【】【F1ベルギーGPの焦点】夢に見た初優勝の実現と、その勝利を亡き親友に捧げたレース

9月4日

 同世代のフランス+モナコ。いくつもの要素が彼らを結び付けていたが、その幹となっていたのは7〜8歳年上のビアンキという先輩、彼らの“お手本”だった。それぞれがアイルトン・セナに憧れ、崇拝すると同時に、現実のなかで最も尊敬するのはビアンキの才能であり、彼の姿勢、そして彼のレースそのものだった。

 ジュールを中心にした彼らの思い出にはいつも南仏の光が降り注ぎ、幼いカート少年たちの瞳が輝いていた。夢のように幸福だった時代に終止符が打たれたのは14年の日本GP──。

「喪失から来る心の痛みは決して消えないし、薄らぎもしない」とルクレールは言った。

「喪失感に慣れることもない。僕らはただ、その痛みと一緒に生きていくだけだ」

 15年に“兄”であるジュールを失い、17年に最愛の父エルヴェを失ったことに比べると、他に“困難”は思い浮かばないと言う。闘病生活を続ける父に勝利を届けたかったモナコのF2レースは首位を走りながらトラブルでリタイア。アゼルバイジャンで勝利し、雪辱を果たしたのは父の死から4日後のことだった。

「父が亡くなった直後、あのレースを走り切る力があるなんて自分でも想像していなかった。でも、今回は状況が違う。僕らは昨日、このサーキットでアントワーヌを失ったんだ。僕らがこれからレースする、このサーキットで。みんなにとって同じだと思うけど、誰かを失った翌日にそのコースでレースするのは僕にとって初めての経験だった。バイザーを閉じ、前日とまったく同じコーナーをまったく同じスピードで抜けていくのは大きなチャレンジだった。でも、最終的に求められるのはそういうことなんだ」

 日曜の朝には、ドライバーの誰もが奇妙な感覚に襲われていたという。ユベールに敬意を表するためにはレースに集中し、最高の戦いを実現することが使命なのだと感じていたし、自らそう望んでいた。でも、心の整理は誰もできていないままだった。

 ベルギーGPの週末、FP2以降のすべてのセッションでトップタイムを記録したルクレールは、チームメイトのセバスチャン・ベッテルに0.7秒以上の大差をつけてポールポジションを獲得した。その速さが彼の純粋な才能を示していたとしたら、精神的な強さが顕著に表れたのは日曜日のレースだ。

XPB Images

 スパのスターティンググリッドは、1コーナーを無事に抜けるための“運”を手に入れるためのものだと言っていい。鋭角のラ・スルスは超低速で、F1マシンは空力によるダウンフォースをほとんど失い、硬いサスペンションも“曲がり角”の走行を助けてはくれない。本当に重要なのは1コーナーを抜けた先で最適な加速を得るためのマシンのポジションと姿勢なのだが、それを自由に選択できるのはポールポジションから順調にスタートしたドライバー。前の台数が増えるほど連鎖的なリアクションに自らもリアクトすることが必要で、今年も混乱が発生した。5番グリッドから発進で出遅れたマックス・フェルスタッペンが、1コーナーでキミ・ライコネンのインに飛び込み、レッドブルとアルファロメオが接触、2台ともが傷を負ったのだ。

 左フロントの異常を訴えながらオールージュにアプローチしたフェルスタッペン、その左フロントをかすめながら通過したライコネンのマシンがとどめを刺した。レッドブルはレディヨンの上り坂で弧を描くことができず、まっすぐウォールへと進んだ。