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FIA国際レースの医療体制の改善を主導したフランス人医師、ジャン=ジャック・イサーマンが102歳で死去
2026年7月10日
フランス自動車連盟は、FIA(国際自動車連盟)の管轄下で行われる国際レースにおける医療体制の劇的な改善を主導したフランス人医師のジャン=ジャック・イサーマンが102歳で死去したと発表した。
イサーマンは、1960年代にアマチュアドライバーとしてフランスのレースに参戦した際、当時の医療体制が基準を下回っていることに気がつき、その後50年近くにわたってモータースポーツにおける医療サービスの向上に精力的に取り組んだ。彼の最初の仕事は、1960年代後半にル・マンにあるサーキットの医療施設を整備することで、この歴史あるサーキットはヨーロッパで初めて本格的なメディカルセンターを備えたサーキットとなった。
FFSA(フランス・モータースポーツ連盟)はイサーマンの取り組みに感銘を受け、彼に対し、同連盟初の『連盟医療委員会』を主導すること、そして初めてサーキットでの救急、蘇生処置を専門とするチームを編成することを依頼。イサーマンはサーキットの現場に救急車を配備し、1970年のフランスGPでは迅速な医療介入用の車両を導入した。グランプリが開催されたのはシャレード・サーキットという非常に長い公道コースであったため、イサーマンは、救急車では事故現場へ到着するのに時間がかかりすぎると判断した。そこで彼は、高性能な車両の後部座席に救急医療の機材を一式を積み込み、この車をプロのドライバーが運転し、医師が助手席に同乗するという体制を整えた。この方法は、瞬く間に世界中で採用されることになった。
その後ジャン=マリー・バレストルがFIAの会長に就任すると、彼は1989年にイサーマンをFIAの医療監察官に任命した。これによりイサーマンは世界各地を飛び回って、各サーキットにの医療設備の改善を支援した。さらに、車両からドライバーを救出するための最初の現代的な方法を開発し、医療チームと協力して、現在では絶対的な基準となっている救出プロトコルを確立した。
またイサーマンは、著名な脳神経外科医であるシド・ワトキンスがF1の公式レースドクターを務めた際に彼をサポートし、80代になるまでモータースポーツをより安全にするために力を尽くした。こうした功績により、イサーマンはフランス国家功労勲章を授与され、のちにレジオンドヌール勲章も受賞した。
FIAのモハメド・ビン・スライエム会長は短い声明のなかで、「半世紀以上にわたるイサーマン博士の功績が忘れ去られることはないだろう。世界のモータースポーツの安全性において、最も影響力のある人物のひとりとして、彼のレガシーは今後も受け継がれていく」と述べた。

(Text : GrandPrix.com)
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