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32歳で初優勝マンセル。ザウバーで初陣6位ライコネン【F1王者たちのデビュー戦と初優勝の物語】
2026年8月14日
F1王者に輝いたドライバーたちのF1デビュー戦、F1初勝利を振り返る連載企画『F1王者たちのデビュー戦と初優勝の物語』を全4回でお届け。第3回目となる今回は、ランド・ノリス、ジェンソン・バトン、キミ・ライコネン、ジャック・ビルヌーブ、デイモン・ヒル、ナイジェル・マンセル、そしてケケとニコのロズベルグ親子という8名の軌跡を振り返る。
■ランド・ノリス(2025年王者)のF1デビューレース
- 大会:2019年第1戦オーストラリアGP
- 出走チーム:マクラーレン・ルノー
- 予選:8番手
- 決勝:12位
父アダム・ノリスはイギリスで有名な実業家、資産家、投資家だ。彼自身も自動車レースに興味を持ちながらもその望みは叶わず、多額の資金援助で息子へ夢を託した。ノリスは2017年のFIAヨーロピアンF3参戦時にマクラーレンとヤングドライバープログラム契約を締結。決定打となったのは2017年8月にハンガロリンクで行われたF1車両によるテストで、当時のレギュラードライバーだったフェルナンド・アロンソに迫るタイムを叩き出したからだ。
2018年はマクラーレンのテストドライバーを務めながら、FIA F2参戦に参戦して選手権2位を獲得。迎えたF1デビューの2019年第1戦オーストラリアGP。フリー走行は3回とも下位のタイムに沈みながら、予選では驚異的な走りで予選8番手。「予選はずっと緊張していた。デビュー戦でQ3に進めるなんて想像していなかったから、本当にハッピー」とノリス。
ただし、決勝ではスタートが振るわず10番手へ後退。15周目という一般的なピットストップ戦略で挽回を狙うも、目の前にはロングスティントのアントニオ・ジョビナッツィ(アルファロメオ)が立ちはだかった。予選トップ10圏外に居たランス・ストロール(レーシングポイント)やダニール・クビアト(トロロッソ)のアンダーカットも食らい最終結果は12位に終わった。
「トップ10圏内に入れるクルマだっただけに、チームのみんなをがっかりさせてしまった。ペースの落ちているジョビナッツィを抜くに足るスキルがなかった。これもF1の厳しい洗礼だね」と入賞を逃したノリスは肩を落とした。


■ランド・ノリスのF1初優勝
- 大会:2024年第6戦マイアミGP
- 出走チーム:マクラーレン・メルセデス
- 予選:5番手
このレースにおいてマクラーレンは大型の車体アップデートを投入。ノリスはチームの期待に応える予選5番手という結果を残した。決勝では抜群のスタートを見せたチームメイトのオスカー・ピアストリに先行を許して6番手へ後退。前後のドライバーが次々とピットストップしてミディアムからハードへタイヤを交換する中、ノリスはチームメイトとともにステイアウト戦略を選び、好タイムを連発しながらライバルとの差を詰めていった。
27周目に暫定首位のピアストリがピットイン。レース最大の転機は28周目に発生した。ケビン・マグヌッセン(ハース・フェラーリ)に斜め後ろから突っ込まれたローガン・サージェント(ウイリアムズ)がバリアに激突。フルコースイエロー(FCY)を経てセーフティカー(SC)導入となった。
暫定首位のノリスには棚から牡丹餅で、29周目にピットストップ/タイヤ交換を実施。最小限のタイムロスで首位を維持したままコース復帰に成功した。リスタート後には2番手のマックス・フェルスタッペン(レッドブル)から襲い掛かられるも、冷静に抑え込み参戦110戦目にして初優勝を飾った。
「ついにやり遂げた。僕ははずっとチームを信じてきたし、チームも僕を信じてくれて、長い時間は掛かったけれど、それがじつに理にかなったものだったと今日は示せた」とノリス。この2024年は王座に届かなかったものの、翌2025年はフェルスタッペンと激闘の末ノリスは初の王座に就いた。


■ジェンソン・バトン(2009年王者)のF1デビューレース
- 大会:2000年第1戦オーストラリアGP
- 出走チーム:BMWウイリアムズ
- 予選:21番手
- 決勝:リタイア(エンジン)
カートレース経験は幼少期から積んではいたものの、四輪レース転向からF1昇格までのジュニアフォーミュラレース経験は、1998年のイギリス・フォーミュラフォードと1999年のイギリスF3くらいと、意外に少ない。ただ、イギリスF3で選手権3位、世界中からF3の名手が集まるマカオと韓国のF3レースで2位となった実績にF1チームは目を付けた。
プロストやスチュワート・グランプリからもオファーはあったがバトンにとってそれらは魅力的ではなく、低迷するアレックス・ザナルディの代わりを直ちに探す必要があったBMWウイリアムズ入りが最終結論だった。これは2000年1月にスペインのヘレスとバルセロナで実施された、国際F3000で活躍するブルーノ・ジュンケイラとのシュートアウトの結果に基づく。
デビュー戦の予選はブービーの予選21番手。それでもスタート直後の混乱をかわしてレース序盤にして15番手へ浮上した。また、バトンは重い燃料の時間が長く、それを2セットのタイヤでしのぐ1ピットストップを選択。この逆境を耐えて一時は見掛け上とはいえ3番手、レース終盤には実質的な6番手を走行する場面さえあった。しかし、47周目にエンジンのトラブルでリタイアとなった。
結果は残せなかったものの「レースを心から楽しめた。自分自身のパフォーマンスにも、マシンのパフォーマンスにもとても満足している。エンジントラブルで完走できなかったのは残念だけど、自分にこの仕事(F1ドライバー)ができると証明できたと思う」と、バトンは語った。


■ジェンソン・バトンのF1初優勝
- 大会:2006年第13戦ハンガリーGP
- 出走チーム:ホンダ
- 予選:4番手
2004年のBARホンダでは10回表彰台に立ち選手権3位と活躍するも、周囲のバトンに対する評価は下がりつつあった。2005年10月にホンダがBARの全株式を取得し、BARがホンダのワークスチームへと姿を変えるもバトンは残留。しかし、引き続き勝てないままシーズン後半戦のハンガリーGPを迎えた。
予選4番手のバトンだったが、エンジン交換に伴う10グリッド降格ペナルティを科されてスタートは14番グリッドに。まさかここから頂点へ駆け上がるとは誰も思わなかった。ウエットコンディションで迎えた決勝、レース序盤からのごぼう抜きで6周目には4番手へ浮上。バトンが履いていたミシュランタイヤ(インターミディエイト)の優位性、軽めの燃料搭載で複数回のピットストップを想定していたチームの戦略が当たった。
26周目にはキミ・ライコネン(マクラーレン)がビタントニオ・リウッツィ(トロロッソ)に追突する事故が発生、セーフティカーが導入されたがバトンはステイアウトで2番手へ浮上。首位を走るアロンソ(ルノー)を徐々に追い詰め、51周目にはアロンソが車両トラブルでリタイアしたため、バトンは易々と首位に立ち、F1参戦113戦目にして初優勝を飾った。
「なんという一日だろう! この瞬間のために、僕はモーターレースにすべてを捧げてきた。14番グリッドからスタートしながら、このタフでチャレンジングなレースに勝てたなんて、信じられないぐらいすごい」とバトンは万感の思いを言葉にした。


■キミ・ライコネン(2007年王者)のF1デビューレース
- 大会:2001年第1戦オーストラリアGP
- 出走チーム:ザウバー・ペトロナス
- 予選:13番手
- 決勝:6位
ジュニアフォーミュラ経験が23戦しかない若者をザウバーがF1に起用すると表沙汰になった際に周囲は色めき立った。現在でいうFIA F3やFIA F2の経験無しにF1参戦だから当然の話。当時のドライバーに限ると、2000年9月イタリア・ムジェロのテストでライコネンの走りを真後ろから見たミハエル・シューマッハー(フェラーリ)は好意的で、「ものすごく速い。あの子は本物だ」とザウバーのチーム代表を務めるペーター・ザウバーに直接伝えた。
一方で1997年F1王者のジャック・ビルヌーブ(BARホンダ)は、「下位カテゴリーで何年も懸命に戦い、F1へ昇格しようと努力している人々に失礼」と批判した。結局、FIA国際自動車連盟は国際Aライセンスの取得とスペイン・ヘレスでの追加テストを窮余の策として課し、4戦限定の暫定スーパーライセンスをライコネンに発給した。
騒動の当事者だったライコネンは、デビュー戦となった2001年第1戦オーストラリアGPで予選13番手を獲得して周囲の雑音を消した。決勝では彼の前方で発生した事故、そして1ストップというチームの戦略に応えて7位でチェッカー。レース終了後、4位のオリビエ・パニス(BARホンダ)に黄旗区間追い越しのタイムペナルティが科されて、6位に昇格したライコネンはF1デビュー戦で早くも入賞を飾った。
「首が少し疲れた。スタートで出遅れた以外に問題は無かった」とレース直後のライコネン。すでにサーキットから離れていた彼にチームスタッフが6位昇格を伝えたときは「まだ前に5人いる」と冷静沈着なコメントを返してきたという。
■キミ・ライコネンのF1初優勝
- 大会:2003年第2戦マレーシアGP
- 出走チーム:マクラーレン・メルセデス
- 予選:7番手
シングルカーアタック(1台ずつの出走)が採用された2003年シーズンの予選。ライコネンは金曜日のQ1で4番手を確保するも、土曜日のQ2ではターン11の立ち上がりでオーバーステアに見舞われタイムロスを喫し7番手に留まった。
迎えた決勝は1周目から波乱の展開、予選2番手のヤルノ・トゥルーリ(ルノー)に予選3番手のミハエル・シューマッハー(フェラーリ)が追突した。この機に乗じてライコネンは4番手へ浮上し、2周目には元チームメイトのニック・ハイドフェルド(ザウバー)をターン1で抜いて3番手へ。さらに3周目には2番手を走る同僚デイビッド・クルサードが電気系トラブルでリタイア。これでライコネンは易々と2番手へ浮上した。
ポールポジションから首位をひた走るアロンソ(ルノー)に対してライコネンは、予選終了時の燃料搭載量をあえて重く、決勝では1回目のピットストップを遅らせるレース戦略で対抗していた。その結果、予選終了時の燃料搭載量が相対的に軽かったアロンソのピットインでライコネンは暫定トップに立ち、彼自身1回目のピットストップのあとで実質的なトップへ浮上した。
その後、トップを走るライコネンは2回目のピットストップも危なげなくこなし、2位ルーベンス・バリチェロ(フェラーリ)に40秒近い大差、ポールシッターだったアロンソには1分以上の大差をつけ、ライコネンはF1参戦35戦目にして嬉しい初優勝を飾った。
■ジャック・ビルヌーブ(1997年王者)のF1デビューレース
(Text:Kojiro Ishii)
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| 9/4(金) | フリー走行1回目 | 結果 / レポート |
| フリー走行2回目 | 結果 / レポート | |
| 9/5(土) | フリー走行3回目 | 結果 / レポート |
| 予選 | 結果 / レポート | |
| 9/6(日) | 決勝 | 22:00〜 |
| 1位 | アンドレア・キミ・アントネッリ | 242 |
| 2位 | ジョージ・ラッセル | 183 |
| 3位 | ルイス・ハミルトン | 183 |
| 4位 | ランド・ノリス | 159 |
| 5位 | シャルル・ルクレール | 155 |
| 6位 | マックス・フェルスタッペン | 112 |
| 7位 | オスカー・ピアストリ | 104 |
| 8位 | アイザック・ハジャー | 68 |
| 9位 | リアム・ローソン | 49 |
| 10位 | ピエール・ガスリー | 44 |
| 1位 | メルセデス-AMG・ペトロナス・フォーミュラ1チーム | 425 |
| 2位 | スクーデリア・フェラーリHP | 338 |
| 3位 | マクラーレン・マスターカード・フォーミュラ1チーム | 263 |
| 4位 | オラクル・レッドブル・レーシング | 186 |
| 5位 | ビザ・キャッシュアップ・レーシングブルズF1チーム | 66 |
| 6位 | BWTアルピーヌF1チーム | 63 |
| 7位 | TGRハースF1チーム | 21 |
| 8位 | アウディ・レボリュートF1チーム | 16 |
| 9位 | アトラシアン・ウイリアムズF1チーム | 11 |
| 10位 | アストンマーティン・アラムコ・フォーミュラ1チーム | 3 |


