【】連載「FACES」第5回:ダニエル・リカルド

1月29日

「パドックで自分がナイスガイだと思われていることは知ってるよ。でもコース上の僕は、それほどお人好しじゃない」

 笑顔のままで、リカルドは主張した。それはきっと自分が育ってきたのとは違うヨーロッパの競争社会で、しかもF1という究極の世界で戦っていく術を模索していたからだ。

 彼が生まれ育った西オーストラリアのパースは、温暖な気候と美しいビーチ、ヨーロッパと新大陸の双方を備えた町並み、自然……すべてに恵まれた幸福な町だ。「パースで生まれ育っただけでも、僕は十分に甘やかされていたと思う」と、本人が言うほどに。太陽の光と音楽、スポーツ、家族の愛情、幼なじみとの他愛ない会話。レースを望まなければ、ひとり冬のヨーロッパで過ごすこともなかった。

 父親に連れられて経験したインドアカートで、すべてが変わった。他の何よりもカートで走ることが好きになってしまった……「本物のカートコースで走るため、自分のカートが欲しいと両親に頼み続けた。『学校で頑張る』とか? たぶん、あらゆることを言ったと思う。でも結局、全部が嘘だったんだ(笑)。僕はカートでレースがしたいだけで」

 半年ほど頼み続けて手に入れたのは「年季が入った、それほど良くはない」カート。「でも始めるには十分だった」。“新車”を手に入れるまで、さらに2年が必要だった。カートレースで先輩から授かった最初のアドバイスは「前を見て走れ」──後ろが気になって、身体をひねりながらスタートするような少年だった。

 西オーストラリアでモータースポーツはポピュラーとは言えず、広大なオーストラリアで国内選手権に参加するには長い飛行機移動が必要だった。初めてのフォーミュラ・フォードは12年落ちのバンディーメン……。

「あれは僕に運転というものを教えてくれたマシンだよ。運転免許も持っていなかったから、ダブルクラッチだとか、回転を合わせるだとか意味がわからなくて。減速しないで行けるコーナーは速かったけど、減速が必要になると、もうブレーキも無茶苦茶で(笑)。幸い、わりとすぐにクラッチなしのフォーミュラBMWに行けたけど、そうじゃなかったら僕は、いまF1にいないかもしれない」

 こんなふうに、さらっと笑えるのは自信の裏返しであり、何事も経験として吸収できるリカルドの特性でもある。幸福であることを力にできるドライバーだ。F1でタイトルを獲ることに貪欲な意志を持ちながら、あらゆるカテゴリーをリスペクトし、そこからもアイデアを得られるのは、彼にとってレースもフットボールもクリケットも、純粋なスポーツであるからだ。