【】【F1ベルギーGPの焦点】夢に見た初優勝の実現と、その勝利を亡き親友に捧げたレース

9月4日

 ルクレールがピットと対話したのは、この、1周目のセーフティカー(SC)出動の際だけだった。エンジニアはSC出動を知らせつつ、すぐに「フェルスタッペンは無事。すでにマシンから降りている」とルクレールに伝えた。「よかった、無事で」──。ふたりの対話が、このレースに臨んだドライバーとチームの気持ちを表していた。

 ルクレールにとって難題は、FP2のロングランでも苦労したタイヤの性能低下。予選でどれだけタイム差をつけていても、レースになるとコーナリング性能の高いメルセデスはタイヤ管理にも優れている。オーバーテイクが可能なスパでは、何としても彼らをDRS圏内に入れるわけにはいかない。

 金曜日の夜にマシンを調整した後、ルクレールはロングランのペースが改善されたことを確信していた。しかし、それが果たして十分であるかどうかは、レース当日のコンディションで走ってみないと分からない。いずれにしても、メルセデスが自分たちを上回ってくることは想像できた。

「スタートからゴールまで、僕らはタイヤ管理に苦労していた。ブダペストに比べるとずっとうまくできるようになったと思うけど、まだまだ努力が必要だね。第1スティントのソフトでは快適に走れたけれど、ミディアムの第2スティントは難しかった」

 ベッテルが15周目にピットインしたのはレース前に作戦として決められていたことではなく、タイヤの性能低下が理由だと想像した。6周ステイアウトしたことによって自らのタイヤ交換を済ませた後はベッテルから5秒近く遅れてコースに戻ったが、その時点では6周古いベッテルのミディアムがどれだけ性能低下するのか、彼に追いつくことができるのか、定かではなかった。

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「でも2〜3周を走ったところで、ペースには大きな違いがあることが分かった」

 1〜1.2秒速いラップタイムによって、ふたりの間隔は一気に小さくなった。

「その時点で、ふたり一緒にタイムを失うことなんて考えられないと思ったんだ。レース中、僕からピットに話したことは一度もなかったと思うから……うん、僕が何かを頼んだわけじゃない。でもあの時点のタイム差を考えれば、僕が追いついた時点でタイムを失わないよう何かが行われるだろうと思っていた。計画されていたことではなかったけれど、すべてはとても明確だったと思う」

 27周目に入るホームストレートでフェラーリの2台がポジションを交替した後、ベッテルは後ろから迫ってくるルイス・ハミルトンを抑え、ルクレールはハミルトンとの6.5秒の間隔を維持し続けた。ハミルトンがベッテルをかわした32周目の時点で6.3秒だったトップ2台の間隔は、34周目には7秒まで広がっていた──。ハミルトンもまた、リヤタイヤのオーバーヒートに苦しんでいたのだ。しかし残り周回数が8周になったところからハミルトンはペースを上げ、交差するようにルクレールのタイムが降下し始めた。誰もが、バーレーンGPの不運、オーストリアGPのレース終盤を思い出していた。

「でも、とくに緊張することはなかった。自分がトップを走っていて、自分より速い誰かに追いかけられるという状況に僕は慣れ始めていたんだと思う。もちろん相手はルイスだと分かっていたし、どんなミスを犯しても彼はそのチャンスを逃しはしないだろう──。でも最終ラップを除けば、彼が何かをトライできるほど接近したことはなかったし、僕自身はただ自分の走りに集中し、バランスの問題を軽減するために調整を繰り返し、全力で自分の仕事を成し遂げることだけを考えていた」

 初優勝は、心に涙を溜めた状態でつかんだ。チームからの祝福が無線で届いても、喜びが爆発することはなかった。感じていたのは、親友に捧げるべき勝利を手に入れた“任務完了”の達成感と、チームに対する感謝──。空の上の誰かに勝利を捧げる状況は、2年前のアゼルバイジャンとあまりに似ていた。きっと、自分は強くなった。少なくとも、見ている人々はそう感じている。でも、彼らと一緒なら、もっと強くなれたかもしれない。

 自ら乗り越えたものの大きさと同時に、哀しみと喪失感が薄らぐことはない事実を、21歳のルクレールは痛いほど知っている。

 夢に見た初勝利の実現と、その勝利を亡き親友に捧げたレース──。ふたつの大きな理由が、ベルギーGPを生涯、忘れられない記憶にした。誰もが、最も相応しい勝者であったと感じ、ルクレールの思いを共有する。でも、こんなに切ない初勝利は誰も経験したことがない。

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(Masako Imamiya)