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ジョン・サーティース亡くなる。二輪・四輪で世界王座を獲得
2017年3月11日
1956年、58〜60年と二輪のロードレース世界選手権でチャンピオンを獲得し、四輪では1964年のF1ワールドチャンピオンを獲得したジョン・サーティースが3月10日亡くなった。83歳だった。
サーティースは1934年2月11日イギリス生まれ。二輪では1956年にMVアグスタを駆り、初めてロードレース世界選手権500ccクラスのチャンピオンを獲得。以降58年から60年まで連続チャンピオンを獲得した。
1960年には四輪に転向し、F1に挑戦。63年にはフェラーリに加入すると、翌年に2勝を挙げワールドチャンピオンを獲得。二輪、四輪の世界最高峰でワールドチャンピオンを獲得した唯一の存在となった。
その後クーパーを経て、1967年にはホンダに加入。歴史的な名勝負となったモンツァでのイタリアグランプリでは、ホンダRA300を駆り0.2秒差でジャック・ブラバムを抑え優勝をもたらした。
1970年には自らの名を冠したサーティースでF1に挑戦したが、72年を最後にF1での活動を終えた。ドライバー引退後はクラシックイベントに参加したり、二輪や四輪のチーム運営に携わったりと活動。息子ヘンリー・サーティースもレーシングドライバーとして活躍したが、2009年のF2でタイヤが頭部を直撃。18歳で亡くなっている。
サーティースは2月からロンドンの病院で呼吸器系の疾患により入院していたが、10日、家族が「おだやかに亡くなった」とする声明を発表した。
「彼はモータースポーツ界の偉人であり、つい最近までヘンリー・サーティース財団とともに、バックモアパークのカートコースで疲れも知らず働いていた。我々は彼のような驚くべき、そして親切で愛された男の人生を祝福し、彼を失ったことに深い悲しみを示す」
モータースポーツ界の大いなる存在の逝去に、心から哀悼の意を表します。
(AUTOSPORTweb)
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6/8(土) | フリー走行1回目 | 結果 / レポート |
フリー走行2回目 | 結果 / レポート | |
6/9(日) | フリー走行3回目 | 結果 / レポート |
予選 | 結果 / レポート | |
6/10(月) | 決勝 | 結果 / レポート |
1位 | マックス・フェルスタッペン | 169 |
2位 | シャルル・ルクレール | 138 |
3位 | ランド・ノリス | 113 |
4位 | カルロス・サインツ | 108 |
5位 | セルジオ・ペレス | 107 |
6位 | オスカー・ピアストリ | 71 |
7位 | ジョージ・ラッセル | 54 |
8位 | ルイス・ハミルトン | 42 |
9位 | フェルナンド・アロンソ | 33 |
10位 | 角田裕毅 | 19 |
1位 | オラクル・レッドブル・レーシング | 276 |
2位 | スクーデリア・フェラーリ | 252 |
3位 | マクラーレン・フォーミュラ1チーム | 184 |
4位 | メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム | 96 |
5位 | アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム | 44 |
6位 | ビザ・キャッシュアップRB F1チーム | 24 |
7位 | マネーグラム・ハースF1チーム | 7 |
8位 | ウイリアムズ・レーシング | 2 |
9位 | BWTアルピーヌF1チーム | 2 |
10位 | ステークF1チーム・キック・ザウバー | 0 |