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ミカ・ハッキネン独占告白。マクラーレンMP4-12とメルセデスV10、F1初優勝の物語

2023年3月16日

「マクラーレンF1」と言われて連想するカラーリングのイメージは、個々人が熱狂していた時代できっと異なるはずだが、おそらく多くの人は赤と白のツートンカラー、マールボロ時代を連想するだろう。成績も相まって“強さの象徴”といえる完璧なイメージを作り上げたそのジョイントが終わると聞かされた時、それ以外の色をしたマクラーレンなど受け入れられるわけもない、そう思った人が多かったのもまた事実だ。


 1997年の年明け早々、マクラーレンはまず正規のカラーリングを発表する前にオレンジ一色の暫定カラーで塗られたMP4-12を発表した。シンプルすぎるイメージチェンジ、それが暫定だと分かっていながらも、赤白ではない違う色で塗られているだけで新鮮だった(期待感を煽らせたマクラーレンの戦略勝ちだったのかもしれない)。
そして、満を持して登場したのがシルバーと黒を基調として、エアブラシを使ってのグラデーション塗装には大人の色気を感じ、一瞬で虜になった。伝統と言えたマールボロカラーに代わるものとしてこれ以上はないと思わせるくらい、完成されたカラースキームは、さすがはコース上での見栄えに拘るタバコ会社のセンスを感じさせる仕上がりだった。


 まずイメージ戦略では先手をとれたが、これで遅ければ目も当てられない。とくに当時のマクラーレンはロン・デニス政権最長の連敗記録更新中の大氷河期の真っ只中だっただけに、まだまだ不安は拭えない状況。しかし、新・ウエストカラーを纏ったMP4-12は、エアロとメカニカル面が大幅に見直され、さらにメルセデス(イルモア)が軽量と高出力を実現させた新V10エンジンとの組み合わせで、過去数年間燻っていた時代から明らかに脱却しつつあると感じさせた。まだ発展途上ゆえに信頼性の問題はあったが、純粋な速さだけをみれば充分に選手権争いの主役を演じるウイリアムズ・ルノーとフェラーリに挑めるだけのポテンシャルを備え始めていた。


 ファンの期待は、そんなMP4-12を駆っていまだF1での勝利がないミカ・ハッキネンがトップチェッカーを受けることだった。僚友のデビッド・クルサードがこの年2勝していただけに、その期待値は上がる一方だった。そして、運命の時──ヘレス、最終戦ヨーロッパGPを迎える。


 毎号1台のF1マシンを特集し、そのマシンが織り成すさまざまなエピソードを紹介する『GP Car Story』最新刊のVol.43では、マクラーレンの復活、メルセデス黄金時代のへ礎、そしてハッキネンの初優勝と、多くのメモリアルがつまった1台、マクラーレンMP4-12を特集する。


 このページでは、現在発売中の最新刊『GP Car Story Vol.43 マクラーレンMP4-13』に掲載されるミカ・ハッキネンの独占インタビューを特別公開。待ち侘びた歓喜の瞬間、そこに至るまでの苦悩と耐え続けた日々を大いに語る。


* * * * * * * * * *


──マクラーレンは1995年からメルセデスと組み、96年になると両社の歯車がようやくうまく噛み合ってきたという印象でした。チームとしても、強化の年になったと言えるのではないでしょうか。


「まったくそのとおりで、96年になるとマクラーレンとメルセデスの関係性が深まり、お互いに相手のことを理解できるようになってきた。当然、マクラーレン側はメルセデスの経営陣に対して、レースで勝てるレベルのエンジンを供給してくれと厳しい要求を突きつけていた。それは、僕らレーシングドライバーもエンジニアも同じだった。エンジンパワーがあれば、ライバルたちよりも速く走れてオーバーテイクが可能になるし、ダウンフォースも得られてコーナリングスピードが速くなるからだ。チーム全体にとってエンジンパワーは、とても重要な要素だった」


「そして、メルセデスとイルモアのマリオ・イリエンは、ドライバーやチームが要求しているエンジンレベルについて認識を深め、実現してくれた。97年もその路線で突き進み、彼らは他チームにはない新しいタイプの開発パーツを作り上げ、信じられないくらいにパワフルなエンジンに仕上げてくれた」

オレンジの暫定カラーで発表されたマクラーレンMP4-12
オレンジの暫定カラーで発表されたマクラーレンMP4-12


──新車MP4-12はウォーキングにあった古いファクトリーで、オレンジ色のカラーリングで披露されました。見た目は素晴らしく、パッケージングから細部に至るまで、大きく進化したように見えましたが、当時のことを覚えていますか。


「もちろんだ。かなりクールだと思ったね。すでに何年間もチームの一員としてマシンの開発に携わってきたので、進化したMP4-12を見た時は、大きな刺激を受けたよ。チームは問題を解決しており、これまでに学んできたことのすべてがあのマシンに集約されていた。オレンジ色も似合っていたし、このマシンなら勝てると思えた。モチベーションが本当に高まったね」


──その後、スパイス・ガールズの登場で話題になったイベントの際に、マシンはシルバーアローに変身しました。盛大なショーでしたね。


「本当に、心躍るような演出だった。レーシングチームにいると、さまざまなことにチャレンジするけれど、その中には心理ゲームの要素も含まれている。勝てない状況が続くと士気が下がってしまうが、チームがマーケティングの面でうまく舵を切っていければ、メンバーのやる気を引き出し、勝利を目指してこれまで以上にモチベーションを高めることができる。あれがその良い例だった」


「新しいパートナーのウエストを紹介する舞台に、スパイス・ガールズを登場させた。そうすればチームの認知度を上げられるし、注目を浴びたマクラーレンのチームスタッフたちは、『自分たちは最高のチームの一員で、周りから注目されている。ぜひとも、成功を手に入れたい。そのためにもっと頑張ろう』と思えるんだ。すべてを正しい方向に導くことができたと思うよ」

マクラーレンMP4-12 1997年F1最終戦ヨーロッパGP
マクラーレンMP4-12 1997年F1最終戦ヨーロッパGP

■一筋の光が見えた気がした

──開幕戦オーストラリアGPでは、幸運にも恵まれてチームメイトのデビッド・クルサードが初優勝を飾りました。あなたとしては、少し複雑な心境だったのではないですか。


「開幕戦で勝利を挙げるなんて、これ以上にうれしいことはない。素晴らしいことだよ。確かに優勝したのが自分ではなかったことは悔しかったが、長いトンネルの先にようやく一筋の光が見えた気がした。自分もさらに頑張ろうと、前向きな気持ちになれたしね。いつかは、自分の番が来ると信じていたから」


──しかし、序盤戦のMP4-12は、それほどコンペティティブではありませんでした。これについてどう思っていましたか。


「最初はまだ完璧とは言えず、パフォーマンス不足だった。メルセデス・エンジンはある程度のパワーを発揮し始めていたけれど、空力やメカニカルな面ではまだ問題を解決できていなかったんだ。ドライバー、エンジニア、そしてデザイナーたちも、正しい答えを見つけられずに悩んでいた。シーズンが始まっても手探り状態で、僕は常にどこかで妥協しながらドライブするしかなかったんだ」


──そういった中でも、進化を感じられた部分もありましたか。


「排気システムに関しては、コーナーの立ち上がりでトルクを向上させる方法を見つけ出し、開発も順調に進んで素晴らしい成果を挙げていた。先ほども話したけど、エンジンパワーが上がるとダウンフォースが増すので、ブレーキングのタイミングを少し遅らせてライバルのマシンよりも速いスピードでコーナーに入ることができ、コーナーを立ち上がる際のトラクション性能も向上する。これをメルセデスとイルモアが実現してくれていたので、前進している部分もあった」

デイビッド・クルサード(左)とミカ・ハッキネン(右)
デイビッド・クルサード(左)とミカ・ハッキネン(右)


──52周目までトップを走行していた第9戦イギリスGPは、間違いなく初優勝のチャンスでしたが、残念ながらエンジントラブルが発生してしまいました。


「シルバーストンで優勝できていたら、どんなに素晴らしかったことか。でも残念ながら、エンジンがブローしてしまったんだ……」


──ピットまで歩いて戻るのは、精神的につらくありませんでしたか。


「実は、それほどでもなかった。パフォーマンスに関しては、方向性が間違っていないと分かっていたからね。メルセデスはパワフルで高性能なエンジンを作っていたので、頭ごなしに非難するのではなく、彼らにミスから学ぶ時間を与えるべきだと思っていた。それに、当時はレギュレーションの規制が何もなかったので、1日24時間、1日たりとも休むことなく、スタッフはパーツを作り、ダイナモでエンジンを動かす作業に取り組んでいた。それこそ、死に物狂いで働いていたことを知っていたからね」


「一方で、僕はF1ドライバーでモナコに住み、朝起きてからテニスをしたりトレーニングをしたり、テストやレースに備える時間もたっぷりあった。だから、レースでエンジンが壊れたからといって、彼らを責めることはできない。全力を尽くして最高のエンジンを作ろうと努力を重ねてくれていたからね。メルセデスの目指す方向は正しいと感じていたし、いつかは100%の力を発揮し、成功をつかめると信じていた。だから、彼らに時間を与える必要があると思ったんだ」

「1997年シーズンは何度か勝てそうなレースがあったのに、マシントラブルのせいでそのチャンスを失っていた」と語ったハッキネン
「1997年シーズンは何度か勝てそうなレースがあったのに、マシントラブルのせいでそのチャンスを失っていた」と語ったハッキネン

■ニューウェイの魔法

──8月にエイドリアン・ニューウェイがチームに加入し、シーズン終盤に新しいフロントウイングが投入されました。その効果をすぐに感じましたか。


「ポール・リカールで、フロントウイングのテストを行なったと記憶しているが、本当に信じられないような経験だった。マシンの空力がすっかり変わり、その違いをまさに体で感じたんだ。いち部分を少し調整しただけだったのに、空力がマシンに与える影響の大きさを知ってすごく驚いたよ」


「あらゆるパーツがパフォーマンスに好影響をもたらす完璧なマシンを手にするためには、それを実現させる能力を持った人材がいなくてはならない。エイドリアンの加入でそれが可能になったので、僕たちは前進できたんだと思う」

エイドリアン・ニューウェイの加入はマクラーレンを大きく前進させた。「マシンの空力がすっかり変わり、その違いをまさに体で感じたんだ」とミカ・ハッキネン
エイドリアン・ニューウェイの加入はマクラーレンを大きく前進させた。「マシンの空力がすっかり変わり、その違いをまさに体で感じたんだ」とミカ・ハッキネン


──当時は、まさにテスト漬けの日々でしたね。


「ああ、そうだね。当時のテストプログラムを思い出すと、信じられないくらいのハードスケジュールだったよ。シーズンが始まる前に走り込んだ距離は、現在のドライバーたちが1シーズンで走るレースの総距離を上まわっていたと思う。まさに常軌を逸していて、正直やりすぎだったね(苦笑)。マクラーレン時代はとにかくハードに働いていた記憶が印象に残っている」


──それだけテストを重ねていたのにも関わらず、第15戦ルクセンブルクGPではまたしてもトップを走りながらも、44周目にエンジントラブルが発生してリタイアに終わりました。かなりショックだったのではありませんか。


「依然として、エンジンの信頼性に問題を抱えていた。ダイナモ上ではレースディスタンスをこなせているから、コース上でも完走できるはずだと考えられていたが、実際にはそれができなかったんだ。実際のサーキットではコーナーでGがかかり、エンジンの片方にオイルが偏る。こうした細かいことは、ダイナモでは試せないことだったからね。つねに何かしらの問題が発生し、そのたびに解決しなければならなかったんだ」


「これはメルセデス時代ではないが、あるエンジン担当者から1000回転落としてくれたら、ブローしないと言われたことがある。それはまるで『ミカ、1秒タイムを落として走れるかい? そうすれば、マシンが壊れずに済むから』と言われているようなもので、ドライバーとしては、『何を言っているんだ。1秒も遅く走るわけにはいかないよ』と答えるしかない」

メルセデス製V型10気筒エンジン
メルセデス製V型10気筒エンジン


──高性能のエンジンになりつつあるのに、信頼性の問題だけがクリアできない状況が続いていましたよね。


「そう。全体としては良い方向に向かっていて、トルクも回転数もエンジンパワーも申し分ないのに、信頼性だけが低かったんだ。いつまで経っても、壊れやすいエンジンのままだった。テストの際にはいつもできる限りエンジンの回転数を上げて縁石に乗り上げ、マシンを路面に叩きつけたりして車体を傷めつけるようなことを試していた。テストでマシンを壊しておけば、レースを最後まで走れるようになると思っていたからだ」


「でも、それも役には立たず、相変わらずトラブルに見舞われ続けた。僕たちの最大の弱点は、信頼性の低さだったんだ。でも、これは僕だけではなく、デビッドもそうだし、後年に僕の後を引き継いだキミ(・ライコネン)も同じだった。いともたやすくライバルたちにポイントを献上してしまうわけだから、最悪の気分にさせられたよ」

■優秀で個性的な集団

──ヘレスで行なわれた最終戦ヨーロッパGPは、F1史上稀に見る不可解なレースでした。レース前にマクラーレンとウイリアムズがある取り決めをしていたことを知っていたのですか。


「レース前ではなく、レース中に何か取り決めがあるかもしれない……と気づいた。そして、またしても僕はピットストップなどで不運に見舞われ、デビッドが前に出ていた。97年シーズンは何度か勝てそうなレースがあったのに、マシントラブルのせいでそのチャンスを失っていた。今回、僕に勝たせようと決めたのはチームであり、ロン(・デニス)だったと思う。デビッドは優勝した経験があったので、おそらく僕を勝たせてシーズンを締めくくろうと考えたのだろう」


「もし、自分がデビッドの立場だったら、当然ものすごく頭にきたと思う。でも、あれは自分の判断ではないので、僕には何も言えない。トップでチェッカーを受けて優勝した時は正直うれしかったが、まだマシンの速さが充分ではないことは分かっていたし、もっと努力しなければならないと思った。それでもエイドリアンがマクラーレン・ファミリーに加わってから、状況はどんどん良くなっていったよ」

ワン・ツー体制を築いて走行するウエスト・マクラーレン・メルセデスのMP4-12
ワン・ツー体制を築いて走行するウエスト・マクラーレン・メルセデスのMP4-12


──先ほど、あなたが指摘したフロントウイングは、97年にニューウェイが携わった唯一のパーツでした。でも、あのパーツだけですぐに数年間にわたってウイリアムズが強さを誇っていた理由が分かりましたか。


「まさにそのとおりさ。確か93、94年だったと記憶しているが、ロンを連れてウイリアムズのマシンを見に行ったことがある。そこで僕はロンに、『あのフロントウイングとリヤウイングを見てほしい。僕らのウイングもまともで申し分ないと思うけど、何かが足りないんだ……』と伝えたんだ。


 エイドリアンが加入するずっと前から、何か手を打たなければならないことはロン自身も分かっていた。ただ、銀のトレイに載せて、『さあ、ミカ、これが解決策だ』と目の前に差し出せるものがなかったんだ。だからこそ、その解決策を導ける人材をチームに引き入れ、チームを立て直す必要があり、それには少し時間が掛かることをロンは理解していた」


「それまではライバルたちより優れている部分に焦点を当て、自分たちが誇れる部分を伸ばしていくしかなかったというわけさ。時にドライバーは、勝つためになりふり構わないことがある。でも、勝てるようになるまでは、本当に忍耐力が必要なんだ。優れた勝者になりたいなら、潔い負け方を知るべきだとよく言われているが、そのためには時間と忍耐、そして人に対する信頼を大切にしなければならない」


──その言葉どおり、初勝利までは長い時間、待たなければなりませんでしたね……。


「悔しいことだけど、そのとおりだったよ」

1997年のF1最終戦ヨーロッパGPでキャリア初優勝を飾ったミカ・ハッキネン
1997年のF1最終戦ヨーロッパGPでキャリア初優勝を飾ったミカ・ハッキネン


──それでも97年シーズンの終わりには、翌98年の新車にニューウェイが関わっていることもあって、期待値がすごく高まっていたのではありませんか。


「そうだね。実際にこの目でマシンのモックアップなどを見て、期待はすごく高まった。マシンの細部に至るまで配慮が行き届いていて、明らかにこれまでとは違っていたからだ。それまでは部門ごとにパーツを作り、開幕の2カ月前になってシャシーに組み込もうとすると、他の部分と噛み合っていないことに気づくといった感じだった」


「それがエイドリアンが来てからは、すべての部門が協力し合って、まとまって開発をしているという印象を受けたんだ。そこから、完璧なパッケージが出来上がっていった。短期間のうちにチームの様子が変わったのが分かったし、それがうまく機能したのだと思う」


──あらためて振り返ってみると、あの頃はニューウェイ、パディ・ロウ、スティーブ・ニコルス、タイラー・アレクサンダーという、そうそうたるメンバーが勢揃いしていましたよね。


「本当に信じられないような顔ぶれだ。素晴らしい知性を持ち、頭の回転の早い人たちが協力して仕事に取り組み、問題を解決してくれていた。当時を振り返ってみると、本当にファンタスティックだったと思う」


「今、彼らとテーブルを囲み、おいしい食事とワインを楽しみながらおしゃべりできたら、どれだけ楽しいことだろう。いろいろと突っ込みながら当時の話をしたいし、彼らがあの頃のことを今、どう思っているのかも知りたい。それに私が感じていることについても、彼らの意見を聞いてみたいんだ。とても有意義な時間を過ごせると思うよ。誰もが本当に優秀で個性的だったからね」


* * * * * * * * * *


『GP Car Story Vol.43 マクラーレンMP4-12』では、今回お届けしたハッキネンのインタビュー以外にも見どころ満載。このクルマを語る上で外せないメルセデスV10エンジン、その生みの親であるマリオ・イリエンのインタビューのほか、メルセデスF1の顔だったノルベルト・ハウグの手記も掲載している。


 もちろん、“連敗脱出”の要因はエンジンだけでなく、過去2年間の反省を踏まえての空力とメカニカル面の大幅なアップデートが実を結んだ結果だ。車体全体統括のニール・オートレイ、空力のアンリ・デュラン、さらに不振のチームを復活させるために呼び戻されたスティーブ・ニコルスによる“改革案”は読み応えあり! 秘密計器“ブレーキステア”の当事者たちが語る解説企画もマニアには生唾モノ間違いなし。


 どうしてもハッキネンだけに陽が当たってしまうが、この年の結果、数字だけを見ればデビッド・クルサードの方が上だった。そんな彼がチームからの待遇やそれに対するその時の心情を隠すことなく本音を赤裸々に語ってくれているインタビューは、ある意味今回一番読んでもらいたいインタビューかもしれない。



(Text : Adam Cooper
Translation : Miho Kanda)




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