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納得の操縦性と快適性。自動車普及を実現したフォードの技術が詰まったマスタング【F1参戦メーカーのフラッグシップモデル】
2026年8月5日
2026年シーズンのFIA F1世界選手権には、11チームが参戦しており、技術規則が大きく変わった新時代のF1を戦っている。この11チームのなかには7つの自動車メーカーがおり、さらにパワーユニット(PU)の共同開発や供給を行うフォードとホンダ、タイトルパートナーを務めるトヨタを含めると、F1に携わる自動車メーカーは10にものぼる。
そこで今回は、国内外で様々な自動車の試乗会に参加した豊富な経験を持つ自動車ジャーナリストの大谷達也氏が、F1に関係する自動車メーカーのなかからひとつを選び、そのメーカーのフラッグシップモデルの解説やエピソードを紹介する。連載の第4回目は、レッドブルをタッグを組んでパワーユニット(PU)を開発し、オラクル・レッドブル・レーシングとビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チームへの供給を行うフォードだ。
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大きくて豪華だけれど、技術的に古くさくて、走りもそれほど楽しくない……。アメリカ車に対してそんなイメージを抱く方は少なくないだろうが、フォードの成り立ちはそうした多くのアメリカ車と一線を画している。
フォードの創業は1903年と古いが、それとともに彼らの歴史で重要なのは、ベルトコンベア式の大量生産を初めて自動車産業界に導入し、価格の低廉化によって自動車の普及を促進させたことにある。また、フォードが大量生産を採り入れた最初の製品はモデルTだが、その生産効率化を極限まで高めるため、一時期ボディカラーを黒一色のみに絞ったことは有名な逸話。さらに、創業者のヘンリー・フォードは元技術者で、創業当時から晩年まで一貫して大衆のための実用車を作り続けたことで知られる。つまり、質実剛健。もともと華やかなクルマ作りを特徴としていたライバルのゼネラルモータース(GM)とは、この点において大きく異なっていたといっていい。
海外進出にも熱心で、1911年にはイギリス・フォードを設立。これはアメリカ自動車資本がヨーロッパに進出した初の例とされる。当初はアメリカ本国向けの製品やその縮小版を販売していたが、戦後になるとドイツ・フォードとともにヨーロッパ向けの製品を開発し、アメリカ本社とは異なる独自の発展を遂げるようになる。こうした、いわばヨーロッパ発信のモデルをラインナップしていることもフォードの特徴といえる。
フォードは日本進出も早く、1925年(大正14年)には横浜に工場を作ってノックダウン生産を開始。翌26年にはゼネラルモータースもこれに続き、まだ試作段階にあった国内資本の自動車メーカーを凌駕する生産規模を誇った。両社の国内生産は第二次世界大戦の勃発によって終焉を迎えたものの、戦後フォードはアメリカやヨーロッパで生産された製品を日本に輸入するビジネスを再展開。その真面目なクルマ作りは一定の評価を得ていたが、2016年に「将来的に合理的な成長の道筋が見えない」ことを理由に日本市場から撤退し、少なくとも新車の正規輸入に関してはフォード不在の状況が10年間にわたって続いている。
私はそんなフォードがずっと好きだった。
特に、もともとドイツ・フォードとイギリス・フォードが共同で開発し、やがて国際市場で大成功を収めたフォーカスの仕上がりは素晴らしかった。いわゆるCセグメントのハッチバックでフォルクスワーゲン・ゴルフが最大のライバルとされたが、ハンドリングはゴルフよりも軽快で操る楽しさに溢れていた。しかも快適性が高くてデザインも秀逸。価格も手頃でまさに文句の付けどころがないコンパクトカーだった。



2010年代にはフォードの国際試乗会に何度か招待してもらったが、そのなかでも忘れられないのは2014年にデビューした6代目マスタング。どちらかといえばスタイリング優先のクーペと思われがちだが、その実力は高く、とりわけ剛性感の高いボディーと質の高い足回りの組み合わせは、限界域まで安心して攻められる操縦性と納得のいく快適性を両立していて印象的だった。
残念ながら、日本では発売開始直後にフォードの日本撤退が発表されて短命に終わったけれど、長らく排気量の大きなV8エンジンが主力と思われてきたマスタングに、2.3リッターの直列4気筒ターボエンジンを搭載したことも6代目マスタングの特色だった。
2010年代のフォードは、小排気量のターボエンジンを積んで高効率を追求する姿勢が明確だった。ダウンサイジング・コンセプトと呼ばれる技術である。ダウンサイジング・コンセプトの名を有名にしたのはフォルクスワーゲンだったが、フォードはもともと過給技術に長けていて、マスタングやエクスプローラーといった大型車にいち早く4気筒エンジンを搭載して世間の耳目を集めたのである。



こうした技術の蓄積が、先ごろF1のADUO(Additional Development Upgrade Opportunities/追加開発アップグレードの機会)で「レッドブル・フォードがトップ」と評価される一因になったような気がしなくもない。
もうひとつ、フォードのモータースポーツ活動で指摘すべきは、一度参入したカテゴリーには長く継続的に参戦する姿勢にある。それを実現するため、派手にバーンと金をばらまくのではなく、賢く効率的に資金投入をする術をよく理解しているのもフォードの特徴といえる。
F1では、統計的には1951年がフォードの初参戦とされるが、フォードとして公式にエンジンを供給したのは、1967年デビューのコスワースDFVが最初だった。もっとも、これさえもコスワースが開発したエンジンをフォードが財政的に支援しただけで、本来の意味で『フォード製』と呼ぶには無理があった。また、小規模なレーシングエンジン・スペシャリストであるコスワースに開発を任せたほうが、社内でゼロから開発するよりも安上がりで確実に勝利を収められるという思惑もあったに違いない。
コスワースDFVはそのバランスのよさから1980年代にターボ時代が始まるまで20年近くにわたってF1を支え続けた名ユニットとして知られる。
その発展版としてデビューしたHBエンジンも、さらにその後継モデルとして登場したゼテックRも開発はコスワースでフォードは資金援助が中心だったが、それでもフォードが40年以上にわたりF1で重要な役割を果たしてきたのは疑いのない事実だった。
フォードF1の歴史は、当時グループ傘下にあったジャガーが2004年限りでF1から撤退したことで一旦は途切れたが、レッドブルとの共闘という形で今年、復活したことは、彼らのモータースポーツ活動を古くから見てきた者としては実にしっくりとくる形態といえる。


(Text:Tatsuya Otani)
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| 1位 | メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム | 379 |
| 2位 | スクーデリア・フェラーリHP | 307 |
| 3位 | マクラーレン・マスターカード・フォーミュラ1チーム | 220 |
| 4位 | オラクル・レッドブル・レーシング | 177 |
| 5位 | ビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チーム | 66 |
| 6位 | BWTアルピーヌF1チーム | 61 |
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