヴァン(カペリ)は5位でフィニッシュした。


 この成績には大いに満足したと思われるかもしれない。実際、空港へ向かう車中でもチーム代表のイアン・フィリップスとチーフデザイナーのティム・ホロウェイは、ようやくチーム初の選手権ポイント2点を獲得したことを喜んでいた。だが、私はそれほど上機嫌ではなかった。私たちが本来いるはずの位置を基準とすれば、まだ十分な競争力があるとは言えなかったからだ。あのクルマはもっと高いパフォーマンスを示せる、と私は思っていた。

■セナをオーバーテイクした瞬間の高揚感を今も覚えている

 ドイツのホッケンハイムへ行く頃には、私たちも随分と調子を上げていた。コンストラクターズ選手権では6位タイ、イヴァンはドライバーズ選手権で11位につけていた。最大限のダウンフォースが要求されるハンガリーでは、それまでより長いノーズと新型フロントウイングを投入し、イヴァンはエンジントラブルでリタイアしたが、グージェルミンが5位でフィニッシュした。


 モンツァでは、イヴァンがウイリアムズのリカルド・パトレーゼと激しくホイール同士をぶつけ合うバトルを演じた末に5位入賞を果たした。イヴァンは勇敢で度胸のあるドライバーで、その美点を、まさにここというレースで存分に発揮してくれた。レース後、今季2度目の観戦に訪れていた赤城(赤城明/レイトンハウス代表)に傷んだホイールを見せると、彼はパトレーゼを抜いて5位を獲得したイヴァンの闘志に深い感銘を受けていた。


 その週末には、赤城が隠していたあることが明るみに出た。それまで、彼とのやりとりはすべて通訳を通じて行い、私たちが言ったことに対して、いつも彼は表情ひとつ変えずに通訳されるのを待っていた。レイトンハウスのモーターホームはとても小さく、6人しか座れなかった。通常はふたりのドライバーとレースエンジニアのティム・ハロウェイとアンディ・ブラウン、チーム代表のイアン・フィリップスと私とで満員で、その週末はイアンが赤城に席を譲って立っていた。


 そして私たちがレースのスタートに備えて出て行った後も、彼はモーターホームに残っていた。そこへ見目麗しいイタリア人女性ジャーナリストが登場し、彼にインタビューを求めた。女性のルックスには絶大な効果があるようで、赤城は文句なしの英語で彼女の質問に答えたという。


 チームはコンスタントにポイントを取れるようになり、選手権で6番手につけていた。ポルトガルでの練習走行中に、私はピットウォールから最終コーナーを見ていた。イヴァンのクルマが立ち上がってくるのに続いて、アラン・プロストのクルマが見えたが、彼は明らかに速度を落としていた。


 どうしてだろう、と私は不思議に思った。あとでわかったことだが、プロストはその奥の深い高速右コーナーに、イヴァンが自殺行為としか思えない速度で入っていくのを見た。そして、アクシデントが起きるに違いないと確信して、スロットルを戻していたのだ。


「あのクルマには本当に驚かされた」と、彼はラジオ局のインタビューで言ったそうだ。あの偉大なプロストに、あんな速度では絶対にコーナーを曲がりきれないだろうと思わせたのだから、大したものではないか。それも、ターボエンジンのマクラーレンと比べるとパワーのない私たちのクルマは、ずっと小さなウイングで走っていたことを考えればなおさらだ。


 予選では3番手グリッドを確保したが、その直後に私はサーキットを離れた。イギリスに帰って1989年型車(CG891と呼ばれることになる)の仕事をしなければならなかったからだ。


 空港にはアマンダ(ニューウェイの当時の妻)が迎えに来てくれて、私たちはヒースローから家までクルマを走らせながら、レースの様子をラジオで聞いていた。私は少し緊張していた。予選では過去最高のパフォーマンスを発揮できた。そして、レースではイヴァンがアイルトン・セナのテールに食らいつきながら、どうしても抜くことができずにいた。


 だが、レースも3分の2を過ぎた頃、イヴァンはついに自分のやるべきことを理解した。少し間隔を空けた状態で最終コーナーに入り、ストレートでセナのスリップストリームを利用して、最後の瞬間にスリップから出るのだ。これは見事に決まった。イヴァンがセナをオーバーテイクしたのだ。


 その瞬間に感じたこの上ない高揚感を、今もはっきりと憶えている。限られたリソースと、自然吸気エンジンで戦うちっぽけなチームが、アイルトン・セナの駆るマクラーレンを抜いたのである。これがどれほどすごいことか、わかりやすいように言えば、ホンダ・エンジンを積むマクラーレンはずば抜けた存在であり、マクラーレンが抜かれるとしたら、相手はもう1台のマクラーレン以外には考えられなかったのだ。それを自然吸気エンジンでやってのけたのだから、まさに夢のようだった。


 しかもイヴァンはそのまま走り続けて、プロストに次ぐ2位でフィニッシュした。ついに私たちは初の表彰台に上がり、ようやくクルマのポテンシャルを見せ始めた。まさに痺れるようなレースだった。

■1988年の日本GPは「興奮で心臓が口から飛び出そうになった」

 スペインは、この驚くべきシーズンから言えば、まったく冴えないレースだった。だが、次の日本ではイヴァンがゲルハルト・ベルガーに次ぐ4番手グリッド(1列目はセナとプロストのマクラーレン。このシーズン11回目のフロントロウ独占だった)を手にして、スポンサーを大いに喜ばせた。私は891の仕事に没頭していてレースの現場にはいなかったが、もちろんテレビで観戦した。そして、私が目にしたのは、このシーズンに起きたことのなかでも最高にエキサイティングな出来事のひとつだった。


 レース開始と同時に、セナはグリッド上でストールし、その後の大半を順位の挽回に費やした。セナのドライビングもひとつの見どころではあったが、私は注目に値するレースをしたイヴァンしか見ていなかった。彼はフロントランナーたちを追い回し、ベルガーを抜いて自力でプロストに続く2位に浮上した。


 そして、最後のシケインの出口でプロストの背後にぴったりつけたイヴァンは、そこからうまく加速をして、スタート/フィニッシュラインの直前でわずかにプロストの前に出た。残念なことに1コーナーまではまだかなりの距離があり、メインストレートが終わらないうちに、プロストがホンダ・パワーの威力で再びリードを奪い返した。それでもラップチャート上では、イヴァンがその周のレースリーダーとして記録された。


 F1で自然吸気エンジンのクルマがリードを奪うのは1983年以来のことだった。私たちは興奮で心臓が口から飛び出そうになりながら、もう一度プロストを抜こうと試み続けるイヴァンを見守った。一度起きたことは、もう一度あってもおかしくない。


 だが、イヴァンは突然止まってしまった。何らかの理由でクルマが息絶えたのだ。


 後日、マクラーレンのオーナー、ロン・デニスは、私たちが一時でもトップに立ってみせようと十分な量の燃料を積まずにクルマを走らせ、それゆえに止まってしまったのだと言いふらした。もちろん、それはまったくの戯言だったが、なぜクルマが急に止まり、イヴァンがリタイアを余儀なくされたのかは依然として謎のままだった。回収されたクルマがピットに戻って来たとき、エンジンは一発で始動し、何の問題もなく回ったからだ。


 本当のところは、いまだにわからない。私たちにも真相は突き止められなかったのだ。最初に疑われたエンジンのコントロールユニットは、検査のためサプライヤーに送り返されたものの、不具合は何も見つからなかった。しかし、それから数ヶ月後にイヴァンが、あの時にあることが起きた可能性を認めた──「ありうることだ」と彼は、きまり悪そうに言った。


 彼の左腕の下にあるレバーを使って、リヤ・アンチロールバーの硬さを調整していたときに、その4インチほど前方にあるイグニッションのトグルスイッチに手が当たったかもしれないというのだ。実際それはドライバーが犯しやすいミスであり、テストとレースで何千マイルも走り込んでも起きなかったことが、白熱したバトルの最中に、ドライバーがそれまでと少し違うことをしようとしたときに起きるというのも往々にしてあることだ。


 一方、セナは鬼神の走りを続けて順位を上げていき、ギヤボックスに問題を抱えていたプロストを追って2番手まで浮上した。そして、プロストを抜いたセナは、立て続けに圧倒的なタイムを叩き出し(その過程でイヴァンの最速ラップタイムは破られた)、レースを制覇してタイトル争いにも決着をつけた。セナにとって初の世界選手権タイトルだ。だが、私たちには「だったかもしれない」のレースだった。


 歴史に記されているとおり、レイトンハウスがレースでの優勝に近づいたのは、これを含めて2回だけだった。その本当に惜しかった2度のチャンス、1988年の日本と1990年のフランスを勝利に繋げられず、レイトンハウス・マーチが未勝利コンストラクターの長いリストに含まれていることを思うと、いまだに残念でならない。
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『エイドリアン・ニューウェイ HOW TO BUILD A CAR』の詳細と購入はこちらから
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『エイドリアン・ニューウェイ HOW TO BUILD A CAR』
訳/水書健司 監修/世良耕太
発行元/株式会社 三栄
ハードカバー・656ページ
4800円+税
2020年4月28日(火)発売


三栄オンラインや通販サイトにて予約受付中
https://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=11299





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