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【F1歴史コラム】国名を冠さないグランプリ登場の背景。コロナ禍の70周年記念GP、複数会場でのヨーロッパGP、日本のパシフィックGP
2026年8月13日
ベテランモータースポーツジャーナリスト、ピーター・ナイガード氏が、F1で起こるさまざまな出来事、サーキットで目にしたエピソード等について、幅広い知見を反映させて記す連載コラム。今回は、国名以外を冠するグランプリの名称に注目した。今年は、バルセロナでのグランプリがスペインGPではなく『バルセロナ・カタルーニャGP』として開催され、バーレーンGPがマレーシアを開催地として実施される。
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今年の6月、史上初の『バルセロナ・カタルーニャGP』が開催された。モンメロのサーキットは1991年以来スペインGPの開催地だったが、今回からレース名が変更された。なぜか? それは、9月にマドリードの新設サーキットであるマドリングがスペインGPとしてグランプリを開催することになったからだ。
F1世界選手権のレースは伝統的に、ドイツGP、イタリアGP、スペインGPといった国名を冠したグランプリとして行われてきた。しかし、1950年に選手権が始まって以来開催された1100回以上のグランプリのなかには、国名をタイトルに含まないレースも少数ながら存在する。
■ペスカーラGP
その最初の例は1957年世界選手権に急きょ組み込まれたレースだ。中東情勢の不安定さのなかで2戦が中止となり(聞き覚えがある話だ)、FIAは代替策を模索した。そうして、イタリア東海岸のペスカーラ自動車クラブによるF1公道レースが選ばれた。このレースは、それまで数年間にわたり世界選手権外として開催されていたが、ペスカーラGPとして世界選手権に昇格し、シーズン最終戦モンツァの3週間前に実施された。ペスカーラ周辺の山岳地帯を走る全長25.579kmの公道コースは、現在もF1史上最長のサーキットである。
■ラスベガスGP
次に都市名を冠したグランプリを開催したのはラスベガスだった。1961年から1980年までアメリカGPはニューヨーク州ワトキンスグレンで開催されていたが、当時のF1最高責任者バーニー・エクレストンはラスベガスのシーザーズ・パレスから、非常に魅力的なオファーを受けたようだ。同ホテルはF1レースによって世界中のギャンブラーを呼び込もうと考え、1981年と1982年にはホテル駐車場で世界選手権最終戦を開催した。レース自体は成功とは言えなかったが、ラスベガスは2023年に有名なストリップ地区を含む市街地コースで世界選手権に復帰した。ラスベガスGPは、現在2037年までの契約を有している。
■ダラスGP
テキサス州ダラスもF1開催に挑戦した。1984年アメリカGPは6月24日にデトロイトで開催されたが、その2週間後には市内フェアパークの公道を利用してダラスGPが行われた。あまりの暑さのため、プラクティスは朝7時に開始された。いたずら好きで知られたジャック・ラフィット(ウイリアムズ)はパジャマ姿でピットに現れたというエピソードが残っている。
決勝ではテキサスの猛暑によって路面が各所で崩壊し、多くのマシンがバリアに衝突した。このためダラスGPは一度限りに終わった。ナイジェル・マンセルはギヤボックス故障で停止したロータスをゴールラインまで押そうとしたが、暑さによる疲労で倒れ込んだ。
デトロイトの曲がりくねった市街地コースはドライバーたちに不評だったが、ダラスのフェアパークはさらに評判が悪かった。
「このサーキットの唯一良い点は、デトロイトがそれほど悪く見えなくなったことだ」とアラン・プロストは、史上初にして最後となったダラスGP開催前の公式記者会見でそう語った。
■ヨーロッパGP(ブランズハッチ)

1983年のカレンダー発表時には、9月25日にニューヨーク郊外クイーンズ区フラッシング・メドウズでのニューヨークGPが予定されていた。しかし法的問題と環境問題によって春に中止となり、その代替としてロンドン郊外ブランズハッチでのレースが追加された。その年はシルバーストンでイギリスGPが開催されていたため、ブランズハッチのレースには『ヨーロッパGP』の名称が与えられ、1985年にも同名で開催された。
1977年以降、ホッケンハイムはドイツGPの恒久契約を持っていた。新設されたニュルブルクリンクGPコースが1984年に開業した際、祝賀イベントの一環としてヨーロッパGPが開催された。ミハエル・シューマッハー人気に沸いた1995年から2007年にかけて、ドイツでは毎年2レースが行われた。ホッケンハイムでのドイツGPと、ニュルブルクリンクでのヨーロッパGPである。
■ルクセンブルクGP、サンマリノGP
ただし1997年と1998年のニュルブルクリンク戦はルクセンブルクGPと呼ばれた。他国の名称を使う手法は、1981年から2006年にかけてイタリア・イモラも用い、サンマリノGPとしてグランプリを実施した。また、1955年のル・マンでの大事故以来、スイスではサーキットレースが禁止されているが、1982年にはフランス国内のディジョン・プレノワにスイスGP開催の名誉が与えられた。同年、フランスGPは例年どおりポール・リカールで開催された。
■ヨーロッパGP(ヘレス)
1994年、予定されていたアルゼンチンGPが中止となり、その代替としてスペイン南部ヘレスでの『ヨーロッパGP』が開催された。1997年には財政問題でポルトガルGPが中止されたため、ヘレスとヨーロッパGPが再びカレンダーに加わった。

1997年ヨーロッパGPは世界選手権最終戦となり、タイトル争いはミハエル・シューマッハー(フェラーリ)がライバルのジャック・ビルヌーブ(ウイリアムズ)をコース外へ押し出そうとした一件で決着した。因果応報というべきか、グラベルへ飛び出したのはシューマッハーの方であり、ビルヌーブは走行を続けて世界王者となった。
このグランプリで、ヘレス市長ペドロ・パチェコが表彰式に乱入し、FIAとF1を激怒させた。市長は表彰台に押しかけ、コンストラクターズ・トロフィーがメルセデスCEOのユルゲン・シュレンプに授与される予定のプレゼンテーションに介入、メルセデスのトップを押しのけたのである。後にFIAは市長への制裁としてヘレスを事実上ブラックリスト入りさせ、それ以来このサーキットはF1カレンダーに復帰していない。
■ヨーロッパGP(バレンシア)

2008年にはフェルナンド・アロンソの絶大な人気を背景に、スペインは再び年間2レースを開催した。ひとつはバルセロナ・カタルーニャ・サーキットでのスペインGP、もうひとつはバレンシアのアメリカズカップ・マリーナ周辺コースでのヨーロッパGPである。
バレンシアでのグランプリは5回開催されたが、2012年の最後のレース後、汚職や公金横領の疑いで関係者や政治家に対する訴訟が提起された。現在、バレンシア市街地コース周辺は、寂れたゴーストタウンと化している。
■ヨーロッパGP(アゼルバイジャン)
2016年、アゼルバイジャンはF1史上でも屈指の高額開催料を提示し、同国初のF1レースを『ヨーロッパGP』として開催した。この旧ソ連構成国が近代的なヨーロッパの国家としての印象を与えたいという思惑からこの名称が選ばれたが、翌年には現在の名称である『アゼルバイジャンGP』に変更された。
■パシフィックGP

日本GPは伝統的にホンダ傘下の鈴鹿サーキットで開催されてきたが、1990年代半ばには岡山で国内ふたつ目のグランプリが開催された。当時、日本国内のF1人気が非常に高く、同時にゴルフブームも起きていた。レース好きの実業家・田中肇氏は高級ゴルフ場事業で富を築き、岡山県英田郡英田町にTIサーキット英田(現:岡山国際サーキット)を建設し、F1開催を目指した。
当時のF1最高責任者バーニー・エクレストンは田中氏が経営するタナカインターナショナルを知らなかったが、提示された金額が魅力的だったため、TIサーキット英田と1994年と1995年パシフィックGPの開催契約を結んだ。
■シュタイアーマルクGP、70周年記念GP、アイフェルGP、トスカーナGP
コロナ禍の2020〜2021年には、F1レースの開催が許可され、かつ実施可能なサーキットを見つけるのが困難だった。4カ月遅れで始まった2020年シーズンは、レッドブルリンクでのオーストリアGPで開幕し、その翌週には同じサーキットで世界選手権第2戦『シュタイアーマルクGP』が開催された。
1カ月後にはシルバーストンでも2連戦が行われた。まず伝統のイギリスGP、そして翌週には世界選手権史上唯一、地理的名称を含まないタイトルのレースが開催された。それが1950年世界選手権開始から70周年を記念した『70周年記念グランプリ』である。

2020年にはニュルブルクリンクでもレースが開催されたが、ドイツGPの名称を使用する権利を持つドイツ自動車クラブが主催していなかったため、レース名は『アイフェルGP』となった。
2020年9月、モンツァでのイタリアGPは、新型コロナ流行以降初めて一部メディアの入場が認められたレースとなった。その翌週、フェラーリは自社所有のムジェロ・サーキットで開催された『トスカーナGP』によってチーム通算1000戦目を祝った。
さらに数週間後、わずか8週間の間にイタリア国内で3度目となるグランプリがイモラで開催された。このレースは『エミリア・ロマーニャGP』として行われ、2025年まで世界選手権カレンダーに残った。
2020年シーズン終盤にはバーレーンで2戦が開催された。1戦目は通常のバーレーンGP、2戦目は『サクヒールGP』である。レッドブルリンクやシルバーストンとは異なり、サクヒールGPは同じレイアウトではなく、バーレーン・インターナショナル・サーキットの短いアウターコースで行われた。
その結果、バルテリ・ボッタスが、F1史上最短のラップタイム53秒377でポールポジションを獲得した。
■サンパウロGP、メキシコシティGP
2021年には、2つのレースが国名から都市名へと名称変更された。サンパウロとメキシコシティの両レースでは、市政府が強力に支援しているにもかかわらず、ブラジルGPやメキシコGPとして国全体が名誉と宣伝効果を得ていることへの不満が出ていた。その結果、現在これらのレースはそれぞれサンパウロGP、メキシコシティGPと呼ばれている。なお、2022年にはマイアミGPが誕生し、またひとつ、都市名を正式タイトルに含むレースがカレンダーに加わった。
(Text : Peter Nygaard)
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| 9/11(金) | フリー走行1回目 | 20:30〜21:30 |
| フリー走行2回目 | 24:00〜25:00 | |
| 9/12(土) | フリー走行3回目 | 19:30〜20:30 |
| 予選 | 23:00〜 | |
| 9/13(日) | 決勝 | 22:00〜 |
| 1位 | アンドレア・キミ・アントネッリ | 267 |
| 2位 | ジョージ・ラッセル | 201 |
| 3位 | ルイス・ハミルトン | 191 |
| 4位 | ランド・ノリス | 171 |
| 5位 | シャルル・ルクレール | 155 |
| 6位 | マックス・フェルスタッペン | 127 |
| 7位 | オスカー・ピアストリ | 116 |
| 8位 | アイザック・ハジャー | 71 |
| 9位 | リアム・ローソン | 51 |
| 10位 | ピエール・ガスリー | 41 |
| 1位 | メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム | 468 |
| 2位 | スクーデリア・フェラーリHP | 346 |
| 3位 | マクラーレン・マスターカード・フォーミュラ1チーム | 287 |
| 4位 | オラクル・レッドブル・レーシング | 204 |
| 5位 | ビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チーム | 75 |
| 6位 | BWTアルピーヌF1チーム | 62 |
| 7位 | TGRハースF1チーム | 21 |
| 8位 | アウディ・レボリュートF1チーム | 16 |
| 9位 | アトラシアン・ウイリアムズF1チーム | 11 |
| 10位 | アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム | 3 |
| 第14戦 | スペインGP | 9/13 |
| 第15戦 | アゼルバイジャンGP | 9/26 |
| 第16戦 | バーレーンGP | 10/4 |
| 第17戦 | シンガポールGP | 10/11 |
| 第18戦 | アメリカGP | 10/25 |


