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鈴木亜久里と佐藤琢磨、スーパーアグリで共闘したふたりのスペシャル対談

2021年2月4日

 現在発売中の雑誌『レーシングオン No.511』ではARTA総監督にしてF1時代には日本人で初めて表彰台に立った男、鈴木亜久里のレース人生を総特集している。


 10000字以上におよぶ亜久里本人へのロングインタビューや歴代愛機コレクションのほか20年以上にわたるARTAの実績など特集内容は多岐にわたるが、目玉はやはり2本のスペシャル対談だ。ひとり目は亜久里の“恩師”でもある舘信秀、ふたり目はスーパーアグリ時代に監督とエースドライバーという関係で共闘した佐藤琢磨だ。


 ここでは『レーシングオン No.511』に収録されている、佐藤琢磨との対談記事から一部を抜粋してお届けしよう。


**********


(以下抜粋)
──会った途端に話に花が咲きましたね。
佐藤琢磨(以下。琢磨):
話したいことがいっぱいあります(笑)。


鈴木亜久里(以下、亜久里):いや、本当だよね。だってさ、スーパーアグリF1(SAF1)が終わって今年でもう13年だって。あっという間だよね。でも、まるで昨日のことみたいだよね。


──SAF1の立ち上げは、亜久里さん45歳、琢磨さん28歳のときでした。
琢磨:
28歳! まだ20代だったんだ。


亜久里:そうだよ。いま琢磨が43歳だから、俺がF1チームを立ち上げたときに近い。琢磨はSRS‐Fを首席で卒業して、田中弘さんが監督だった童夢でF3にデビューしたでしょ?


琢磨:弘さんと松本恵二さんです。


亜久里:最強の歩み出しだよね?(笑)


琢磨:最強過ぎました(笑)。でも、そのおかげで、亜久里さんのドライバーとはいつもライバル関係でした。


亜久里:そこからすぐヨーロッパに行っちゃったから、俺とはあんまり接点がなかった。でも、琢磨は自分の力で全部、道を切り開いていった。頭がいい子だから、そういうことができるんだよね。


琢磨:いやいや、そんなことありません。


亜久里:人に何かしてもらうのを待っているんじゃなく、自分で開拓していくという意味では、俺がやってきたことと似ているよね。


──2005年にSAF1の計画が明らかになって、ふたりは急接近していきます。
琢磨:
あの年の終わりに亜久里さんから「一緒にやろうぜ」と声をかけていただいたのがきっかけでした。


亜久里:俺はね、「F1やるから協力してよ」って琢磨に頼んだんですよ。ちょうど琢磨がBARを離れるのと、俺がチームを立ち上げるタイミングが重なったから。


それで最初に琢磨に話したのは「オマエ、いままではお金持ちの家の子だったけれど、これからは貧乏な家の子だからね。頼むよ」って。それが第一声だった。


琢磨:それが05年の暮れだったから、本当に大変でした。僕が仕事で沖縄に行っているとき、イギリスにいるマーク・プレストンから電話がかかってきたりとか。それで僕から亜久里さんに「なんか、モノコックが使えないらしいですよ」と伝えた。


それが12月で開幕は3月でしょ? 当時、亜久里さんは本当にいろいろなところを飛び回っていたから、お手伝いできるところはしようと思って、技術系は僕が話をつないでいきました。


亜久里:いや、本当に琢磨は文句のひとつもいわずによく頑張ってくれたよ。でもさ、開幕戦のバーレーンでクルマ走らせて、そのあまりの遅さにはビックリしたよな(笑)。あのときはウチよりGP2のほうが速いんじゃないかと思ったね。


──でも、そこに至るまでにも予想外の展開がたくさんあった……。
亜久里:
FIAに納める供託金の55億円を集めるのが、どれだけ大変だったことか。


琢磨:でも、亜久里さんはそれをひとりでやって、僕たちにはお金の話を聞かせなかった。亜久里さんに言われたのは、最初のバルセロナのテストに井出有治選手と行ったとき、「フロントウイングは1個しかないからな」ということ。


あのときはクルマも1台しかなかったから、とにかく慎重に走りました。それでも速く走らないといけなかったので、あの頃は本当に僕もすごく成長させてもらいました。

2006年、スーパーアグリF1チームで参戦した当時のふたり
2006年、スーパーアグリF1チームで参戦した当時のふたり

■スーパーアグリ思い出のレースと、活動休止

──では、SAF1で楽しかった思い出はありませんか?
琢磨:
たくさんあります! やっぱり入賞したレースですね。


亜久里:そう、07年のスペインで最初にポイント獲ったときね。ピットアウトしてきたジャンカルロ・フィジケラをスパッと抜いていったときはすごかった。あと忘れられないのは、やっぱりカナダ。トヨタのラルフ・シューマッハーを抜いて、マクラーレンのフェルナンド・アロンソも抜いたときは、観客席がザワついたよね。


──しかしSAF1は08年のスペインGPで活動を休止しました。
亜久里:
その直前に僕がチームを売るとか、いっぱい話が出ていたけれど、全部ガセだった。こっちはさ、本当にワラをもつかむような思いで世界中に飛んで、たくさんの人に会ってきたけれど、どれもダメだったね。世界中にこんなにいっぱい詐欺師みたいなヤツがいるんだってビックリしたよ。


最後の最後に進めていた話だけはうまくいくと思っていたんだけど、結局ダメだったね。琢磨もそうだけど、チームのメンバーがみんな頑張ってくれていたから(活動休止は)本当にみんなに申し訳ないと思っていたんだ。


たとえ俺がオーナーじゃなくなったとしても、チームが続いていければみんなは働いていけるでしょ。だから何とかしたいという気持ちが強かった。


──SAF1が活動を休止した2年後の10年から琢磨さんはインディカーシリーズへの挑戦を開始しました。今後の琢磨さんにどんな期待を抱いていますか?
亜久里:
琢磨はもうアメリカで確固たるポジションを築いたでしょ? だから、もう日本に帰ってこないほうがいいと思うんだ。それで、アメリカで受け皿を作って、日本人の若い子を育てるみたいなことをしてほしい。


だってさ、インディ500で2回勝つって、アメリカじゃ本当にすごいことなんだから。レースの世界では琢磨のことを知らない人はいないと思うよ。


──それでは琢磨さんにARTAのアメリカ支部でも作ってもらいますか?
亜久里:
アハハハハ。さっきも言ったけど、琢磨が43歳で俺が60歳だからさ。俺も、いつまでも頑張れるわけじゃない。琢磨みたいな若い子たちに後を継いでもらわないと、日本のモータースポーツ界も世界のモータースポーツ界も次につながっていかないと思うよ。


琢磨:レーシングドライバーとしても若手育成の面でも亜久里さんは大先輩だから、いつかはじっくりお話をさせていただくときがくると僕も思っています。

今回の対談の様子
今回の対談の様子


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 誌面では琢磨がインディ500を初めて制した際に亜久里が琢磨へ送ったメールやF1での共闘エピソードについて、ふたりがより詳細に回想している。当時を知るF1ファンだけでなくモータースポーツフリークならば必読の内容となっている。


 ニューズムック『レーシングオンNo.511 鈴木亜久里』は現在発売中だ。内容の詳細と購入は三栄のオンラインサイト(https://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=11745)まで。


レーシングオンNo.511 鈴木亜久里
オールカラー116P
価格:本体1527円+税

『レーシングオン No.511 鈴木亜久里』の詳細と購入はこちら
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(Tatsuya Otani)




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