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最高齢の元F1ドライバー、エルマノ・ダ・シルバ・ラモスが100歳で死去

2026年5月9日

 5月4日(月)、フランスとブラジルの二重国籍を持つ元F1ドライバーのエルマノ・ダ・シルバ・ラモスが100歳で亡くなった。


 フランスのビアリッツという都市で亡くなったシルバ・ラモスは、“ナノ”というニックネームで知られていた。1925年12月7日、シルバ・ラモスはパリでフランス人の母とブラジル人の父の間に生まれ、幼い頃からモータースポーツに魅せられていた。第二次世界大戦が勃発し、1939年末頃にモータースポーツが中断されるまで、彼は父が家族所有のブガッティで国際レースに出場する姿を見ていた。

 シルバ・ラモスと彼の家族は、戦争が続いた6年の間フランスに留まったが、ブラジルへの移住を決め、彼の母親の故郷であるリオデジャネイロに移り住んだ。その後シルバ・ラモスはブラジルでスポーツカーレースにデビューしたが、マシンの競争力が低かったため、目立った成績を残すことはできなかった。


 フランスに戻ったシルバ・ラモスは、1952年のル・マン24時間レースを観戦すると、すぐにアストンマーティンDB2を購入して国際的なレースキャリアをスタートさせた。結果はすぐに現れ、ル・マンとモンテリーで行われた重要なレースで優勝を飾った。


 結果を残したことで、シルバ・ラモスはフランスの自動車メーカーであるゴルディーニからワークスチームへ入るよう誘いを受けた。チームに加入したシルバ・ラモスは数々の国際スポーツカーレースで優勝を記録。さらにゴルディーニのワークスマシンでF1に7戦出場し、1956年のモナコGPでは5位に入賞して2ポイントを獲得した。


 しかし1957年に親友のアルフォンソ・デ・ポルターゴがミッレミリアでレース中に亡くなったことを受けて、シルバ・ラモスは、自身のキャリアを考え直し、それ以降二度とF1をドライブすることはなかった。シルバ・ラモスはスポーツカーレースに復帰し、新設されたF2にも短期間参戦するなど、数々の好成績を残した。


 1960年末、35歳になったシルバ・ラモスはレースからの引退を決意し、不動産業に転身。その後は風光明媚なビアリッツに居を構え、長く充実した人生の最後の60年間をそこで過ごした。また彼はレース仲間との交流を続け、元F1ドライバーが集まるグランプリ・ドライバーズ・クラブの活動的なメンバーであり続けた。


 彼は80歳を過ぎてからも、ル・マンでの歴史的なデモンストレーションに参加するなど、レーシングカーのハンドルを2度握った。しかしこの10年ほどは健康状態が悪化し始め、5月4日に100歳で亡くなったということだ。



(Text : GrandPrix.com)


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